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No17617 の記事


■17617 / )  Re[14]:現存在(1)
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/10/16(Sat) 14:00:56)
    ハイデガーの用語「現存在」について、

    「現存在」って日訳されるドイツ語は、[Dasein]みたい。げも[Da-sein]ってハイフンが付いてるのや、[Zu-sein]みたいなのもあるみたい。ここらへんはなんかめんどくさそうだからあまり深入りしないことにする。
    で、簡単に、

    (1) [Dasein]→「現存在」   [Da]が「現」、[Sein]が「存在」

    ところどころ抜粋して見ていきます。

    【学一般は、真なる諸命題の根拠づけの連関の全体として規定されうる。この定義は、完璧でもなければ、学をその真意において言い当ててもいない。諸学は人間の諸態度としてこの存在者(人間)の存在様式を内蔵している。人間というこの存在者をわれわれは述語的に現存在と表現する。学的研究は、この存在者の唯一の可能的な存在様式でもなく、また最も身近な可能的な存在様式でもない。…】(第4節)
    ってあるから、

    (2)ハイデガーの言う「現存在」っていうのは「人間」のこと。

    「人間」でちょっと想い出した。
    フッサールの『デカルト的省察』の訳注にこんなことが書いてあった。

    訳注(30)
    〔Ich, dieser Mensch,bin.:デカルトも、「我あり、我存在する」と述べたあと、それではその「我とは誰か」と問い、これまでは「人間」と考えてきたが、しかし、その答えはいっそう困難な問題へと落ち込むことになるとして、「思う〔思惟する〕我」へと導いてゆく。フッサールにとっても、「人間」というのは「世界」を前提としており、ところがこの「世界」を括弧に入れたのだから、ここで使われた「人間としての我がある」という言い方が、本書第4省察以降では、「人間としての自我(das Mensch-Ich)」と略されて使われることになる。〕

    訳注(45) 
    〔フッサールは「人間」という語をこういう脈略で使う。つまり、それは構成の或る段階において現れる概念であり、まずは「我」においてではなく、「他者」において使われる概念である。したがって、超越論的には、派生的であって、根源に据えることができない概念である。〕
    ちなみに、訳注(45)の本文は、
    【…しかし他方で、このように他者――いまや客観的な世界の内部に私自身と同様に存在している者――を知覚することは、次のような志向的本質をもっている。それは、知覚するものとしての私は、私の原初的領分のただ準現前されただけの原初的領分との間に前述の区別を見出すことができ、したがって、このノエマ的な二重の層構造をその独特な性格において追求し、連合的な志向性の連関を解明することができるということ、これである。客観的自然という経験現象は、現象的に構成された自然の上に、他者経験から由来する、共現前するだけの第二の層をもつ。しかもこのことは、さしあたりまず、異なる〔他者の〕身体物体に関係する。これは言わば、それ自体で最初の客観なのである。ちょうど、異なる人間〔他者〕が構成するという観点から言えば、それ自体で最初の人間(45)であるのと同様に。…】

    哲学者ってたいへんね。
    〔それではその「我とは誰か」と問い、これまでは「人間」と考えてきたが、しかし、その答えはいっそう困難な問題へと落ち込むことになる〕だって〜。
    ん〜? でも、たしかに!
    そうすると次に「ではその人間とは何か」って問うことになって、「人間とは何であるのか」に入り込むことになるみたいだからね。

    【最初の人間】っていう表現、面白い。
    ん〜ん、たしかギリシア神話では神によって造られた人類最初の女性は「パンドラ」だった気がする。
    ――あ、だいぶ横道にそれちゃった。

    「現存在」、つづけます。

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