□投稿者/ おくたがわ -(2021/11/08(Mon) 17:09:20)
| ・「フクロウはもういない」を意味する命題を私が書いて(写像を行って)も、命題の中にそれを書いた主体は出てこない。 「私が『フクロウはもういない』と記述した」と書いても、その「 」内は事態の写像であり、その写像を行った主体は依然として出てこない。そこに書かれている私は世界の中に登場する多数の人間の一人であり客体である。語られると主体ではなくなる。 これらの写像される事態の総体が世界である以上、世界の中に(真の)主体はない。
・世界の開闢点である特異な私を言語で語ろうとすると、多数存在する人物の一人である「私」になってしまう。
並べて書きましたが、両者が関係しているかどうかは分かりません
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