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No12391 の記事


■12391 / )  知性と判断
□投稿者/ おくたがわ -(2021/05/05(Wed) 10:22:06)
    おはようございます。
    中山元訳「純粋理性批判巻2」で、「ちょっと何言ってるかわからない」状態だった部分がやっと解読できた(つもり)ので報告します。

    第一節 知性一般の論理的な利用について p83あたり
    102 知性と判断
    中山元訳
    『ところでどのような判断のうちにも概念が一つは含まれているが、こうした概念はほかの多数の概念にも通用するものである。そしてこれらの多数の概念のうちには、一つの与えられた像が、そして対象と直接にかかわるような像が含まれている。たとえば「すべての物体は分割できる」という判断を考えてみよう。この「分割できる」という概念は、ほかのさまざまな概念とも関係する。しかし「[他のさまざまな概念のうちでも]分割できるという概念がここでは物体という概念に関連付けられている。そしてこの物体という概念は、わたしたちが経験するさまざまな現象と関連付けられる。だからこれらの[さまざまな現象の]諸対象は、「分割できる」という概念によって、間接的に思い浮かべられるのである。
     このようにすべての判断は、わたしたちのさまざまな像を統一する働きをする。まず対象と直接にかかわる像が存在し、その上位に、その像と[それに関連付けられた]そのほかのさまざまな像を含む高次の像が[概念として]あり、これが対象を認識する[判断の]ために利用される。この高次の像において、ほかのさまざまな可能的な認識が、一つにまとめられる。』

    次に、
    J. M. D. Meiklejohn訳(The Critique of Pure Reason . Kindle 版). にもとづく拙訳 
    『Of defined above use of understanding ingeneral』 (1254)
    「In every judgement there is a conception which applies to,〜」からの部分。
    /拙訳
    全ての判断は概念を含んでいるが、この概念は他の多数の概念に対しても適用可能なものである。そしてこの概念は、それら多数の概念のうち、最終的に対象と直接にかかわるような一つの与えられた像を含んでいる。
    例えば「すべての物体は分割できる」という判断において、「分割できる」という概念は他の様々な概念に適用しうる。しかし、それらの中で、ここでは特に物体という概念に適用されている。そしてこの物体という概念は、我々が経験する明確な諸現象に結びつく。それゆえ、これらの対象(諸現象)は「分割できる」という概念によって間接的に表すことができる。このように、すべての判断は我々の様々な像を統一する機能を持っている。すなわち、直接の像に代わって、その像や他の様々な像を含むより高次の像が、我々が対象を認識するために利用され、それによって多数の可能な認識が一つにまとめられるのである。/拙訳ここまで/

    //中山元さんの『まず対象と直接にかかわる像が存在し、その上位に〜』の部分がかなり違いますが、英文ではそう読めず、原文がそうなのか元さんの意訳なのか(意訳としては適切かも)


    ****
    現段階での自分の理解
    「分割できる」という高次の概念は、様々な概念や像に適用できるが、「すべての物体は分割できる」という判断では「物体」という概念に適用されている。また物体という概念は、リンゴ・UFO・パソコンなど様々な対象に適用できるが、これらは最終的に個々のリンゴ・パソコンなど我々が直接に経験できる(UFO?)対象に結びつく。「すべての物体は分割できる」という判断によって、(個々の)リンゴ・UFOなどが分割できるということも間接的に示される。

    (高次)「分割できるもの」⊃「物体」⊃「リンゴ」∋このリンゴ(最終的に対象と直接かかわる像)

    『(判断に含まれる概念は)対象と直接にかかわるような一つの与えられた像を含んでいる』の部分(中山さん『像が含まれている』)、含むという言葉を使っているのは上記の包含関係を示しているのでは。
    英文において「判断が像を含む」ではなく「概念が像を含む」となっているため、このように解釈しています。

    「クジラは哺乳類である」という判断ならば
    哺乳類⊃クジラ⊃シロナガス∋目の前のシロナガス

    『それによって多数の可能な認識が一つにまとめられる』『この高次の像において、ほかのさまざまな可能的な認識が、一つにまとめられる。』は、おそらくですが
    クジラについて「海にいる」「大きい」「食べられる」「食べてはいけない」「分割できる」などなど様々な概念による可能的認識を考え得るが、その中で、「クジラは哺乳類である」という判断においては「哺乳類」という概念を適用してまとめている。

    ここは、感性による直観は受容的だが、概念による認識・思考は自発的という件と関係するかも。
    対象から触発されて受容的に発生する像とは違って、どのような概念を当てはめるかによって判断の内容が変わってくる(非受容的)
    「リンゴ」に対して「果物」「食べられる」を適用するか「落ちる」を適用するか。
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