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Re[15]: 分節されたものの呼び名
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/04/20(Tue) 19:52:49)
| あ、ちょっと、カント、思い出した。受動的総合の世界に入る前に。
現象学では、意識の「総合」を大きく二つに分節したものへの名称が「受動的総合」と「能動的総合」。
ここでカントのを見て見ます。カントのについてpipitさまから教わったのは、
『導入のためのこの序論としての役割においては、人間の認識には二つの〈幹〉があることを指摘しておくだけで十分であろう。この二つの〈幹〉とは感性と知性[=悟性]であり、これらはおそらく、まだわたしたちには知られていない一つの共通の〈根〉から生まれてきたものである。感性によって、わたしたちに対象が与えられ、知性によってこの対象が思考されるのである。』中山元先生訳『純粋理性批判1』p63----(K)
でした。
なんかこういうの、現象学の意識の分節の仕方と似てる感じがする。
カントの場合、『人間の認識』ってあるけど、わたしのばあい「認識」を〈真正な判断〉(狭義の意味でね)(No11053)ってしてるから、「認識」ってしないで、「意識」として、人間の意識をまず大きく「感性」と「知性」の二つに分けている、ってわたし見た。 ただ、カントの場合、意識をゲシュタルトとして見てるかどうかはわかんない。わたし、ここんところが重要だと思ってるだけど。
あと、『まだわたしたちには知られていない一つの共通の〈根〉から生まれてきたものである』っていうところは括弧に入れとく(エポケー)ね。
かなりわたしの入ってきてるけど書いとく。 あ、これもちょっとあるから後で。
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