□投稿者/ pipit -(2019/08/16(Fri) 23:48:12)
| パニチェさん、こんばんは
> 私の場合は〈私〉に関する探究によって自己を見極めることによって見性体験と同等の境地を目指しています。 > 自己を探究する道具として知識は使います。 > 底を抜く際に知識が邪魔になる理由は自己の本質(真我)は何も纏っていないあるがままの存在そのものであるためだと想像します。 > 西田哲学で言うところの純粋経験のようなもので、認識による加工(自他、主客の区別など、「それは何?」から始まるさまざまな照合や言語的な分析)以前の状態なんだと思います。<
「それは何?」から始まる、というのがおもしろく思いました。
推測、という言葉が頭に浮かびました。
それそのもの、ではなく、推測
思考って、全て、推測なのかなー 対象を置く、から、タイムラグあるのかなー
パニチェさんは、思考は全て推測と思われますか?思われませんか? 思考について別の考え方をされますか?
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