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No15084 の記事


■15084 / )  Re[10]: フッサールの「我ego」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/07/20(Tue) 20:20:27)
    ■15044のつづきね
    わたしの見え
    (1)(a)から、「我」というのは、私の原初的な固有領分の内部で構成されたもの。
    (2)(f)から、「我」というのは、心的領分であるということ。
    (3)(a),(d)から、「我」は〈私の---私自身〉から、「我」を「自身」として見る。
    (4)(d)より、「我」というのは、身体と直接かかわるもの。
    (5)(d)の「原初的世界」を〈原初的な精神世界〉として見ると、(2)とあってる。
    (6)(b)の「心理物理」を〈心理を精神、物理を身体〉として見ると、(4)(5)とあってる。
    (7)(b)(d)(e)(f)から、「我」というのは、「唯一の」であり「主体」である、っていうこと。

    って見て見た。

    (c)の「人格」っていうの、訳注に書いてあったのを書き写して見ます。
    〔Person:この語には、中世キリスト教以来の伝統があるが、フッサールがこの語を使うとき、ロックが「人格〔人物〕の同一性」を論じたこと(『人間知性論』)、カントが理性的存在者(他者)を「物件Sache」でなく「人格Person」とみなすように論じたこと(『道徳形而上学原論』)、そしてソシュールが人格を「対象化されえない作用中心」と考えたこと(『倫理学における形式主義と実質的価値倫理学』)、これくらいを念頭に置いていると考えられる。フッサール自身は「人格」の問題を「人格主義的態度」とともに、『イデーンU』で考察していた。ロックは、「人格」を「理知と省察を持ち、自分自身を自分自身と考えることのできる、思考する知能ある者」と定義していたが、この定義を満たしさえすれば、人間以外の(ないしは、以下の)動物といえども「人格」と呼ぶことができる。同様にしてフッサールも、「人間以下の「人格」」と述べている。〕
    ってすると、「人格的」自我、っていうのは、「理知と省察を持ち、自分自身を自分自身と考えることのできる、思考する知能ある者」的自我、っていうことになるのかも。

    (5)で「原初的世界」を〈原初的な精神世界〉って見たんだけど、わかりやすくいうと〈乳幼児の精神に現れてるもの〉って見てるよ。

    こういうのって、知性豊かな大人を”対象”としてる人には関係ないけどね。
    んん、言いかえると文化的存在(人間が作り出したもの)から思いをはせてる人には関係ない話しっていうことね。

    つづく

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