□投稿者/ おくたがわ -(2021/04/22(Thu) 09:08:33)
| ■No11922(Welcome&雑談 7)に返信(つばめさんの記事) おはようございます。
> >事実問題の解決としては重要なのだと思います。苦しい経験を材料にして、同じ失敗をしないように修正するという。感情を伴うことは記憶に残りやすい。ということも関係あるかも。 > > うん。うん。あるかもです。
勝手に飛びます。 理由は分からないが意識というものが発生して(たまたま?)、「私」をめぐるエピソード記憶が可能になり、そこに感情が伴い楽しい結果や苦しい結果の記憶によって行動を修正できるようになる。それは生き残る確率を高めるので、そういう能力を持った種が定着した。(しかしそれが他の生物にない苦悩をももたらし…)勝手に進化論に結びつけましたが、進化心理学が実際にどう見ているかは知りません。 > >しかし、「苦しみ」自体を消そうという目的で、この苦しみには意味がある、これはいつかきっと役に立つ、この苦しみがあるから他者の苦しみを分かる人になれる とか > そういう意味付けは役に立たない。やればやるほど深みにはまる可能性すらあるように思っています。 > 逆に、この宇宙の大きさからみたら自分の苦しみなんて、とかも同じく。 > > おくったがわさんの言われることわかると思います。 > ただ、・・・・まるっきり「役に立たない」ようにも思えない。
そうですね。引用を見て、えらく断言しているな自分、と思った。 自分の経験と(僅かな)知識からはそうなるというにすぎないのに。 あと、気づいたのは 「苦しみに意味がある」という考え方の有効性の有無から 「なんらかの考え方」で苦しみを解消しようとする内面的営みの是非・方法の有効性へズレたと思います。自分のせいで。 「相手に好意を持つことで人間関係が改善されるか」という問いを 「人間関係を改善するために相手に好意を持とうとすることは有効か」にずらしてしまったかんじ。(後者を有効と考える人がいたら、逆に分かりにくい例?
> てか、役に立つ人には役に立つのだろうと思ったり。 > 「この苦しみには意味がある」というのは最大の癒しのような気もするし > 宗教のだいご味なんじゃないかと。
また話がズレますけど、以前考えたのは、自分のせいだ、と思えることは癒しになるのかなと。 なので、苦しみには理由がある-この苦は自分のせいなのだ なら。
そういうことを考えた経緯は、 臨床心理かカウンセリングだったかの話題で、苦しみなどの原因・責任が自分に(も)あると納得できたら癒しになるが、天災とか幼時に受けた虐待など自分のせいだと思い難いケースが難しいという話を見て、 同じ頃に、それとは別な話題ですが、愚さんという(しばしば登場する)禅の見性者が、「自業自得」について(やや物議を醸す)発言をしていて、通常は本人のせいと思えない出来事でも自業自得という見方を持たせて癒すような装置が仏教の中にあるのか、とちょっと考えたのでした。それは他の宗教にもあるのではないかと。 これは、ツバメさんの話と時間の方向が逆だと思うので、違う話で申し訳ないです。
しかし…、ただただ理不尽に苦しめられる という思いが最も耐え難い・癒しが難しいとしたら、 「この苦しみには意味がある」には癒しの可能性があるというのは同じなのかな。 原因に向かうか、結果(未来)へ向かうかの違い。(保留)
> だから自分の苦しみには意味があると思える人はそう思いそして癒されればいいと思います。 > 「深みにはまる」という言葉、なかなか考えてしまう言葉です。 > ・・・結局は、癒し(自分が癒される)を目的とした行為に走ってしまうという事でしょうか。苦しみを媒介とした癒しの輪を広げる、みたいな。不幸な人を探して歩く、みたいな。
いや、そこまで考えてなくて、そのやり方では逆に苦しみが増大したり抜け出しにくくなる可能性があるという意味でした。 そういえばこのような話、ツバメさんと仲のいい女性と以前やり取りしたことがあって、彼女は経験的に知っているような印象を持ちました。「意味がある」かどうかではなく、「考え方」によって苦を解決しようとすることが有効か無力かについてですね。
この話、こうすれば苦が解消できるよという体験談から語ることはできないので、自分の話には価値ないな 今更すいません。
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