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No10748 の記事


■10748 / )  那須川天心vs武尊
□投稿者/ パニチェ -(2021/01/30(Sat) 08:44:14)
    2021/01/30(Sat) 08:45:25 編集(投稿者)

    まさか実現するとは思わなかった。RIZINの那須川天心とK-1の武尊。
    団体や放送局も違うことから、これまで交わることがなかった二人の英雄。

    那須川天心は11歳で極真空手ジュニア世界大会で優勝し、16歳でプロデビュー。42戦42勝(32KO)、内 キック 37戦37勝(28KO)、 MMA 4戦4勝(3KO)、 MIX 1戦1勝(1KO)。メイウェザーとのエキシビションはルールも体重差も那須川にとってはとんでもない条件で、テレビ局の視聴率稼ぎと金に物を言わしたマッチメーカーのアホ丸出しの本来はあってはならない対戦(もっとも那須川は本気で勝てると思っていたらしくセメントに出たとのことw)。来年からはいよいよボクシングに転向するらしい。

    武尊(タケル)は立ち技格闘技イベントKrush出身、20歳でプロデビューし、2014年11月3日の新生K-1の旗揚げ戦から看板選手となり勝ち続けている。戦績はキック一筋で40戦39勝(23KO)1敗。

    45年前、日本キックボクシング史上、同時代に、しかも同じライト級に二人のスターがいた。

    一人は野口修プロモーターとともに日本にキックボクシングブームを巻き起こした沢村忠(241戦?232勝<228KO>5敗4分?)

    もう一人は極真空手から打倒ムエタイの旗印を掲げ目白ジムを立ち上げた黒崎健時の一番弟子でもあり、昭和52年に外国人で初めて国技であるムエタイの本場、バンコクのラジャダムナンのライト級チャンピオンとなった藤原敏男(141戦126勝<99KO>13敗)。タイには王室が運営するラジャダムナンと陸軍が運営するルンピニーの両スタジアムがあり、それぞれに国技としてのムエタイチャンピオンがいた。400年の歴史あるムエタイにとっての藤原は、大相撲で初の外国人横綱となった曙のような存在。

    沢村がTBSであったのに対して、藤原はテレ東であったため夢の対戦は実現しなかった。

    キー局であるTBSで毎週放送していたことや梶原一騎原作のアニメ『キックの鬼』などで持ち上げられたこともあり、知名度は圧倒的に沢村にあったが、そもそも実力が拮抗した相手とのリアルファイトで毎週試合などできるはずもなく、沢村の対戦相手はアマチュアも含めて野口が仕立て上げたキックボクサーであったことは今となっては否めない。そもそも真空飛び膝蹴りなどは一線級の相手なら当たらないプロレスチックな決め技であって、当時のブームはプロレス黎明期に勧善懲悪の出来レースであった力道山の試合に日本中が熱狂したのと同じノリ。

    この二人がリアルファイトで戦った場合は悲惨な試合になっていたことは想像に難くない。個人的には藤原敏男vsベニー・ユキーデの方が見たかった。

    その点、今回の対戦は期待できるし、共に一流選手とのリアルファイトで実績を積み上げ、他団体の王者を総なめして両団体のトップスターとなった選手。日本格闘史上に残り、長く語り継がれるであろう一戦であることは間違いない。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/8d6cb583a64f3267c211047253a535450f94efaa?fbclid=IwAR2pPy3Z31RXS-BtTEgrhZf4k9UMJAq8ENXiyPX_oweAvFnQ8gyJgyvCmNo
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