□投稿者/ pipit -(2019/07/14(Sun) 18:12:27)
| パニチェさん、返信ありがとうございます
> カントは詳しくないので、以下はカントとは切り離して(万が一の確率としてカントの言っていることと同義かもしれませんが)読んで下さい。 > > 結論から言えば究極的な〈私〉(日常的に使う「私」という言葉とは区別して、永井均氏に倣って〈私〉と表記します)が知識や感覚に属するものを取り去った後に残るものだと考えています。 > > 〈私〉とは言語に先立って、今、ここにあるがままにある唯一無二の存在、他のどのようなものも並び立つことができない世界の限界に位置する独在論的存在〈特異点〉で、究極の自己(仏教的には真我と同義かもしれませんが。ここはまだ探究中です)みたいなものだと考えています。<
あ!オンリーワンの〈私〉! パニチェさんが、前にニーチェ関連で発言されていた 『世界に一つだけの花』を思い出しました。 (勘違いしてたらすみません)
> 言葉によるラベリングで誰にも当てはまるような対象となり、一般化されることで変質してしまうような存在であるため、言語表現できない対象です。<
オンリーワンの〈私〉だけど、 『わたし』と言ったとたん、『わたし』という内容空虚な言葉が立ち現れる。 言ったとたん、は、少しのタイムラグもないとすれば、
言語化は不可能。。。
というようなことを思いました。
>>変な質問ですみませんm(_ _)m > > いえいえ、私でよければ、なんなりとどうぞ。^^<
わ〜い、そんなこと言ってもらえたら 聞いちゃいますよ〜
また、いろいろ教えていただければありがたいです、 よろしくお願いしますm(_ _)m
おつかれさまです!
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