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■10158 / inTopicNo.73)  Re[14]: 神の意志
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/12/23(Wed) 20:54:55)
    勿忘草さん、こんばんわ。

    >医師リウーのように兎に角、健康第一だから目の前の事態を改善にすることに全力を傾けるのか、それとも、パヌルー神父のように、神への愛は困難な愛なのだからどんな悲劇的で不条理なことがあっても全面的に受け入れるのかということですね。<

    このなかに「死を選んだ母」とその子はどこに位置することになるの?

引用返信/返信 削除キー/
■10157 / inTopicNo.74)  Re[13]: 神の意志
□投稿者/ 勿忘草 -(2020/12/23(Wed) 20:48:00)
    悪魔ちゃんさん、こんばんは。

    > ちょっとわかんないとこあるんだけど。
    > >そしてクリスチャンは、神についてすべてを信じるか、またはすべてを信じないか、どちらかを選ばなくてはならないと説きました。<
    > これって「クリスチャンは、神についてすべてを信じるか、または神についてすべてを信じないか、どちらかを選ばなくてはならないと説きました。」っていでいい?

    ここで、パヌルー神父は、神を全面的に受け入れるか、あるいは否定するかの二者択一を迫ります。
    勿論、前者を選択すべきだと言っているのだと思いますが、彼にとって世界は神の意思によって貫かれているため、たとえ人間には到底理解できないような悲劇であっても、クリスチャンであれば全面的にそれを受け入れなければならないと説いたのです。

    > わたしのちょっと書いちゃうね。
    > >そもそも、この世は、ままならない四苦八苦の世界です<
    > この世に「苦」しか見いだ出せない人もいつかもしれないけど、この世に「喜び」を見出す人もいると思うんだけど。このへんはどうなのかしら。

    なるほど、そうですね。
    自分の事ばかり考えていたら四苦八苦から抜け出せないけれども、誰かの事を
    考え思いやりを持って積極的に働きかけて行くならば、自己への呪縛から逃れて、
    この世に「喜び」を見出すことが出来るのかもしれませんね。

    そして、このことが、神仏の真理ではないのかなと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■10156 / inTopicNo.75)  Re[12]: 神の意志
□投稿者/ 勿忘草 -(2020/12/23(Wed) 20:33:03)
    パヌルー神父は、大きな罪のない少年の死から、その後、医師リウーの保健隊と共に患者を看病することとなります。

    そして、パヌルー神父は教会で再び説教を行います。
    しかし悲惨な子供の死に直面した結果、彼の言葉は1回目の神の天罰だ
    とする説教とは大きく変わっていました。

    「神への愛は困難な愛であります。それは自我の全面的な放棄と、わが身の蔑視を前提としております。しかし、この愛のみが、子供の苦しみと死を消し去ることができるのであり、この愛のみがともかくそれを必要なもの理解することが不可能なゆえに、そしてただそれを望む以外にはなしえないがゆえに必要なものとなしうるのであります。」

    つまり、パヌルー神父は、世界は神の意思によって貫かれているため、たとえ人間には到底理解できないような悲劇であっても、キリスト教徒であれば全面的にそれを受け入れなければならないと説いたのです。

    説教の直後、パヌルー神父はペストと思われる病に倒れます。
    ところが彼は医者の診察を拒否します。

    彼の思想の帰結として、病を神の意思として受け入れ、治療を拒否したのです。
    その結果パヌルーは命を落とすことになります。

    これは、難しい話です。

    医師リウーのように兎に角、健康第一だから目の前の事態を改善にすることに全力を傾けるのか、それとも、パヌルー神父のように、神への愛は困難な愛なのだからどんな悲劇的で不条理なことがあっても全面的に受け入れるのかということですね。
引用返信/返信 削除キー/
■10155 / inTopicNo.76)  Re[12]: 神の意志
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/12/23(Wed) 20:22:15)
    ■10151、勿忘草さん
    なに言ってるのかじぇんじじぇんわかんないけど、
    返信ありがとうございました。

    ちょっとわかんないとこあるんだけど。
    >そしてクリスチャンは、神についてすべてを信じるか、またはすべてを信じないか、どちらかを選ばなくてはならないと説きました。<
    これって「クリスチャンは、神についてすべてを信じるか、または神についてすべてを信じないか、どちらかを選ばなくてはならないと説きました。」っていでいい?

    わたしのちょっと書いちゃうね。
    >そもそも、この世は、ままならない四苦八苦の世界です<
    この世に「苦」しか見いだ出せない人もいつかもしれないけど、この世に「喜び」を見出す人もいると思うんだけど。このへんはどうなのかしら。









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■10151 / inTopicNo.77)  Re[11]: 神の意志
□投稿者/ 勿忘草 -(2020/12/22(Tue) 21:26:41)
    No10147に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > お邪魔するね
    >
    > その子どもが死んだのは神の意志によってである。
    >
    > 勿忘草さん、これイエス?

     このコロナ禍の中で、人気が再燃したアルベール・カミュ (1913- 1960)ですが、彼は、自らのレジスタンス活動で培った思想を通して、戦争や全体主義、大災害といった極限状況に、人間はどう向き合い、どう生きていくべきかを問うたのが代表作「ペスト」でした。

     舞台は、突如ペストの猛威にさらされた実在する北アフリカの港湾都市オラン市。
    猖獗を極めるペストの蔓延で、次々と罪なき人々が命を失っていきました。
    そのなかで興味深いのは、罪なき子の死に直面したパヌルー神父の動揺です。

     彼は、最初、ペストがオラン市民の罪に対する神からの罰であるという説教をしていました。
    けれども、いたいけな子供の死を前に自説を訂正します。

     そしてクリスチャンは、神についてすべてを信じるか、またはすべてを信じないか、どちらかを選ばなくてはならないと説きました。

     医師リウーは、パヌルー神父に対し、この子は何の罪も負っていないのに犠牲になったのだ、と声を荒げ「子どもたちが責め苛まれるように作られたこんな世界を愛することなどは、死ぬまで肯定出来ない」と言います。

     これは、ドストエフスキイが、『カラマーゾフの兄弟』でイヴァンが発したのと、寸分変わらぬ宣言です。

     ここで「人は神という存在なしに倫理を貫き、人間の尊厳を守り続けることができるのか?」という極限の問いが突きつけられます。

     世界は、「不条理」としかいいようのない出来事に満ち溢れている。
    そして、私たちは、それから逃れることができない。

    『ペスト』は、人間の実存である「投げ出されて投げかける」このことを
    改めて思い起こさせてくれます。

    ただ、個人的には、いずれにしても、そもそも、この世は、ままならない四苦八苦の世界です。
    そんな中で、三位一体の神の愛を信じられることは、幸せなことだと思っています。
    それは、ひとは、何れ早かれ遅かれ死んで、あの世に旅立つからです。
引用返信/返信 削除キー/
■10148 / inTopicNo.78)  Re[15]: 自己レス
□投稿者/ 勿忘草 -(2020/12/22(Tue) 20:58:02)
    knowing itselfさん、こんばんは。

    それにしても、いつもながらサプライズの解釈スゴイですね。

    > 神仏を信仰する、何か超越的な最高の存在を信仰する、そういった信仰によって人間が救われるという宗教は古今東西たくさんあります。ただキリスト教の特徴は少し違うと思います。

    そうですね。

    > 神に近づく、神に出会うということなら、他の宗教でもある意味常套かもしれません。対するにキリスト教は、イエスを通して三位一体の子のポジションを人間に与えることで、人間を三位一体の内部に招き入れることが目的ではないでしょうか。

    またまた、スゴイ解釈ですね。
    とても自分では、このようには行きません。

    >父なる神が子であるイエスに注ぐ愛が、そのまま人間にも注がれるのは、人間にも子のポジションが与えられるからという原理。
    イエスと同じ子のポジションにあるということは、イエスが父を愛したように人間も子として父を愛さずにはいられないことです。

    もう本当に、強烈な解釈でバンザイです。

    いつも思うのは、同じ聖書という文字を読んでいて、どうして、このように深い
    解釈ができるのか、やはり、聖霊様の不思議な働きなのでしょうか。

    「それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。」
    (マタイによる福音書13章13節)

    このお言葉は、まさに自分に向けられたように感じました。
    もっと、こころの目を見開いて読んでいきたいと思います。
    ありがとうございました。


引用返信/返信 削除キー/
■10147 / inTopicNo.79)  Re[10]: 神の意志
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/12/22(Tue) 20:01:42)
    お邪魔するね

    その子どもが死んだのは神の意志によってである。

    勿忘草さん、これイエス?
引用返信/返信 削除キー/
■10146 / inTopicNo.80)  Re[14]: 自己レス
□投稿者/ knowing itself -(2020/12/22(Tue) 19:28:15)
    勿忘草さん レスありがとうございます


    > >子である神が100パーセント人間としても生きたという、イエスにおける完全なる神性と完全なる人性の共存という神秘が神への間違った偶像崇拝からも解放させていると思います。人間性そのものが、つまりすべての人間がイエスにおいて潜在的に神化されている。
    >
    > イエス様を通じてでないと神に近づけないということでしょうか。
    > つまり、私たちはイエス様を通して神と出会うことができる、そしてイエス様と結ばれることによって、神がイエス様を愛される、その同じ愛をもって、私たちをも愛してくださる、そのように信じるのがキリスト教の信仰なのであり、新約では、
    > イエス様を通して全ての人と神との間に契約が結ばれるように思えます。

    そうだと思います。

    神仏を信仰する、何か超越的な最高の存在を信仰する、そういった信仰によって人間が救われるという宗教は古今東西たくさんあります。ただキリスト教の特徴は少し違うと思います。
    神に近づく、神に出会うということなら、他の宗教でもある意味常套かもしれません。対するにキリスト教は、イエスを通して三位一体の子のポジションを人間に与えることで、人間を三位一体の内部に招き入れることが目的ではないでしょうか。父なる神が子であるイエスに注ぐ愛が、そのまま人間にも注がれるのは、人間にも子ののポジションが与えられるからという原理。イエスと同じ子のポジションにあるということは、イエスが父を愛したように人間も子として父を愛さずにはいられないことです。



引用返信/返信 削除キー/
■10139 / inTopicNo.81)  Re[13]: 自己レス
□投稿者/ 勿忘草 -(2020/12/21(Mon) 20:31:02)
    knowing itselfさん、再び斬新な解説、ありがとうございます

    > 私は平凡な普通の人間で何者でもありませんが、哲学、キリスト教、仏教などが交錯する領域をどこまでも探究することがライフテーマであると感じています。

    えーっ、本当ですか。
    単に本読みをしているなんて、とても信じられません。
    てっきり、どこか偉い神父様か牧師先生かと思っていました。

    というのは、ネットやYouTube等で説教されている先生方の解説を聞いていても
    何か杓子定規で心にピンと来るものを感じないからです。

    聖書一つ読むのにも、単に読んだだけでは分からない。
    こころの目で読まないといけないのかもしれませんね。

    「それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。」
    (マタイによる福音書13章13節)

    >三位一体は抽象的な教義でないですし、絵や彫刻のような偶像化を拒むものでしょう。あらゆる瞬間、生きて働いている力。神というと、第一原因としてビリヤードの最初の玉突き(ビッグバンのこと)だけと考える人もいますが、それだけにとどまらず、被造物に瞬間ごとに存在性を与えるのが神ということになる。聖霊もその同じ神ですね。

    なるほど、瞬間ごとに存在性、生きる意味を与えて下さるのが神様なのですね。

    >子である神が100パーセント人間としても生きたという、イエスにおける完全なる神性と完全なる人性の共存という神秘が神への間違った偶像崇拝からも解放させていると思います。人間性そのものが、つまりすべての人間がイエスにおいて潜在的に神化されている。

    イエス様を通じてでないと神に近づけないということでしょうか。
    つまり、私たちはイエス様を通して神と出会うことができる、そしてイエス様と結ばれることによって、神がイエス様を愛される、その同じ愛をもって、私たちをも愛してくださる、そのように信じるのがキリスト教の信仰なのであり、新約では、
    イエス様を通して全ての人と神との間に契約が結ばれるように思えます。

    > 仏教とキリスト教も、最終的には帰一すると思います。

    私も実は、神仏習合なのではないかなと思っているところです。
引用返信/返信 削除キー/
■10120 / inTopicNo.82)  偶像崇拝の否定
□投稿者/ knowing itself -(2020/12/19(Sat) 20:00:57)
    イエスにおける全き神性と全き人性。これが神への頑なな偶像崇拝と、人間にまつわる要素への偶像崇拝(地位、お金、所有物、業績、名声、才能、性格、年齢、性別、容姿、民族、過去、イメージ、要するにすべてがその危険をはらむ)、どちらの偶像崇拝も拒否する。

    こういうことはあまり聞かないと思うが、まちがいなく言えると思う。
引用返信/返信 削除キー/
■10117 / inTopicNo.83)  Re[12]: 自己レス
□投稿者/ knowing itself -(2020/12/19(Sat) 19:29:57)
    勿忘草さん レスありがとうございます

    私は平凡な普通の人間で何者でもありませんが、哲学、キリスト教、仏教などが交錯する領域をどこまでも探究することがライフテーマであると感じています。

    > >>仏教的な用語に即今というのがありますが、三位一体は即今、永遠の今における神の全体運動という言い方も可能かと思います。三位一体は物理的な時空や物質以前にある存在。その三位一体が被造物の内側に同一階梯として入ったのが子として人間イエスになった時点からですね。
    >
    > なるほど、三位一体は、スタテックな動かない絵や彫刻ではなく、むしろ、慈愛に満ちたかなり動的な常に私たちに関わり、この瞬間においても働かれる神の御性質を表しているようです。


    その通りだと思います。三位一体は抽象的な教義でないですし、絵や彫刻のような偶像化を拒むものでしょう。あらゆる瞬間、生きて働いている力。神というと、第一原因としてビリヤードの最初の玉突き(ビッグバンのこと)だけと考える人もいますが、それだけにとどまらず、被造物に瞬間ごとに存在性を与えるのが神ということになる。聖霊もその同じ神ですね。

    キリスト教は偶像崇拝だと批判する人もいますが、これも違いますね。まず、三位一体の神は人間による偶像崇拝がとても及びえない領域にあることを確保する秘義です。しかし、偶像崇拝を禁圧する神という考え方が皮肉なことに、神という名の偶像崇拝を過度に生み出してしまうという逆説もあります。が、子である神が100パーセント人間としても生きたという、イエスにおける完全なる神性と完全なる人性の共存という神秘が神への間違った偶像崇拝からも解放させていると思います。人間性そのものが、つまりすべての人間がイエスにおいて潜在的に神化されている。

    仏教とキリスト教も、最終的には帰一すると思います。




引用返信/返信 削除キー/
■10106 / inTopicNo.84)  Re[11]: 自己レス
□投稿者/ 勿忘草 -(2020/12/18(Fri) 21:25:34)
    knowing itselfさん、こんばんは。

    それにしても、どうして、こんなに素敵な解釈ができるのでしょうか。
    おそらく、本当は、神父様か牧師先生なのでしょうか。

    >>仏教的な用語に即今というのがありますが、三位一体は即今、永遠の今における神の全体運動という言い方も可能かと思います。三位一体は物理的な時空や物質以前にある存在。その三位一体が被造物の内側に同一階梯として入ったのが子として人間イエスになった時点からですね。

    なるほど、三位一体は、スタテックな動かない絵や彫刻ではなく、むしろ、慈愛に満ちたかなり動的な常に私たちに関わり、この瞬間においても働かれる神の御性質を表しているようです。

    それが、「即今、当処、自己。」の「いま、ここで、わたしが、生きる。」
    という仏教語にも通じるということなのでしょうか。

    > 宇宙の全体運動という捉え方もある。三位一体の神の全体運動はさらにそれに先行する存在。
    >
    > 十字・クロスが三位一体をシンボライズするとも言われる。超越的な創造主である「父」
    > が自身の完璧な像である「子」として、人間の最暗・最悪・最低の底の底に降下して結びつく。これが垂直のライン。
    >
    > 水平のラインは、「子」に結合した人間を集める働きである「聖霊」。
    >
    > 地上世界を嫌悪し否定し尽くして天上に向かうのではない!天上から地上の最低辺に「子」として降下することによって、天上と地上を結婚させた。これがキリスト教的な世界観でしょう。

    あまりに凄すぎて感服です。

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