□投稿者/ pipit -(2021/11/14(Sun) 21:15:12)
| 今の時点で考えてることを、お気軽日記に書いてみる。 知覚から「知る」対象を規定・措定するというプロセスの描写を試みるとき、 「超越論的◯◯」は、その対象の条件を表現しているとpipitは思ってる。
それから、、、 以前に目にして、もう一度見たいと気になってた、カントの文章の箇所をやっと見つけた! B377あたり。
『純粋理性批判4』カント、中山元先生訳、p63より引用
『ここでさまざまな観念の段階を示すと次のようになるだろう。
まず[最上位の]類概念は、観念一般(レプレセンタティオ)であり、
この類の下に、
意識を伴う観念(知覚ペルケプティオ)がある。
この知覚が主体の状態の変様として、もっぱら主体にかかわるときには、それは感覚(センサティオ)となる。
また客観的な知覚は認識(コグニティオ)である。
認識は直観(イントゥイトゥス)であるか概念(コンケプトゥス)であるかのどちらかである。
直観は対象と直接的にかかわり、個別的である。
概念は多くのものに共通な特徴によって、対象と間接的にかかわる。
概念は経験的な概念であるか、純粋な概念であるかのどちらかである。
純粋な概念が(純粋な感性的な形象においてではなく)知性だけを起源とするときは、それは知性の概念(ノティオ)と呼ばれる。
知性の概念から生まれたものではあるが、経験の可能性を越え出た概念は、理念あるいは理性の概念と呼ばれる。』
くー、見つけ出すの、長かったー 第4巻だったのかー
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