| knowing itselfさん、またまた、素敵で綺麗な解説ありがとうござます。
>人間となった「神のひとり子」の名がイエスなので、人性と神性をどちらもそなえた存在の名がイエスということだと思います。
ごめんなさい。誤っていたのですね。 なるほど、意味の奥行きが深くて、さすがです。
>>イエスが特別の存在とされるのは、受胎から死までの三十数年の人間としての生のあらゆる瞬間において、神性と人性が一枚に縫い合わされていたからだと思います。人間の生きることそのものも偶像化不能ですし。 >> >>そのイエスの神性と人性の不可分の全体が信仰の対象になるので、それを指し示す視覚表象も肯定されるのだと思います。
> だから、キリスト教は超越的で抽象的な何かを信仰対象にするというより、人間教、ありのままのフラジャイルな存在としての具体的な人間教、といった色彩ももつ。不思議な逆説。
儚く危うい人間、なんか、実は、日本人の感性に、とってもあう感じがします。
|