□投稿者/ pipit -(2019/06/29(Sat) 17:28:52)
| パニチェさん、返信ありがとうございます
> 私は悟りを脳のある状態と考えております。 > 無我(無自性)を体得することによって個としての苦も無実体であることを身をもって知る。 > > 但し、禅定はスポーツとか入浴と同じで、悟って終わりではなく、繰り返し行うことで維持できたり深まったり、日常で汚れた真我を清浄することができるのだと思います。 > > 脳と見性に関しては、著名な脳科学者であるジル・ボルト テイラーが脳卒中から見性体験を経て回復するまでを記録した「奇跡の脳」が面白かったです。<
熟達すると、自分の意志で、自在に脳の状態をコントロール出来得るのかもしれませんね。
無我、って、どんな世界なのかなー
無分別、って、、、
って、やっぱり練習しないと難しいのかな、私の心の中に映る世界は、 境界線ハッキリクッキリです (^^;;
> 煩悩が完全に消滅することは少なくとも私に関してはありえないと思います。 > 四苦(生苦・老苦・病苦・死苦)をはじめとした苦を克服することはなんとなくできそうな気はしますが、実際に病や死に対峙した時に、自分の見性悟道が本物だったかどうか分かるのでしょうね。<
病や死に対峙したとき、ですよね
そうかぁ、パニチェさんが、どう死ぬかはどう生きるかだ、みたいなこと おっしゃってたの、そういうことなのかなー(って勘違いしてたらすみません・汗)
> 禅定せずに、哲学的な自己探究(〈私〉に関する問いやテーマ)でもって有余涅槃に至れれば、それに越したことはないですが、たとえ悟れなくても、修証一等(修証不二または禅戒一如:悟りと修行は離れたところになく同じ。一寸坐れば一寸の仏)を指針としています。<
一寸坐れば一寸の仏、って、私の意識がはっきり注目する上でははじめて知りました。
とてもいい言葉ですね。
智慧、から、解脱目指されてるのですね。
かしこいひとは、きっと、やさしい、ですよね (o^^o) (イメージ)
やさしい人は、、、かしこくない人もいるのかな ?? きちんと説明してくださって感謝です!
今日の朝刊に、G20の写真が載ってて『大阪でケンカは、あかん』って大きめの文字タイトルついてました。
この文字つくと、各国首脳が(各自企みいっぱいで)並んだ写真がとてもいい写真に見えました。
関西わ〜るど、いいですね !
うちの次男くんは、押しの強さが苦手みたいですけど(^^;;
ありがとうございます、おつかれさまです
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