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Re[57]: Z 第一部 説話[15]
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□投稿者/ パニチェ -(2021/10/10(Sun) 10:55:36)
| 2021/10/10(Sun) 11:01:24 編集(投稿者)
おはようございます、みのりさん、悪魔ちゃん。 横レス失礼します。
■No17397に返信(みのりさんの記事)
>>もうちょっと。 >>>生き残るための人間の都合、意向で、善悪も決められてきた、ってこと< >>を、わたし、<「善・悪」っていうのは人間が生き残るための都合・意向で決められてきた>って見えるんだけど、こういうんでいいかしら?
> うん。そういうふうにニーチェは言ってます。
同意です。 も少し詳しく言うと人間とか特定民族いう種族が維持継続繁栄することに有益なことを善、その反対を悪としているってことだと思います。 牛や豚や魚を食べるために殺すのは悪みたないことを言う人は少ないですからね。
但し、ニーチェは以下のアフォリズムで上記のように仮定して善悪が生じたとしても、悪は人間という種族の抵抗力やより強い種とするための善(必要悪=善)にもなりえるってことを述べています。
『あらゆる時代の善人とは、古い思想の土を掘り起こし、それで収穫をあげる人間であり、精神の土百姓である。しかしついにはあらゆる土地が利用しつくされる、かくてくりかえし悪の犂頭が到来しなければならなくなる。──こんにちでは、とくにイギリスで名声嘖々たる道徳の根本誤謬があらわれている。それによると「善」と「悪」という判断は「目的に適う」と「目的に適わない」ということについての諸経験の蓄積の結果である。それによれば、善と呼ばれるものは種属を維持するもののことであるし、悪と称されるものは種属に有害なもののことである。だが実際には、悪の諸衝動は善のそれらとそっくり同様に高度に合目的のものであり、種属を維持するもの不可欠のものである、──違うのはそれらの機能の点だけである。(悦ばしき知識 第3番)』
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