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No10449 の記事


■10449 / )  Re[6]: Welcome&雑談 7
□投稿者/ つばめ -(2021/01/11(Mon) 09:54:51)
    > >☆「自己投影解釈の先走りがなくなっていった」・・・あ。なるほど、です。
    >> 自己投影から始まり(今のところそれしか無さげに思えますが。)

    >それしかない… 最初はそれしかない? ・・ではなく、他者が自分と似ていると思うことは最後まで自己投影しかないという意味?

    言葉が足りなかったです。ごめんなさい。
    最初はそれしかない、です。
    最後はどうなるのだろう・・・
    自分の中で見方が変わるとその人間が違って見えてくる事あると思うから
    (例 同じ男性でも以前恋人だったけれど今は違う人に対する印象って違うじゃないですかぁ。)
    最後まで自己投影ぽい(・・・自己投影しかない、じゃなく。)線は保たれるかなぁ。・・


    >全体から個別化…は分からない。すいません。

    こっちこそ。すみませんです。
    「全体からの個別化」の「全体」としてイメージしたのは、本能につかって生きる生きもの、特に群れで行動する生きものでした。(魚の群れとか鳥の群れとか、あと、ハルメーンの笛吹き男に出てくるネズミの群れなど。)
    「個別化」はなんとなくユングの「個別化」が頭に浮かんできちゃって。
    (ユングの個別化という言葉も私が内容を間違って覚えているかもしれず、ですが)
    人には内側と外側があって外側はその社会(集団意識)が求める人間像、役割(成人男性、成人女性、子ども、父親、母親、妻、夫、医師や弁護士、会社員等々)に対応している。
    しかし人には内面もあるので、自分の内部の要求を抑えすぎてペルソナをかぶり続け、ペルソナ(外部に向けた顔)=自分となってしまった時、自分の内部は死ぬこともある。(← ここ。表現が適当じゃないかもです。)
    (ただし内部の自分が死んでしまっても苦にならない場合(ペルソナ=自分)は問題ないというか、それはそれでOKかな。)
    逆にペルソナをかぶらず(ペルソナに守られず)内部の自分を出しすぎてしまった場合、社会的に立ち行かなくなることもある。
    そこで内部の自分と外部の自分を調整し、両方生かしながら自分自身になるということが必要となってくる。それが「個別化」と理解しています。
    ・・・なりたい自分になりしかも社会の中で十分に生きる、活動するみたいな。
    これって、集団で生きながら少し集団のとの間に隙間を保つという事でなされることじゃないかと思うのですよ。
    そして隙間は自分が自分を周囲に投影して解釈しているという事を知ることでわずかに得られるのではないかと思うのです。

    ええと。
    投影しあって生きることが人としての自然だとしたら投影しあって生きてることに問題はないしそのことに気づきもしないのではないかと。
    おしまいには投影の神様みたいなもの(共通概念、みんなの投影の総まとめみたいなもの)(・・・我ながら言っていて怖い (笑))もあったりしてその中で生きているのかなと。

    ごめんなさい。
    わけわからなくなってきた・・・( ;∀;)


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