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■911 / inTopicNo.1)  イクストラン君の哲学的探究の結晶
  
□投稿者/ パニチェ -(2019/02/02(Sat) 10:02:18)
    レストさん、よろしくお願いします。
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■913 / inTopicNo.2)  Re[1]: イクストラン君の哲学的探究の結晶
□投稿者/ rest -(2019/02/02(Sat) 10:56:27)
    パニチェさん ありがとうございます。これからもixtlanさんの遺志を受け継いで展開してまいりたいと思います。
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■914 / inTopicNo.3)  Re[2]: イクストラン君の哲学的探究の結晶
□投稿者/ パニチェ -(2019/02/02(Sat) 11:01:01)
    No913に返信(restさんの記事)
    > パニチェさん ありがとうございます。これからもixtlanさんの遺志を受け継いで展開してまいりたいと思います。

    どういたしまして。
    私もixtlanさんとは何回もレス交換したことがあり、尊敬してましたので有難いです。
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■915 / inTopicNo.4)  Re[3]: イクストラン君の哲学的探究の結晶
□投稿者/ rest -(2019/02/02(Sat) 20:11:13)
    カントによれば人間の認識能力は感性、悟性、理性の構造をもっている。
    @感性は感官を通して事物を表象として受け取る能力(直観の能力)
    A悟性は感性的直観による表象を纏め上げ、判断にもたらす能力(概念的判断能力)
    B理性は悟性による対象の判断から、推論によって全体像を導く能力(推論能力)
    日常は感性によって構成され私達の行為は悟性と理性によってなされる。日常を第一義的には感性によって表象される所からすべては始まる。
    物自体も日常のありふれたものの表象から出発し悟性によって思考の対象となり、理性によってその実在性は認識不可能とされてしまう。
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■941 / inTopicNo.5)  Re[4]: イクストラン君の哲学的探究の結晶
□投稿者/ rest -(2019/02/09(Sat) 09:10:08)
    Ron Carter - Double Bass・wmv ジャズです。ベースはとても哲学的ですね。

     ://www.youtube.com/watch?v=udFm658LqHo
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■1003 / inTopicNo.6)  Re[5]: イクストラン君の哲学的探究の結晶
□投稿者/ rest -(2019/02/23(Sat) 20:57:24)
    現代思想1月号によれば現代思想の潮流をポスト・ヒューマニティーズと呼んでいる。それは思考する人間を中心に置くのではなく、非人間のほうへと哲学を開こうとしている、ということのようだ。グレハム・ハーマン、カンタン・メイヤスーのオブジェクト指向存在論、思弁的実在論はその系譜だ。その他レイ・ブラシエやハミルトン、ブライアント、ボゴスト、モートン、最近有名になってきたマルクス・ガブリエルやマウリツィオ・フェラーリス。人類学の存在論的転回やアクターネットワーク理論においても新しい動きがみられる。
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■1010 / inTopicNo.7)  Re[6]: イクストラン君の哲学的探究の結晶
□投稿者/ rest -(2019/02/27(Wed) 10:57:43)
    現代思想1月号「批判的ポストヒューマニティーズのための理論的枠組み」(ロージ・ブライドッティ/門林岳史+増田展大訳) 
    ポストヒューマニズムが人間=男性(Man)を万物の普遍的な尺度とするヒューマニズム的理想に対する批判に焦点を合わせる一方で、ポスト人間中心主義は種の階層秩序を認めて人間を例外視する立場を批判している。(p183)  
    新ー唯物論的認識論において、効した立場が生み出しているのはドゥルーズがスピノザ倫理体系から借用した決定的な区別、すなわち、量的ないし外延的な状態と質的ないし内包的な状態の区別である。言説のこうした量的な増加はパラダイム転換の主張を保持するのに充分なのだろうか。私の主張では、質的転換をともなわない単なる量的拡張は、新しい諸々の概念や概念的実践を生産するための条件としては充分ではない。信頼に足る厳密な批判的ポストヒューマニティーズを設立するためには、質的な手立てが必要である。私が示唆したい質的な価値基準とは、超ー領域性、メタ言説性、物質的基礎付け、ノマド的生成力、そしてアファーマティヴな論理である。(pp196-197)
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■1022 / inTopicNo.8)  Re[6]: イクストラン君の哲学的探究の結晶
□投稿者/ パニチェ -(2019/03/03(Sun) 10:55:50)
    No1003に返信(restさんの記事)
    > 現代思想1月号によれば現代思想の潮流をポスト・ヒューマニティーズと呼んでいる。それは思考する人間を中心に置くのではなく、非人間のほうへと哲学を開こうとしている、ということのようだ。グレハム・ハーマン、カンタン・メイヤスーのオブジェクト指向存在論、思弁的実在論はその系譜だ。その他レイ・ブラシエやハミルトン、ブライアント、ボゴスト、モートン、最近有名になってきたマルクス・ガブリエルやマウリツィオ・フェラーリス。人類学の存在論的転回やアクターネットワーク理論においても新しい動きがみられる。

    ちょい脱線するかもしれませんが最近のAIバブルなんかも非人間のほうへ人間自身を導いているような気がしてなりません。
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■1035 / inTopicNo.9)  Re[7]: イクストラン君の哲学的探究の結晶
□投稿者/ rest -(2019/03/08(Fri) 08:38:55)
    フォイエルバッハの疎外論でしょうか。共同体の類的精神が本来の共同体から離れ、疎遠となり外に投影されて逆に共同体を支配する。神とはそういうものです。著書『キリスト教の本質』より。機械による人間疎外は実存主義あたりだと思いますが、自ら造りだしたものに自らが支配される構造ですね。AIもそんな気がします。解決の方向性としては支配ー被支配関係の逆転ではなくて、対等な関係がいいのではないか、と思っています。もしAIが人間と同じ自由意志を持ちうるようになったらそういう方向がいいのではないか。その意味では非人間であるAIを認める点でポスト・ヒューマニティーズかもしれませんね。
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■1041 / inTopicNo.10)  AIバブル
□投稿者/ パニチェ -(2019/03/10(Sun) 07:56:00)
    私は人工知能について否定的なスタンスです。
    まず人間のような自我意識は現時点でのアルゴリズム上に再現することは不可能だと考えています。

    大まかな理由として

    1.身体性を伴った意識でなければ人間のような意識たりえない。
    2.生死があり自己保存本能と種の保存という時に相反するようなベクトルはシステムとして共存できない。
    3.私秘性や内的世界は非計算的かつメタであり、アルゴリズム上には再現不可能である。
    4.独在論的〈私〉(永井均氏の表現)は存在自体において、自然の斉一性や再現性の範疇を超えた対象である。
    5.文化や生活が伴ったものでなければコンテクスト上の言語を理解できないし、学ぶことも不可能である。

    他にもありますし、粗っぽくカキコしましたが、以上のような理由です。
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■1051 / inTopicNo.11)  Re[9]: AIバブル
□投稿者/ rest -(2019/03/10(Sun) 22:04:12)
    AIに自我あるいは自由意志が存在しえるか、という問題は人間以外の動物に自由意志が存在しえるか、という問題と重なっているように思えます。
    カントの第三アンチノミーによれば欲望などの自然因果性は決定論的であり、それを我慢することができることによって選択の自由が確保され、自由因果性となって非決定論的な自由意志を形成することができる、という自由に基づく倫理観があります。動物は自然因果性を生きているわけですから決定論的に存在し、非決定論的自由意志が存在するとはいえません。自然の斉一性も決定論的なありかたを示し、動物はそれに従うものと考えられます。
     AIは目的に向かうアルゴリズムによって合理的かつ最短距離で達成しようとします。それを欲望達成と同じとみるなら、それを抑制し、自ら我慢すると言う行為が選択肢として存在しえるなら自由意志の存在も可能でしょう。ただそれは価値判断を伴うものですから計算的思考では無理かもしれません。量ではなく質の問題ですから。鉄腕アトムのような人間と対等な関係というのはただの夢想かもしれません。
     
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■1059 / inTopicNo.12)  Re[10]: AIバブル
□投稿者/ パニチェ -(2019/03/16(Sat) 08:16:41)
    No1051に返信(restさんの記事)
    > AIに自我あるいは自由意志が存在しえるか、という問題は人間以外の動物に自由意志が存在しえるか、という問題と重なっているように思えます。

    同意です。

    > カントの第三アンチノミーによれば欲望などの自然因果性は決定論的であり、それを我慢することができることによって選択の自由が確保され、自由因果性となって非決定論的な自由意志を形成することができる、という自由に基づく倫理観があります。動物は自然因果性を生きているわけですから決定論的に存在し、非決定論的自由意志が存在するとはいえません。自然の斉一性も決定論的なありかたを示し、動物はそれに従うものと考えられます。

    自我ってのは、グラデーション的なイメージがあります。乳幼児から言語を習得することによってエピソード記憶が成立するとともに自己同一性が明瞭となり、やがて物心がつく。自我が芽生えるまでのプロセスもグラデーション的ですし、脳も脊椎の先端(魚類)から始まり、爬虫類脳、哺乳類脳、霊長類脳と進化の歴史を刻んだ重層的な構造で、これにそって自我と呼べないような自他の境界認識(免疫機能のような)ものから徐々に明瞭になるんだと思います。
    こうなると、どっから自我と呼ぶかみたいな定義が必要になるかもしれません。

    あと自由意志に関してはリベットの実験もありますし、ひょっとすると私たちは脳が反応したものを後付けで意志決定しているにもかかわらず、それを自由意志みたく錯覚している可能性もゼロではないと思っています。極論すれば外部刺激が人形師で脳神経系という糸に操られるマリオネットである可能性。完全に否定はできませんが私は限定的な自由意志はあるという説を支持します。空を飛びたくても飛べないが、歩く経路なら自由に選択できる。

    >  AIは目的に向かうアルゴリズムによって合理的かつ最短距離で達成しようとします。それを欲望達成と同じとみるなら、それを抑制し、自ら我慢すると言う行為が選択肢として存在しえるなら自由意志の存在も可能でしょう。ただそれは価値判断を伴うものですから計算的思考では無理かもしれません。量ではなく質の問題ですから。鉄腕アトムのような人間と対等な関係というのはただの夢想かもしれません。

    同意です。少なくとも私達の欲望をベースに考えるなら、やはり自己保存本能に裏付けられたものとなるので、合理的で最短距離で達成しようとするアルゴリズムまたはプログラムは似て非なるものになるんでしょうね。restさんは哲学的ゾンビはありえると思われますか?私は内的世界を持たず外形的な反応は私達に酷似した哲学的ゾンビのようなAIは可能だと考えています。いつからか人工無能を人工知能(AI)と呼ぶようになっている。これはAIバブルではないか、と。

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