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No11947 の記事


■11947 / )  Re[9]: 四月馬鹿さんへ
□投稿者/ 四月馬鹿 -(2021/04/17(Sat) 14:49:21)
    こんにちは。pipitさん。

    pipitさんは『純粋理性批判』は中山元訳を読んでいるのですね〜


    *********

    物理の研究から出発し当時合理論者だったカントがヒューム経験論によりえた合理論の限界と経験論への疑問を凝縮させた「アプリオリな総合判断はいかにして可能か?」という問いこそが、『純粋理性批判』の中心テーマ。この問いを考えていく前にアプリオリ(対義語:アポステリオリ)、総合判断(対義語:分析判断)という言葉を理解する。

    まずは分析判断と総合判断。
    帰ってきたロシュフコーさんの説明によれば、「AはBである」という文は分析判断か総合判断に分別される。分析判断とは、主語である概念Aを分析すると、述語である概念Bが含まれていることが分かる判断。例えば「二等辺三角形は三角形である」という文は分析判断である。いっぽう総合判断とは、主語である概念Aを分析すると、述語である概念Bが含まれていないことが分かる判断。例えば「昨日は雨だった」という文は総合判断。昨日という概念と雨が降るという概念が合体して新たな意味が生まれたといえる。

    続いてアプリオリとアポステリオリ。
    私たちは何かについて知ろうとするとき、経験したり実験したりして知る場合と、原理を導くことで知る場合がある。前者を「後なるもの」を意味する<アポステリオリ>、後者を「先なるもの」という意味で<アプリオリ>と言う。後者であるアプリオリな知識は経験によってえられる知識ではない。例えば「三平方の定理」は数学的な推論や証明を通してえられたもので、いつでもどんな直角三角形でも成立しなければならない普遍性や必然性をもつ。

    ところで帰ってきたロシュフコーさんによれば、アプリオリかアポステリオリかの区別は意外と難しいとのこと。
    例えば、「太陽は東から昇る」という知識は明日も成り立ちそうであり、アプリオリな知識にみえる。だがそれが東から昇る太陽を100万回観察したから明日も明後日もそれ以降も東から昇るという意味ならば、それはアポステリオリといえる。「太陽は東から昇る」という知識がアプリオリであるためには、観察した経験に頼らず、原理を導く必要がある。ニュートンの運動方程式は、最初は「リンゴが落ちる」という経験を通してえられた発想だが、それをこの運動方程式のもとで、全ての物体に普遍的、必然的に成り立つという判断をしたので、アプリオリな判断といえる。



    ようやく11分超えた。もうすぐ半分だ〜

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