■17420 / ) |
Re[26]: どうなんタロイモ
|
□投稿者/ パタキ -(2021/10/10(Sun) 21:30:07)
| パニチェさん、お返事ありがとうござい升酒。
ウィトゲンシュタインは語り得ぬものの具体例としてどういうものを考えていたのですか? 不立文字の方は悟りに関することではないかと思っています。
個人的な経験として音楽を挙げると、人は音楽に感動したりします。しかしながら同じ音楽に全く感動しない人もいます。クラシックには涙するけれどロックはただうるさいだけでどこが良いのかわからない人、反対にロックにはストレートに魂を揺さぶられるけれどクラシックはどこがいいのか全くわからないという人、こういうことを考えていると音楽の本質って何だろう?そもそも本質ってあるのかな?と思ったりします。
ボクはクラシックを聴くといいなあと思いますが、それが何故いいのか人に説明できません。それが原理的にできないのかボクの言語能力が稚拙なためなのか、そこはわかりません。
文学を読んで感動しますが、この感動は言葉から受けたものだと思います。言葉には言外の意味というものがあり、コバケンは行間を読んで下さい!と言います。そういうことを考えていると、言葉では語り得ぬものがあると結論付け、早々に思索を止めてしまうのは未だ手順を尽くしていない感はあります。
ですのでパタキとしては今しばらくは特に「ものの本質」について言語で模索したいと思います。
ところでウィトゲンシュタインの「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」という主張は今の哲学界では当たり前田のクラッカーで、今更これに異議を唱える人なぞいないという状況なのでしょうか?
|
|