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■10102 / inTopicNo.85)  自己レス
  
□投稿者/ knowing itself -(2020/12/18(Fri) 19:59:54)
    自己レス

    > 仏教的な用語に即今というのがありますが、三位一体は即今、永遠の今における神の全体運動という言い方も可能かと思います。三位一体は物理的な時空や物質以前にある存在。その三位一体が被造物の内側に同一階梯として入ったのが子として人間イエスになった時点からですね。

    宇宙の全体運動という捉え方もある。三位一体の神の全体運動はさらにそれに先行する存在。

    十字・クロスが三位一体をシンボライズするとも言われる。超越的な創造主である「父」
    が自身の完璧な像である「子」として、人間の最暗・最悪・最低の底の底に降下して結びつく。これが垂直のライン。

    水平のラインは、「子」に結合した人間を集める働きである「聖霊」。

    地上世界を嫌悪し否定し尽くして天上に向かうのではない!天上から地上の最低辺に「子」として降下することによって、天上と地上を結婚させた。これがキリスト教的な世界観でしょう。

引用返信/返信 削除キー/
■10086 / inTopicNo.86)  Re[9]: 神殿から商人を追い出す。
□投稿者/ knowing itself -(2020/12/17(Thu) 21:20:05)
    No10064に返信(勿忘草さんの記事)
    > 続きです。
    >
    >>人間の常識からは理解不能ですが、聖霊の働きによって、人間は天と地に二重に帰属することになるというべきかもしれません。
    >>
    >>もちろん地に生きる間は復活「前」の体を背負って生きるしかありませんが、聖霊が宿ることで、既に復活の体を先取りしているという発想かもしれません。父と子と聖霊の本来の領域はリニアーな歴史的時間を超えたカイロス的な永遠の今。そこに復活の体が住まう。
    >
    > 「カイロス的な永遠の今」ですか。
    > まるでニーチェの永劫回帰による運命愛の超人のようです。
    >
    > 「クロノス」は一般的に言うところの物理的な時間で、「カイロス」は神によって定められたある特別な意味をもった瞬間、時、好機、機会、あるいは、救済史的な意味をもつ用語として、神の決定的な働きが行われる時点のようですね。
    >
    > https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%B9
    >
    > いろいろ勉強になります。
    > 感謝です。

    仏教的な用語に即今というのがありますが、三位一体は即今、永遠の今における神の全体運動という言い方も可能かと思います。三位一体は物理的な時空や物質以前にある存在。その三位一体が被造物の内側に同一階梯として入ったのが子として人間イエスになった時点からですね。
引用返信/返信 削除キー/
■10064 / inTopicNo.87)  Re[8]: 神殿から商人を追い出す。
□投稿者/ 勿忘草 -(2020/12/16(Wed) 20:22:17)
    続きです。

    > 人間の常識からは理解不能ですが、聖霊の働きによって、人間は天と地に二重に帰属することになるというべきかもしれません。
    >
    > もちろん地に生きる間は復活「前」の体を背負って生きるしかありませんが、聖霊が宿ることで、既に復活の体を先取りしているという発想かもしれません。父と子と聖霊の本来の領域はリニアーな歴史的時間を超えたカイロス的な永遠の今。そこに復活の体が住まう。

    「カイロス的な永遠の今」ですか。
    まるでニーチェの永劫回帰による運命愛の超人のようです。

    「クロノス」は一般的に言うところの物理的な時間で、「カイロス」は神によって定められたある特別な意味をもった瞬間、時、好機、機会、あるいは、救済史的な意味をもつ用語として、神の決定的な働きが行われる時点のようですね。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%B9

    いろいろ勉強になります。
    感謝です。
引用返信/返信 削除キー/
■10060 / inTopicNo.88)  Re[8]: 神殿から商人を追い出す。
□投稿者/ 勿忘草 -(2020/12/16(Wed) 19:41:56)
    knowing itselfさん、こんばんは。

    いつもながら、どうして、このような素晴らしい解釈になるのか信じられません。
    私は、knowing itselfさんに出会えて本当に良かったと思っています。

    >>聖霊は、白い鳩や火の姿で描かれることが多いです。これって、自分で何か感じられるものなのでしょうか。

    > 白い鳩や火の姿、あるいはその他のものは、聖霊のあくまでも象徴ということでしょう。聖霊は父と同じく、100パーセント神なので、感覚や具象を超越して、同列ではありえないですね。

    なるほど、そういわれて見れば、そうだと思います。

    > 父から子に与え尽くす、逆に子から父に与え尽くす、この相互の与え尽くす働きが聖霊ではないでしょうか。なので、聖霊そのものになることは人間には原理的に不可能でしょう。

    納得です。

    >>また、感じられない場合は、救われていないということなのでしょうか。
    >
    > 霊の実については、ガラテヤの信徒への手紙5・16ー26「肉の行いと霊の実」に書かれていますね。
    >
    > 霊の結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制であり( 同5・22)
    >
    > ほんの僅かでもこれらを感じていれば、聖霊に触れているといっていいのではないでしょうか。

    ああ、有難いお話だと思います。
    何か奇跡的な驚異的なものを感じると言うものではないのでしょうね。
    愛に触れていれば、そうなのだと。

    調べてみたら、私のように思う人は大勢いるように思えました。

    https://www.youtube.com/watch?v=Q5TPqgnsCXI

    https://www.youtube.com/watch?v=moXIsjSbmnM

引用返信/返信 削除キー/
■10059 / inTopicNo.89)  Re[7]: 神殿から商人を追い出す。
□投稿者/ knowing itself -(2020/12/16(Wed) 19:21:56)
    No10043に返信(勿忘草さんの記事)
    > knowing itselfさん、こんばんは。
    >
    > 三位一体説というのは神様が3つ合わさって1つなのではなく、1つの神様の中に3つの位格、性質があるという考え方であり、神様はあくまでも1人だけ。
    >
    > 父と子、聖霊が合体して神が完成するのではない訳ですよね。

    そうですね。

    > そして、三位一体の神のうち一番わかりにくいのが聖霊だと思います。
    >
    > 「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。(使徒言行録2章1〜4節)」
    >
    > 聖霊は、白い鳩や火の姿で描かれることが多いです。
    > これって、自分で何か感じられるものなのでしょうか。

    白い鳩や火の姿、あるいはその他のものは、聖霊のあくまでも象徴ということでしょう。聖霊は父と同じく、100パーセント神なので、感覚や具象を超越して、同列ではありえないですね。

    父から子に与え尽くす、逆に子から父に与え尽くす、この相互の与え尽くす働きが聖霊ではないでしょうか。なので、聖霊そのものになることは人間には原理的に不可能でしょう。

    > また、感じられない場合は、救われていないということなのでしょうか。

    霊の実については、ガラテヤの信徒への手紙5・16ー26「肉の行いと霊の実」に書かれていますね。

    霊の結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制であり( 同5・22)

    ほんの僅かでもこれらを感じていれば、聖霊に触れているといっていいのではないでしょうか。
引用返信/返信 削除キー/
■10058 / inTopicNo.90)  Re[7]: 神殿から商人を追い出す。
□投稿者/ knowing itself -(2020/12/16(Wed) 19:06:10)
    勿忘草さんこんばんは

    >>「神殿」というのは、復活する自分の体、および、同じように復活する人間たちの体のことでしょう。「商売」というのは、おそらく、罪の喩え。復活する体は罪から完全に浄化された体、そこに罪を持ち込むことはありえない、罪が残れば復活も ないという、断固とした主張をイエスはこの話に込めている。
    >
    > なるほど、そうだったのですね。
    >
    > 自分もイエス様の人間的な面と神殿を清めようとする完璧な面が混じりあったものかなと思っていたのですが、復活の話だったのですね。


    「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」。イエスはご自分の体である神殿のことを言われたのである。(ヨハネによる福音書2・15, 21)


    知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。(コリントの信徒への手紙一 6・19)

    聖霊と子は別々に分かれてあることが不可能です。なので、聖霊がいるところには必ず子であるイエスもいる。逆に子であるイエスがいるところには必ず聖霊もいる。

    復活後、イエスは復活の体をもって、天において父と共にいる。地においてパウロを始めとする弟子の体は、聖霊が宿ってくださる神殿であるので、そこには子であるイエスもいるということになります。聖霊あるところ必ず父と子もいるという、三位一体の本質からそうならざるをえません。

    人間の常識からは理解不能ですが、聖霊の働きによって、人間は天と地に二重に帰属することになるというべきかもしれません。

    もちろん地に生きる間は復活「前」の体を背負って生きるしかありませんが、聖霊が宿ることで、既に復活の体を先取りしているという発想かもしれません。父と子と聖霊の本来の領域はリニアーな歴史的時間を超えたカイロス的な永遠の今。そこに復活の体が住まう。

引用返信/返信 削除キー/
■10043 / inTopicNo.91)  Re[6]: 神殿から商人を追い出す。
□投稿者/ 勿忘草 -(2020/12/15(Tue) 20:36:16)
    knowing itselfさん、こんばんは。

    またまた示唆に富んだ書き込みスゴイですね。

    > 「神殿」というのは、復活する自分の体、および、同じように復活する人間たちの体のことでしょう。「商売」というのは、おそらく、罪の喩え。復活する体は罪から完全に浄化された体、そこに罪を持ち込むことはありえない、罪が残れば復活も ないという、断固とした主張をイエスはこの話に込めている。

    なるほど、そうだったのですね。

    自分もイエス様の人間的な面と神殿を清めようとする完璧な面が混じりあったものかなと思っていたのですが、復活の話だったのですね。

    三位一体説というのは神様が3つ合わさって1つなのではなく、1つの神様の中に3つの位格、性質があるという考え方であり、神様はあくまでも1人だけ。

    父と子、聖霊が合体して神が完成するのではない訳ですよね。

    そして、三位一体の神のうち一番わかりにくいのが聖霊だと思います。

    「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。(使徒言行録2章1〜4節)」

    聖霊は、白い鳩や火の姿で描かれることが多いです。

    これって、自分で何か感じられるものなのでしょうか。

    また、感じられない場合は、救われていないということなのでしょうか。


引用返信/返信 削除キー/
■10038 / inTopicNo.92)  ナチュラルスピリット
□投稿者/ knowing itself -(2020/12/15(Tue) 19:56:44)
    ナチュラルスピリットという出版社は、アドバイタ・非二元にほぼ特化して次々と内外の書物を刊行しています。海外ものの方が魅力的な場合が多いけれど、日本人によるものでよく読まれているのが、「''それは在る”」ヘルメス・J・シャンブ。この種の本としてはamazonのレビューの数がすごいです。久しぶりに読み返してみましたが、なかなかです。
引用返信/返信 削除キー/
■10027 / inTopicNo.93)  神殿から商人を追い出す。
□投稿者/ knowing itself -(2020/12/14(Mon) 19:18:51)
    イエスが神殿から商人を追い出した話し。これは四福音書すべてに出てきます。この話をイエスの気性の激しさ、怒るときは怒る人間らしさを表わす挿話として挙げる人が、それだけで終わる人が、自称聖書通とか洗礼を受けたクリスチャンにも少なくないんだね。

    もちろんそれだけの話であるわけはない。神聖な場所に商売を持ち込むことに怒るくらいなら、イエスを待つまでもなく、誰でもやっている。安倍元首相やトランプ大統領だってその程度の行動はする。それに、商売を宗教の下に置くという発想はイエスには本来ない。

    「神殿」というのは、復活する自分の体、および、同じように復活する人間たちの体のことでしょう。「商売」というのは、おそらく、罪の喩え。復活する体は罪から完全に浄化された体、そこに罪を持ち込むことはありえない、罪が残れば復活も ないという、断固とした主張をイエスはこの話に込めている。
引用返信/返信 削除キー/
■10008 / inTopicNo.94)  もう一つ喩え
□投稿者/ knowing itself -(2020/12/13(Sun) 19:18:58)
    ただ一人ある我儘で孤独な造物主と、造物主に乗り越え難く断絶している被造物という構図。これだと、断絶しているようでお互いに依存している感がある。

    三位一体の神というのは、造物主はコミュニティ、交わりとしてあるということ。神は孤独だから慰みとして被造物を作った、我儘し放題をするために被造物を作ったのではない。被造物は存在しなくとも、神は自身において愛の交わりとして満ちたりており何も補う必要がなかった。その神が創造の喜びとして被造物をクリエートした。

    わたしはジャズのピアノトリオ、それもありえないほど究極に完成されて美しいピアノトリオに三位一体を喩えることがあるが、ある意味ではそういうもの。
引用返信/返信 削除キー/
■10007 / inTopicNo.95)  Re[5]: 三位一体を開示する喩え
□投稿者/ knowing itself -(2020/12/13(Sun) 19:01:24)
    勿忘草さんへ

    No9991に返信(勿忘草さんの記事)
    >
    >>タラントンの喩えは、極論すれば三位一体を伝えようとしているともいえる。いや、ズバリそれ以外考えられない。
    >>主人→父、僕→子、タラントン→聖霊。この三位一体においてあるのが、愛である神。
    >>
    >>僕の地位にイエスを通して参与することが福音ですから。福音とはそれ以外ない。
    >
    > knowing itselfさん、三位一体ですか。
    > こちらの解釈が、より具体的で分かりやすいなあと思いました。
    >
    > 三位一体とは、本当に奥義だとおもいますし、なかなか理解しがたいことです。

    その通りだと思います。もちろん、聖書には三位一体なる語はありませんが、聖書全体において内在的に統合する原理を三位一体という概念で言い表しているのですね。聖書のことば全体が語っていることを三位一体と呼んでいるだけですから、後付けの捏造という批判は成り立たないでしょう。

    三位一体を示すための喩えはいくらでもありえますが、喩えは三位一体の一面を語るだけで、三位一体を完全に捉え尽くすことは不可能といわれます。

    喩えを二つほど紹介します。

    創造主が自分と全く同じ像(もちろん神には感覚的な質料はありえないのですが)をみて、愛のため息(神としてはそれ自体完全無欠ですが)を像に吹きかけた。創造主→父、像→子、愛のため息→聖霊

    もう一つは、聖霊とは愛の鎖だという喩えです。父と子を縛りつける鎖としての聖霊。聖霊は神として完全で損壊不能なので、この愛の鎖を解体することはできません。父・子・聖霊は永遠から永遠にわたって一つ。


    > それでも、神がイエス様を通じて愛の神であることが分かりますし、昇天後の
    > 我々に神は、一人ぼっちにせずにアフターケアのように聖霊様を宿してくださる。
    >
    > 本当に、その思いやりの慈悲心に感謝しかありません。
    >
    > コロナ禍の現代というばかりでなく、生きることは、それだけで、ままならない
    > 苦しいものですが、だからこそ、神のイエス様の贖罪による慈愛が、よりくっきり
    > とコントラストして心に迫ってきます。

    > 今まで以上に、神を愛していきたいと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■9991 / inTopicNo.96)  Re[4]: 三位一体を開示する喩え
□投稿者/ 勿忘草 -(2020/12/12(Sat) 20:33:26)

    > タラントンの喩えは、極論すれば三位一体を伝えようとしているともいえる。いや、ズバリそれ以外考えられない。
    > 主人→父、僕→子、タラントン→聖霊。この三位一体においてあるのが、愛である神。
    >
    > 僕の地位にイエスを通して参与することが福音ですから。福音とはそれ以外ない。

    knowing itselfさん、三位一体ですか。
    こちらの解釈が、より具体的で分かりやすいなあと思いました。

    三位一体とは、本当に奥義だとおもいますし、なかなか理解しがたいことです。

    それでも、神がイエス様を通じて愛の神であることが分かりますし、昇天後の
    我々に神は、一人ぼっちにせずにアフターケアのように聖霊様を宿してくださる。

    本当に、その思いやりの慈悲心に感謝しかありません。

    コロナ禍の現代というばかりでなく、生きることは、それだけで、ままならない
    苦しいものですが、だからこそ、神のイエス様の贖罪による慈愛が、よりくっきり
    とコントラストして心に迫ってきます。

    今まで以上に、神を愛していきたいと思います。
引用返信/返信 削除キー/

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