□投稿者/ パニチェ -(2021/08/04(Wed) 20:00:51)
| こんばんは、アートポットさん。横レス失礼します。
■No15401に返信(アートポットさんの記事) > ニーチェは最終的に狂人になったと聞くが、 > ウィキペディアで流し見して膨大な文字数で読むのを止めたが、 > 狂人になるなんて、麻薬か、抵抗勢力に因るガスライティング、 > の、どちらかでしょうに。 > 狂人後に穏やかな表情だったと聞いてるのでガスライティング説は可能性は低いかもしれない。 > けど、けど、けど、うーーーーーん。
脳梅毒です、多分。
残っている記録としては以下となります。
******「ニーチェの病跡─ある哲学者の生涯と旅・その詩と真実─」より引用****
ニーチェの既往症および遺伝負因
1.頭痛や眼痛発作は幼少の頃(1858年ニーチェ14歳の日記)よりあり、遺伝性のものと考えられる。 2.父親が脳疾患で死亡。父親の姉妹はヒステリー的でやや病的な人格異常が認められた(ニーチェの母がイエーナ病院で陳述)。 3.母親の2〜3の兄弟は精神的にやや異常で、ひとりの姉妹は自殺し、もうひとりの姉妹は狂気になった。また兄は精神障害に陥った(ニーチェ家と親しいOla hansson家の家族の陳述)。 4.弟Josephは2歳の時に脳発作(脳卒中?)で死亡。 5.1865年、発症したリウマチによる髄膜炎 6.1867年、徴兵中に落馬、胸骨を骨折し、のちにその部分が化膿し数週間の治療を要した。 7.1870年、普仏戦役に志願従軍し、エアランゲンで赤痢と咽喉ジフテリアにかかり、その後、生涯胃の異常(嘔吐や胃痛)を抱ることとなった。バーゼルに帰還した後も黄疸や不眠症に悩まされた。 8.1875年、医師から処方された硝酸銀を服用。 9.1883年、不眠症のため塩素性の睡眠薬を多量に服用。 10.1889年1月7日、トリノでのカタストロフィー(発狂) 11.1889年1月〜1899年5月、イエーナ大学病院での水銀湿布治療。 12.1900年8月25日没
※複数の医学者によるニーチェの病気についての見解 梅毒による進行麻痺性精神障害(梅毒性脳膜炎) 器質的脳疾患 内因性の遺伝性疾患(分裂症、躁鬱病)
*************** 引用終わり ***************
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