□投稿者/ pipit -(2021/09/06(Mon) 16:42:32)
| 読んでみるかー ページ挟んでるところから。
挟んでたページは、 超越論的な分析論 の 概念の分析論 の 第二章 純粋知性概念の根拠づけ[=演繹] の 第二節 純粋知性概念の超越論的な根拠づけ の 第一五項 結合一般の可能性について (中山先生本第二巻p112から。中山先生独自番号142。B130あたり)
pipitの感想。 今見てるものから概念を引いたもの、が、感覚的な直観とカントは考えてるとしたら、 その直観に、多様なものの結合は存在しない、と、言ってるのかな、と。
多様なものが、直観に与えられて、それらを結合するのは、知性だと。 そして、結合する働きに総合という名称を与える。
総合があるから、分析も生まれる。 レゴで言えば、結合させてないとき、分解もあり得ない、だね。
でもね、と、カント。 結合という概念には、多様なものという概念と、多様なものの総合という概念の他にも、こうした多様なものの統一という概念も含まれてる。 結合とは、多様なものが総合的に統一された像。
うーん、違うかもだけど、 個別の存在としての統一のための結合、かなぁ。 例えば、わたしたちは、何かを個別に存在するものとして分別する。 とりあえずそう思って読み進めます。
カントの文章 『むしろ結合の概念が可能となるためには、まず〈統一されたもの〉という像が、多様なものの像に加わる必要がある。』 中山先生独自番号143、B131あたりより引用
指向性?
レゴのブロックで統一という概念のもと結合させていくんだね。そして対象が出来上がる。
この統一性は、カテゴリーの単一性の働きによるものではないだろう、と。 判断においては、もう所与の概念の統一が思考されてる、と。 この統一の起源を探す必要がある、と。 その起源が、判断においてさまざまな概念の統一の土台となる。
、、、うぅ、ここで、あの難所につながっていくのか( ; ; )
なんとなくだけど、この起源を、『わたしは考える』という自己意識につなげていく雰囲気を感じてます。。。
沼すぎ箇所かも。。。
次は、第一六項 自己統合の意識[=統覚]の根源的で総合的な統一について です。( ; ; ) 中山先生独自番号144、B132あたりから。
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