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No17098 の記事


■17098 / )  解釈の哲学
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/03(Sun) 08:34:07)
    おはようございます、みのりさん。レスありがとうございます。

    No17072に返信(みのりさんの記事)

    > じっくりと全体を読み終えた後では、今考えてるのとまた変化するかも
    > しれないなと、あえて書かなかったのです。
    > 最後らへんには書く予定です。
    > まったく見当違いを書くかもしれないので、その際は指摘をよろしく
    > お願いしま〜す。^^

    ツァラトゥストラは読解の自由度が大きい書籍だと思います。
    これはニーチェも意図しているところじゃないですかねぇ〜。
    だから私の読解も現時点での読解であって、そのうち変わるかもしれない流動的なものであって、言うまでもなく正解でもなんでもありませんから。。。^^

    『いまや、わたしはきみたちに、わたしを失い、みずからを見出せ、と命じる。そして、きみたちがみな私を否認したときに初めて、わたしはきみたちのもとへ帰って来ようと思う。まことに、わたしたちの兄弟たちよ、そのときわたしは、違った目で、自分の失った者たちを捜し求めるであろう。そのときわたしは、或る違った愛で、きみたちを愛するであろう。そして、さらにいつの日か、きみたちはわたしの友となり、同じ希望の子となっているであろう。そのとき、わたしは三たびきみたちのもとにあって、きみたちと共に大いなる正午を祝おうと思う。ところで、大いなる正午とは、人間が自分の軌道の真ん中にあって、動物と超人の中間に立ち、自分が歩み行くべき夕暮れへの道を自分の最高の希望として祝う時である。というのは、それは或る新しい朝への道だからだ。そのとき、没落して行く者は、自分がかなたへ渡って行く者であるというので、みずから自分を祝福するであろう。そして、彼の認識の太陽は、彼にとって真南に位置しているであろう。「すべての神々は死んだ。いまやわれわれは、超人が生きんことを欲する」──これが、いつの日か大いなる正午において、われわれの最後の意志であらんことを!──このようにツァラトゥストラは語った。(ツァラトゥストラ 贈与する徳について3)』
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