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No18782 の記事


■18782 / )  Re[78]: メルポンの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/13(Sat) 18:40:50)
    メルポンの『知覚の現象学』の目次は、
    序文
    緒論 古典的偏見と現象への復帰
    第一部 身体
    第二部 知覚された世界
    第三部 対自存在と世界における(への)存在
    ね。
    たぶん、わたしが最初思ったのは、“へ〜、哲学者って身体についても考えてるんだ〜、哲学者って身体についてどんな見方してるんかな〜”、っていうのだったと思う。

    『知覚の現象学』と『行動の構造』のなかかから、
    メルポンの、「私」、「私と身体との関係性」、「私と世界との関係性」についての見方、ちょっと書き出して見る。

    【私は絶対的な根源である。私の実存は、私の経歴、私の自然的・社会的環境から由来するのではない。私の実存はこれらに向かってゆき、これらを支える。】

    【私は私の身体の前にいるのではない。私は私の身体のなかにいる。いやむしろ私は私の身体である。】

    【身体とは、われわれが一つの世界をもつ一般的な手段である。】

    【身体は「世界における(への)存在」の媒体である。身体をもつということは、生きるものにとって、一定の環境にくわわり、若干の企投と一体となり、たえずこれに自己を拘束するということである。】

    【〈身体の媒介〉というものは、たいていのばあい、私によって見逃されているものである。】

    【身体の理論はすでに知覚の理論である】

    やっぱ、私、世界、そして私と世界と関係性について見てゆこうとするとき、身体ははずせないと思う。
    だから、わたし、私のうちに身体を入れてる。これを〈身体のある私〉って呼ぶことにする。こう言い方をするのは、わたし私には身体と精神があるってしてるけど、身体を忘れないようにね。
    あ、これって当たり前でしょ? なのよね〜。

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