□投稿者/ パニチェ -(2021/03/20(Sat) 17:16:57)
| こんにちはpipitさん、レスありがとうございます。
■No11466に返信(pipitさんの記事) > 『純粋理性批判を読んでみる。20』を作っていただき嬉しいです、いつもありがとうございます!
どういたしまして♪
> No.11380 > >意識とは大いなる理性であるところの身体性が見る夢である、なんちゃって(笑)<
> あ、、、この言葉、ニーチェの言葉と思って、慧眼〜やっぱりニーチェは何か体験したのかなぁ、と、思ってたのですが、、、今、引用して、 > もしかしてパニチェさんの言葉??と今さらながら思いました。
検索してもらった通り、前半はニーチェのパクリで後半はパニチェオリジナルです。^^
■No11468に返信(pipitさんの記事) > 掲示板内を検索してみました。 > No.8546 > に、意識に関するニーチェ文を、パニチェさんが引用してくださっていました。
>>「意識。──意識性は、有機体の最後の、最も遅れた発展であり、したがってまたその表面の最も未熟な、最も無力な部分である。(悦ばしき知識第11番)」 >> 「きみが「精神」と呼ぶところの、きみの小さな理性もまた、きみの身体の道具である。きみの大いなる理性の一つの小さな道具ないしは玩具である。(ツァラトゥストラ 身体を軽蔑する者たちについて)」 >> 「創造する肉体が、みずからのために、自分の意志の一つの手として、精神を創造した。(ツァラトゥストラ 身体を軽蔑する者たちについて)」<
> やっぱり、慧眼ということを想います。 > & やっぱり、禅を思います。 > わたしは軟弱なので、ニーチェや禅は、ちょっと怖いなぁと今のところ思ってしまいます(⌒-⌒; ) > 根性ないなぁ 。・゜・(ノД`)・゜・。
上記のpipitさんのカキコに興味あります。 禅のどういうところが怖いですか?^^
ちなみにオートポイエーシスに関しては、今から20年ほど前にYahoo!掲示板で転法祖師がさかんにカキコしてました。^^
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