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No18534 の記事


■18534 / )  Re[14]: タイムマシンと〈私〉
□投稿者/ おくたがわ -(2021/11/08(Mon) 09:34:26)
    No18383に返信(パニチェさんの記事)

    > 時間的には“今”ですね、〈私〉は“今”にしかありません。

    自然科学的に語れる「私」は空間上の様々な地点に存在する(と見なせる)が<私>は違う、同様に時間軸上でも、様々な時代を「現代」と考えて存在する(した)「私」がいたが、<私>はそうではない。そのようなそれぞれの「私」のどれかではない。ということでしょうか。

    > 空間的な位置については(みのりさんにも返信したのですが)現時点で言えることは世界内にはないということだけです。
    > 世界の接点なのか、それとも外なのか、あるいは丸ごと世界が〈私〉なのかペンディングというか探究途上です。表現しようがないというか。。。。

    ウィトゲンシュタインの場合は、世界丸ごと、もしくは世界全体(の境界面)にべったり張り付いているようなイメージがあり、「外」はないと思いますが、パニチェさんの<私>は外もあり得る(無いとは言えない)ということでしょうか。

    >>ところで、もしタイムトラベルが可能なら<今>は[ここ]と同等なものになるのでしょうか。
    >
    > なるでしょうね。
    > 私にとってタイムマシンの最大のパラドックスは過去に戻って自分に出会うことです。
    > 客観視できる自分がいるとするなら、それは他者であり〈私〉ではない。
    > 〈私〉とは永井氏の言葉を借りれば「私だけがその目から現実に世界が見えており、その体だけが殴られると本当に痛く、その身体だけを実際に動かせる、唯一の人間」ということになります。

    この例は、自分としては始めて目にする説明で、目から鱗的なものを感じています。

    > 〈私〉の理屈上二人の〈私〉は絶対にありえない。多世界解釈もこれに同じで、否定する理由として自明なる〈私〉が今ここに存在しています。

    以下と関連するように思います(あくまで現段階の私の読みで、誤読かもしれませんが)

    5.634 このことは、私たちの経験のどの部分もアプリオリではない、ということと関係している。〜〜
     私たちが見ているものはすべて、別のようでもあるかもしれない。 およそ私たちが記述できるものはすべて、別のようでもあるかもしれない。 モノたちの秩序は、アプリオリには存在しない。
    5.64 ここでわかるのだが、ソリプシズムを徹底すると、純粋な実在論と一致する。ソリプシズムの「私」は縮んで、延長のない点となる。そして残るのは、「私」のためにコーディネートされた実在である。
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