□投稿者/ みのり -(2021/11/07(Sun) 08:54:29)
| ■No18479に返信(パニチェさんの記事) > 2021/11/07(Sun) 08:38:49 編集(投稿者) > > おはようございます、みのりさん、横レス失礼します。 > > ■No18476に返信(みのりさんの記事) >>■No18471に返信(ザビビのふくろうさんの記事) > >>「思考し表象する主体は存在しない」――ウィトゲンシュタイン > >>はじめまして。^^ > >>このウィトゲンシュタインの言葉の出典を教えていただけますか。 > >>私はウィトゲンシュタインについて何も知らないですし、議論に持ち込もう >>とかまったく思ってないです、という自己紹介です。^^ > >>ただ、知りたいなと思ったのでよかったら教えてください。 > > 『論理哲学論考』の以下です。 > > ************************************ > 5.631 思考し表象する主体は存在しない。 > もし私が「私が見出した世界」という本を書くとすれば、そこでは私の身体について報告がなされ、またどの部分が私の意志に従いどの部分が従わないか、等が語られねばならないだろう。即ちこれが主体を孤立させる方法であり、むしろある重要な意味で主体は存在しないことを示す方法なのである。というのもこの本では主体だけが論じることのできないものとなるであろうからである。 > 5.632 主体は世界に属さない。それは世界の限界である。 > ************************************ > > この後、眼で眼を見ることができない云々の言説が続きます。 > おそらくみのりさんにとって最も興味がわくところだと思いますし、仏教や気づきとも隣接するところだと思います。
パニチェさん、ありがとうございます。
そういえば、ウィトゲンシュタインは生涯に自らでは、一冊しか書いていないんでしたね。 それが引用いただいた『『論理哲学論考』になるのですね。
> もし私が「私が見出した世界」という本を書くとすれば、そこでは私の身体について報告がなされ、またどの部分が私の意志に従いどの部分が従わないか、等が語られねばならないだろう。即ちこれが主体を孤立させる方法であり、むしろある重要な意味で主体は存在しないことを示す方法なのである。というのもこの本では主体だけが論じることのできないものとなるであろうからである。<
主体を孤立させる方法であり、同時に、主体は存在しないことを示す方法でもある、と読んだのですが、この二つが両立するとされるあたりが説明が難しいけど、おもしろく感じます。
>またどの部分が私の意志に従いどの部分が従わないか、
これは、心臓の動きなどを自ら制御できないとか、そういうことを言ってるのかな、と考えました。
何も読んでない私が、この部分だけを拝見していろいろ言えるものではないですけど、「超難解だろうけどおもしろそう」と思いました。
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