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Re[5]: Welcome&雑談 7
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/01/10(Sun) 19:23:43)
| わたし、あいみょんの「裸の心」っていう「表言」、なんかいいと思う。 フッサールの言う”単なる自然”、ニーチェの”人間的な、あまりにも人間的な”を思い出すよ。
でも、彼女の歌詞を見る限りにおいて、彼女は”裸の心”に気づいてるけど、ただそれに”触れてるだけ”の物語りみたい。
つばめさん、 >なんか自分がすご〜〜く単純な生きもののような気がしてきて・・・< っていうの、なんかいい。わたしここが出発点だと思ってる。
キリスト教?仏教?哲学? ん? ん? なにそれ? だから、なんなの? ってね。
こういうのって、居酒屋で酔っぱらっいのおじさんたちがなにかぐだぐだとなんか物語りたいひとたちには意味不明なんじゃない?「俺の言うことをきいてくれ」的なひとたちには?
現象学で言う「感性的世界」とか「感性的意味」っていうの触れる気がそもそもないひとたち、すでに思われたもののうちでしか、すでにその信念のうちでしか、になっていません?ま、それはそれでいいんだけど。でもそれってわたしには”明け”がないからつまんない。
これからは現象学を〈裸の心〉の探究、を見えるようにさせるもの、ってすることっってしようかな?
ハイデガーの言う、「現象」=〈おのれを示す当のもの・自己示現するもの・あらわなもの〉、「現象学」=〈おのれを示す当のものうぃ、そのものがおのれをおのれ自身のほうから示すとおりに、おのれ自身をおのれのほうから見えるようにさせること〉的に。
つばめさん 〈単純な生きもの〉ってどういう生きもの? こう問うとき、この問いって、当たりまえ(自明的)で、わたしにとってはムズいよ。
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