□投稿者/ pipit -(2021/08/16(Mon) 00:10:53)
| 2021/08/16(Mon) 07:30:38 編集(投稿者)
検索してでてきた一昨年のつぶやき日記です。 わたしは、カントの思考回路を理解してみたいのですが、執着が過ぎるかも。。。 でも知りたいなー 。・゜・(ノД`)・゜・。
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No.1824
読書籠り部屋「アプリオリな総合判断はいかにして可能か」 は、続けるつもりだけど、その前に、思いついたこと。 勉強するうち修正可能性ありです。
【三角形の内角の和は180度】 この命題、 三角形の内角の和、という概念の内に、 180度という概念は含まれておらず、 〈ホニャララ〉に依存して、180度が出てきた。
っていうのが、カントの考え方の基本形だと思ってる。
それで、〈ホニャララ〉が、何か、だけど、 カントは、それを〈人間のアプリオリな純粋直観〉とした。
でも〈ホニャララ〉が〈経験〉と考える人もいると私は思う。
たとえば、 最初の三角形という概念が、三角形という経験を把握した言葉で、その把握の内に、 内角の和は180という現実的な性質が含まれてるので、 この命題は分析判断って考えることもできるかも、って思おうと思ったら、思える気がする。 この考え方は、5+7=12の命題が分析判断としたら、って、私が前に書いたときの考え方と同じですね。
それでね、カントがなぜ、アプリオリな総合判断にこだわるか、って言ったら、 数学が必然的と思ってたからでしょ? そして、経験は必然的ではないと思ってたからでしょ? ヒュームは、人間の判断は習慣としたのが、嫌だったんでしょ?
それで今の段階で思ったことなんですけど、例えば、
三角形の内角の和 は〈経験に依存して〉180度。 経験に依存してることを、アポステリオリと言う言葉で示すとして、 もし、冒頭命題が、【アポステリオリな】総合判断、と判断しても、 カントの問いは有効なままなんじゃないかな、って。
私の経験も中国人の経験もアフリカ人の経験も はたまた、300年近く前のプロイセンという王国に生まれたカントという人間の経験も、 数学を理解できる能力が備わってその能力を開花させるなら、 同じ経験が得られる、ということでしょう? 【ユークリッド幾何学で言えば、三角形の内角の和は180度】、って。
ユークリッド幾何学って限定入れるのズルい、とか、カントは言ってない、 とか思うかもだけど、 カントが言おうとしてるのは、結局そういうことでしょ? なぜ、三角形の内角の和が180度が必然となるのか、は、経験を成り立たせる条件として純粋直観を人間なら使ってるから、でしょ?
ポイントは、なぜ、主観はバラバラなはずなのに、わたしたちは共通の知識を持てるのか、でしょ?
その知識は経験から、と、いっても、なぜ、私とあなたで、同じ経験を得るのか、でしょ?
だったら、カントがアプリオリな総合判断だ、としてる命題を、 いや違うよ、 その命題は@アポステリオリな総合判断だよ、または、 Aアプリオリな分析判断だよ、と言っても、
@は、その経験が知性あるもののうちでは共通の知識と出来得るのはなぜか Aは、分析判断となることを可能にした最初の概念設定が知性あるもののうちで共通になされ得るのはなぜか
という問いは解決してないままだと思う。 カントはその問いに、感性の形式としての空間と時間、 知性の形式としての純粋知性概念、という考え方によって カント内では論的に解決したとしたんだと思ってる。
それが現実として私にも有効なのか、あなたにも、あの人にも、有効なのか (わたしたちはアプリオリな純粋直観を現実に使用してるのか) は、、、私にはまだわからないなぁ。
まあでも、おもしろいね。
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おやすみなさい ☆彡
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