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Re[1]: 哲学の雑談 13
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□投稿者/ 愛満開 -(2021/06/06(Sun) 13:23:35)
| パニチェさん、こんにちは。 ご質問についてお答えしたいと思います。
>愛満開さんは以前にtollさんから勿忘草さんが主張していた二重予定について問われ、以下で「納得できない点があります」と述べています。 今回、 No13637 では勿忘草さんと全く同じように同じ動画を紹介し、ウィトゲンシュタインに影響され二重予定説ではないが、と断りながら同じ論旨を繰り返しています。 これはどういうことでしょうか?
私は、勿忘草さんのような二重予定説には疑問を持っています。ただ、勿忘草さんが紹介していた例の動画を念のために見たところ意外とその内容が、とても説得力があって、気に入ったので今回、上げさせて貰いました。
死は必ず生きている途中にやって来ます。 永遠に存在するのは、神だけであり、神以外のものは、すべて被造物で、永遠ではない無常なものです。
私は、救済とは、人の自由意思と神の予定とのミックスなのであり、どちらかに偏るとは思っていません。
しかも、イエス様の十字架による肉と血の贖罪によって三位一体の神との相互愛が現世でも亡くなってからの私審判、公審判の「最後の審判」でも続いて行くことからが大切だと思っているところです。 そして、「最後の審判」は、避けることは、決して出来ないということです。
この審判での人間の罪状は、神に背いた罪です。
それを赦すかどうかは、神が裁量で決めるものであり、有罪なら、永遠の炎で焼かれ、罪を赦され無罪放免になれば、神と共に永遠に生きるのです。
なので、私たちは、この現世にいる生きているうちに、キリストの犠牲を受け入れるか、あるいは、拒むか選択しなければなりません。 この地上での命が終わる前にそれを選ばなければならないのです。
死んでしまったら、もう何の選択の余地もありません。 あとは、ただ、神の御前に立つだけです。
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