(現在 過去ログ2 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

No16051 の記事


■16051 / )  Re[7]: 序論日記
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/09/04(Sat) 19:26:35)
    pipitさま、お邪魔しま〜す。

    カントの「超越的」と「超越論的」、中島義道ちゃんの意味から見て、わたし簡単に見て、
    超越的=神的
    超越論的=人間のうちの神のような
    ってしちゃってる。

    No16008
    >認識する仕組みにより生じた結果の認識 しか 認識 できない のに 認識の仕組み を 認識しようとするのは、ある意味、超越 であって、だから超越論的なのかなぁ、と、思った。<(a)
    なんかこれって、なんかわたしのと近しいかも?

    「するもの」と「されたもの」の関係において、「されたもの」が「するもの」の仕業を捉えようとすること、
    神が人間を創った、としたとき、「するものである神」を「創られたものである人間」が「するものである神」の仕業を捉えようとすること、
    これって、人間のうちの神のような(超越論的な)ことね。

    あ、これってあくくまでも”カントの”に関してのわたしのよ。
    わたし「神」を前提にしてないから。わたしのと異なるよ。

    「理性」を神が人間に与えしもの、って見るとき、でもこれってあくまでも「するもの(主)」である「神」によって「されたもの」である限り、あくまでも人間のうちの神のような(超越論的)にすぎなく(人間の認識の限界)、っていうふうにもわたしには見えてる。(わたしのばあい「認識」=〈真正な判断〉で、これは「理性」による判断によるもの、ってしてる。とくにカントのについてわたしが語るときにはね)

    前に書いたと思うけど、中ちゃんの、
    〔…人間の認識の限界を設定することができるためには、われわれはその外側に位置する「超越的なもの」にーー認識できなくとも――何らかの仕方で関与できねばならない。カントによれば、人間理性は「超越的なもの」に「仮象」(Schein)というかたちで関与するのである。つまり、「超越的なもの」を捉えようとすると人間理性は必ず仮象に陥る…〕(仮象=誤った現れ=錯覚ね)
    を想い出してる。

    なんか長くなっちゃったみたい。
    (a)について”わたしが思ったこと”があったので書いて見たよ。






返信/引用返信 削除キー/


Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -