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pipitさんへ 気分転換(;´・ω・)
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□投稿者/ うましか -(2021/06/10(Thu) 21:02:40)
| こんばんは。pipitさん。 毎日暑いですね〜(´;ω;`)ウッ…
カント沼でいつもおぼれてばかりなので、今夜は気分転換にこのBBS内を散策することにしました〜
散策しながら目に留まった話題が二つ。カントとも無関係な話題ではないでしょうが、門外漢だし、意見交換するだけの知識も交流する気力もないので、ここにメモしておきます。
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@ザフランスキーによれば、ショーペンハウアーは1814年の夏に『ウプネカット』を初めて読んだらしい。彼はこの本をヘルダーの弟子であり、インド学者としても名をなしていたフリードリッヒ・マイヤーから教えられたとのこと。 『ウプネカット』は、仏教以前のバラモン教の秘密の教義『ウパニシャッド』の、1801年出版の翻訳(サンスクリット原典のペルシャ語訳のラテン語訳 (;゚Д゚))で、フランス人のアンクティルがこの資料集を『ウプネカット』と題して出版したもの。 ちなみにザフランスキーは「精神的なインドを発見した」のはロマン派の功績で、(カントと比較し)ヘルダーが「その道を切り拓いた先達」だとのべる。
→ ザフランスキー『ショーペンハウアー』、山本 尤 訳、p.342、p.343参照 → 他に、世界の名著45 ショーペンハウアー、p.63〜の西尾幹二の解説参照
A『ニーチェ事典』(弘文堂)によれば、ニーチェは1865年の10月末〜11月の初めに古書店でみつけたショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』(1819,1844)を読んだそうで、1868年には東洋学者ヘルマン・ブロックハウス(1806-1877)の家でヴァーグナーとショーペンハウアーについて会話したとのこと。 まあしかし、ここでの私の関心は「ショーペンハウアー」「ヴァーグナー」「ニーチェ」とか、では全然なく「東洋学」にあります。東洋学 Orientalistik という分野がいつごろから、そう呼ばれ、どのような内容で成立していたかということは、ニーチェが「東洋的」という言葉を使うときの意味を考える際の手がかりの一つになるのではないか?と思ったのでした〜 →ニーチェ事典、p.705、p.706参照
やっぱりつかれた〜(´;ω;`)ウッ…
この話題はもうおしまーい!
それでは〜
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