□投稿者/ pipit -(2021/05/17(Mon) 18:35:26)
| No.12747 > カントは、「形而上的なもの」(わたしのでは〈神的なもの〉)を捨て去ることはできなかったってわたし見てるから、彼が人間の認識を考える前提に〈神的なもの〉があった、ったいうのははずせないと思う。上記の文の、『理性』や『能力』のまえに〔人間の〕っていうのをつけて読んじゃうのね、わたしのばあい、彼が言っていることを理解しようとするとき、「神対人間」っていう構図のうちで見て見る、っていうこと。<
悪魔ちゃんの見方とは、またすこしだけ別の見方として、
何かを置くと(概念として意味を形成する・知る対象を作る)と、何か以外も置かれる、って現象が生じることもあるかも、と、思ったよ。
その人にとっての「イチゴ」が生まれると、その人にとっての「非・イチゴ」も生まれる可能性が出てくるかな、って。
形而上と形而下も、二分法になるのかなぁ。
ふと思ったこと書きました。
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