□投稿者/ 無縁仏三郎 RX -(2019/04/29(Mon) 13:53:18)
| 中島の本で問題なのは「否定」が古典論理の元でしか考えられていないこと。 だから二重否定が肯定になるという前提がある。しかし直観主義論理では それはいえない。「否定」についても強い否定や弱い否定など様々な 否定がある。「否定」の段階で言葉転がしなんだからそこにどんな小細工を しようともすべて言葉転がし。
心身問題というのも言葉転がしではないのか?
言葉によってとらえた「心」と「身体」は言葉でとらえた「粒子」と「波動」 みたいなもので電子が粒子でも波動でもありうるように人間も心であり身体である だけとか。
世界や宇宙の状態が言葉転がしによる「納得」「理解」の範囲内にあると どうしていえるのか。すでに人間の心と身体はこのようにあるわけで それを説明するのは言葉転がしで到達可能な範囲に収めること。 量子力学の隠れた変数理論が敗北したように人間が納得できる範囲に 心身問題の説明があるとは限らない。
それでも言葉転がしや記号転がしで行けるところまで行くのは必要だ。 我々の言葉転がしは精神原始時代の貧弱な転がしなのでくだらない日常生活に 時間を費やさずひたすら転がして前進しよう!
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