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Re[61]: Z 第一部 説話[3]
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/07/21(Wed) 20:54:26)
| みのりさん、お邪魔しちゃう〜。
ツァラトゥストラって、ニーチェじゃないよね? ここんとこちょっと確認しときたいん。
以下は、ふと、だからどうでもいいことだけどお喋りしたいから。
■15079で、 >ツァラトゥストラにとっての自我とは、言葉という次元における自己存在、すなわち、自我は「話す」ところのものである。そして、自我の存在を根源的に規定し、自我存在に意味を与えるのは、身体としての自己に他ならない。自我の固有の機能が「話す」ことであるなら、この自我の徳とは「正直さ」である。つまり、みずからの存在の根源としての自己(身体)に対する正直さ。< っていうところなんだけど(どうしてここに「徳」っていうのが突然出てきてるのかよくわかんないけどま、いいわ)、
「自我」=言葉という次元におけるおける自己存在、「話す」ところのもの。 「自己」=身体(上記の「言葉という次元における自己存在」は〈言葉という次元における身体存在〉ってなるよね) なんだったら、「自我」「自己」という語を使わなくてもいいよね? でね、これらの語を抜かしてかして書きかえちゃって見たよ。
〉ツァラトゥストラにとって、言葉という次元における存在、「話す」ところの存在を根源的に規定し、存在に意味を与えるのは、身体に他ならない。固有の機能が「話す」ことであるなら、徳とは「正直さ」である。つまり、みずからの存在の根源としての身体に対する正直さ。< ってしちゃったけど、こういうのどう?
あ!そうね、書きかえはダメよね。こういうの”違法”になる。 教科書通りが生きる術、っていうことで、これ正解ね。 白猫さまは、この範疇外っていうことになるのかな?
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