□投稿者/ pipit -(2021/05/28(Fri) 16:28:04)
| > 一応、経験についてのカントの文章の一つとして、 > B218、219あたり? > 中山先生の独自番号では、251(第3巻p99) > に、説明文章があります。 > > 『純粋理性批判3』中山元先生訳、カント、光文社古典新訳文庫、p99より引用(カントの文章) > 『経験とは、経験的な認識のこと、すなわち知覚によって客体を規定する認識のことである。だから経験とは知覚の総合であるが、この総合は知覚そのもののうちに含まれているものではなく、知覚された多様なものの総合的な統一を、一つの意識のうちに含んでいるのである。この総合的な統一が、感覚能力による客体の認識の本質であり、(たんに直観や感覚能力による感覚ではなく)経験の本質である。(略)』 > (引用終了)<
受動意識仮説や アンドロイドの認識、といったものが頭に浮かんでしまうんだよね。
アンドロイドに、どのように『経験』させるか。
センサーからのデータ群を、どのようにまとめて、経験という現象をアンドロイドにとって成り立たせるか。
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