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No17659 の記事


■17659 / )  Re[18]: :現存在()
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/10/17(Sun) 09:17:44)
    【第9節 現存在の分析論の主題】 のところから、一部抜粋して見ます。
    「分析論」っていうのは「実存論的分析論」のことだと思う。

    【その分析が課題となっている存在者は、そのつどわれわれ自身なのである〔1〕。この存在者の存在はそのつど私のものである。この存在者の存在において、この存在者はそれ自身おのれの存在〔2〕へと態度をとっている。この存在の存在者として、この存在者は、存在しなければならないというおのれの固有なあり方〔3〕に委ねられている。存在とは〔4〕、この存在者にはそれ自身そのつどそれへとかかわりゆくことが問題である当のもののことなのである。現存在をこのように性格づけることから二重のことが生ずる。】
    この現存在の二つの性格については次のように書かれ始めてる、
    【1この存在者の「本質」は、この存在者が存在しなければならないというあり方をすることのうちに〔5〕ひそんでいる。‥‥】
    【2現存在というこの存在者にはおのれの存在において存在へとかかわりゆくことが問題であるのだが、そうした存在は、そのつど私のものである。‥‥】
    訳注
    〔1〕著者の自家用本の欄外注記によれば、「そのつどわれわれ」という語句が、「そのつど〈私〉」という語句に改められている。
    〔2〕著者の自家用本の欄外注記によれば、本文にある「おのれの存在」について、「しかし、この存在は、歴史的な世界内存在なのである」と、注意が促されている。
    〔3〕第一版の「存在しなければならないというおのれの固有なあり方に[seinem eigenen Zu-sein]」は、第七版と第十一版とでは「おのれの固有な存在に[seinem eigenen Sein]」である。全集版および単行新版(第十四―十七版)でも同様である。
    〔4〕著者の自家用本の欄外注記によれば、この「存在」を指して、「どの存在のことか。それはすなわち、現〔という存在の開けた場所〕で在ること〔つまり、現存在すること〕、そして、そこにおいて〈奥深い存在[Seyn]〉全般を耐え抜くということ〔である〕」と注記されている。
    〔5〕著者の自家用本の欄外注記によれば、「この存在者が存在しなければならないというあり方をするとのうちに[in seinem Zu-sein]」という語句のなかのドイツ語のZu-seinについて、後年のハイデガーは、こう注記している。すなわち、それは、「この存在者が存在し〈なければならない〉と、なのである[da&#223; es zu seyn <hat>]。つまり、それがこの存在の規定〔ないし使命〕なのだ![Bestimmung!]と。したがって、本文箇所もその意を汲んで、右のように訳し改めた。なお、現存在という存在者が「存在しており、そして存在しなければならない」という「現実実性」という「重荷」を背負ったものであるという規定は、本書U13ページ以下の「情状性」の分析箇所で詳述される。

    なんか、ほら、「私」が出てきてる。
    現存在=人間=実存私、ってしちゃおっかな〜?

    つづく


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