□投稿者/ 愛満開 -(2021/08/01(Sun) 10:34:40)
| 神は、救いの御計画を実現するために必要な人たちの役割と使命として用いました。神がイスラエルを選ばれたのは、彼らが他の民族よりも正しく優れているからではなく、誰にも恵みを下さる神の主権に依りました。 神が選民のイスラエルだけを救うのではなく、彼らを光の通路として用いて創造前から予定されていたキリストを通して全世界を救おうとされる絶対的な御計画を成就させるためでした。
すなわち、アブラハムの子孫であるイエスキリストによって全人類が祝福を得るためでした。
「あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである」(創世記22章18節)
個人の救いが目的ではなく世界を救うための使命とその役割を神が「予定」されていたのでした。
オランダ改革派出身のヤーコブス・アルミニウスは、もともとカルヴァンの思想を強化すべく学んでいたところ、意に反して二重予定説が誤りであることを見出してしまったようです。
キリストの贖罪は、選ばれた限定的な人たちの贖罪(制限贖罪説)ではなく、神を意識的に拒む者をも含む「全人類のため」であり、神の予定とは、二重予定説ではなく、アブラハムの系列のイエス様の贖罪によって「全ての人類」のために救済を予定される御計画の意味での「予定」でした。
カルヴァン主義のように一度救われたら絶対に救われると言うのではなく、救済は相対的保証に過ぎない。なので、後で滅びる可能性もある。
「正しい人がその正しい行いをやめて、不正を行うなら、わたしは彼の前につまづきを置く。彼は死ななければならない。」(エゼキエル 3章20節)
「見みよ、わたしはすぐに来くる。報いを携たずさえてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう」(ヨハネの黙示録22章12節)
つまり、仏教でいう「自業自得」ということですね。 カルヴァン派が恵みと神の予定、聖定を強調するあまり、あらかじめ決まっているのだから伝道しなくてもよいような、空しいような考え方に陥ってしまうこと、人間の自由意志を軽視しているとアルミニウスは考えたようです。
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