□投稿者/ pipit -(2021/05/09(Sun) 15:02:28)
| 怠け心で、『カント事典』を開いてなかったのですが、 【演繹】の項目を開いたら、 「形而上学的演繹」と「超越論的演繹」を対比させて記述されてる箇所がありました。 抜粋引用します。
『カント事典』弘文堂、p39〜『演繹』より抜粋引用。執筆・石川文康先生、湯浅正彦先生。 『(略) カント哲学においては、総じて、経験に由来するのではないアプリオリな概念やアプリオリな総合判断が普遍的かつ必然的に経験の対象へと関連すること(普遍的かつ必然的な客観的妥当性)を証明するような議論を「超越論的演繹」と言い、 そうした概念や判断がまさにアプリオリな起源をもち現に所有されていることを明示する議論を「形而上学的演繹」と言う。 (略) 要するにカントは、(1)最高原理のアプリオリな起源と所有の明示、ならびに、 (2)その原理としての機能(客観的妥当性)の確立を目指して哲学的な議論を展開したのであり、 (1)が形而上学的演繹、 (2)が超越論的演繹である。 (略) 第一に、純粋悟性概念をアプリオリな概念として提示する手続きが形而上学的演繹と呼ばれる。具体的には、悟性が判断を成立させる論理的な機能と、純粋悟性概念であるカテゴリーとの一致という原理にもとづいて、諸カテゴリーが体系的かつ完全に導出される。 古来カテゴリーとは、存在者の最も基本的な存在構造を示す存在論的根本概念であり、『純粋理性批判』は一面において形而上学、とりわけその基礎理論としての存在論の再構築の企てであってみれば、純粋悟性概念の導出が「形而上学的」演繹と呼ばれるのも当然であろう。 第二に、事実問題と権利問題との区別にもとづき、カテゴリーの客観的妥当性を証明する議論が超越論的演繹と呼ばれる。 (略)』 引用終了。
うましかさんの投稿がきっかけで、目を通しました。 感謝です(^人^)
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