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■1403 / inTopicNo.1)  Re[34]: 時間と倫理感の関係
  
□投稿者/ rest -(2019/06/24(Mon) 09:08:25)
    過去は消滅してしまえばもう関係ないというのが刹那主義ないしは虚無主義かもしれない。私は自由を信奉するのでサルトル流に自由と責任の関係を重視する。自由意志の選択結果である過去に対して責任を負う、ということと過去の非実在性は矛盾するのではということに対して現在進行形の選択結果である過去の記憶ないし記録に責任をもつということは現在に責任をもつことである、といいかえることができる。逆にいえば過去に責任を持てないものは現在も責任をもてない、ないしは現在の自由意志の選択行為に責任を持てないということになる。過去の非実在性とは関係ないのだ。
    むろんすべての行為を自己責任に帰すわけにはいかない。社会的環境や不可抗力の影響も考慮して自己責任とは別の社会的責任ということ、あるいはカントのいう物件という概念も視野にいれなければならない。
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■1395 / inTopicNo.2)  Re[33]: 空間と時間
□投稿者/ rest -(2019/06/23(Sun) 11:53:14)
    大森荘蔵も過去の実在性を否定することに関して不安を抱いている。これは一般的な不安かもしれない。この不安を解消するために投影として外の時間を形作ったのかもしれない。外に時間がないよりはあったほうが安心するのである。自由は不安である、といったのはたしかサルトルであるが時間を外に確定してしまえば不安はなくなる。しかし時間の実体はない。とすれば不安と向き合わざるを得ない。それが自由に生きることだ。
    フォイエルバッハは唯物論だが疎外論はもともとヘーゲル由来だ。自己の本質を本来的自己の外に出し自己にとって疎遠な他者になることが疎外の本来の意味だ。神に関しては賛否があろうが、時間に関してはてき面的中だと思う。人間が作ったものが、人間自身から離れ逆に人間を支配するような疎遠な力として現れること、これが疎外だ。
    過去が消滅することの不安に対処するために写真という記録を残して置こう。過去は消えるが唯一残す方法は写真という記憶装置があり、不安をやわらげる。少しでも工夫しながら自由に生きることを選択してほしい。自己疎外からの脱却だ。
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■1393 / inTopicNo.3)  Re[32]: 空間と時間
□投稿者/ rest -(2019/06/22(Sat) 10:07:13)
    変化の認識は記憶がないとできない、というのは事実であるが記憶がないと変化はないのかというと別問題である。カントの唯一無二の三次元空間内であらゆる事物が変化している。現在進行形で変化している。マクタガートのA系列的時間の視点でみると現在の変化は過去に移行するがこれは記憶としての主観内に移行するのであって、客観的外の世界に移行するのではない。B系列のある時刻の過去へと移行するのではない。中島もその著書『時間を哲学する』(講談社現代新書)で述べているが過去は冷蔵庫のように保存されてはいないのである。時間を空間化すると記憶で形成された時間を外にあるとする錯覚にとらわれてしまう。フォイエルバッハの『キリスト教の本質』(岩波書店)にあるように共同体精神の本質が疎外されてあたかも外にあるように見えるのが神である。時間も共同体的約束事が疎外されてあたかも外にあるかのように見えるのである。同じである。時間に支配された関係性から解放されることも大きな課題である。時間に支配されて運命を生きるか、時間から解放されて自由に生きるか。
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■1367 / inTopicNo.4)  Re[31]: 記憶と時間意識
□投稿者/ rest -(2019/06/18(Tue) 09:10:41)
    記憶が変化の認識の前提となる。記憶が過去に属するから時間意識はア・プリオリではないか、という点で若干の疑問がある。そもそも記憶は時間的順序では並んでいないのである。記憶の順序はバラバラである。昨日の出来事と一昨日の出来事の区別がつかないことはよくあることだ。太陽の位置を時刻と定義し、その太陽の動きに対応した記憶を整序したものが時間的記憶である。記憶そのものはほっておけばばらばらにつながる。記憶を過去と定義することも含めて正確な時間の定義はア・ポステオリになされたものではないか。社会的約束事としてあるいはルールとして。マクタガートのA系列のように単純に時間を過去・現在・未来と定義するなら、過去の順序は別にして過去一般としてくくるなら、時間はア・プリオリなものといえなくはない。ある意味両義性があるということかもしれないが。
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■1302 / inTopicNo.5)  Re[30永遠の現在における矛盾
□投稿者/ rest -(2019/06/06(Thu) 09:54:42)
    カントの唯一無二の三次元空間は換言すれば永遠の現在を意味している。しかし無時間の現在性に永遠という時間性を導入することは矛盾ではないか、という指摘がある。一見するとごもっともな指摘ではあるが、ここでは仮想の時間を使用していることが忘れられている。
    ここでいう「永遠」とは社会的約束事として、ルールとして造られた時間概念を使用した場合、無時間の現在は永遠に続くという意味であり、時間の実在性を肯定したものではない。仮想の時間で測定しても矛盾ではない。時間には実体性がなく社会的約束事、あるいはルールでしかないことを再確認すべきではないか。
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■1281 / inTopicNo.6)  数学と物理学という人間活動
□投稿者/ 無縁仏三郎 RX -(2019/06/01(Sat) 22:15:29)
    やってることは一定のスペースに記号や文字を有限個並べてるだけである。

    その並べ方には周囲の環境や人間の生物的限界が反映されている。
    基本的には個数を数えたり比較したりすることがベースにある。
    物を集めたり分配したり合わせたり形を観察したり…

    その原始的操作を極限まで発展させてわかったことはそれをいくら続けても
    無限の定理は汲みつくすことはできないということ。人工知能だ量子コンピュータ
    だと悪あがきをしてもそれは結局人間の知覚能力の拡張のため生物学的限界から
    逃れてるわけではない。たとえ生物学的限界を凌駕しても自然環境的限界がある。

    なんとかできんかね。
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■1280 / inTopicNo.7)  相対性理論における時間
□投稿者/ 無縁仏三郎 RX -(2019/06/01(Sat) 21:52:08)
    これもニュートン力学と同じで時間は空間化されている。

    ただその空間化に光速についての制約条件が加わる。

    これは一見人間と独立した条件にも思えるが速度というのは
    空間化された時間によって定義されている。

    物理が空間化された時間を使用している以上状況は変わらない。

    相対性理論と量子力学を統一できないのは空間化された時間が原因という
    ことはないか。長期的には物理学や数学は人間の意識を組み込み計量認知哲学
    みたいなもんになるんでない?
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■1277 / inTopicNo.8)  Re[27]: マクタガートの論証の盲点
□投稿者/ rest -(2019/06/01(Sat) 16:05:18)
    カントにおいては過去・現在・未来のうち現在のみが経験的実在であり、過去や未来は経験できない。むろんカントは不可知論だから実在は認識不可能である。しかし経験的には実在といえる。つまり、未来や過去はマクタガートのいう実在ではない。A系列の時間が過去と未来を前提とする限り主観的なものである。時間は実体性をもたず。社会的約束事つまりルールに過ぎない。
    マクタガートのA系列の矛盾は変化をめぐる矛盾である。未来、現在、過去と連綿とつながる映像フィルムのような固定して変化のない出来事の連続体、これはあきらかにB系列なのだがA系列にしのびこんでいる。これが過去、現在、未来と絶えず変化し続けるA系列の矛盾である。だからマクタガートはB系列の立場に立ってA系列の時間を否定したのである。
    グレアム・プリーストの矛盾許容原理や真矛盾主義からすると矛盾の事実を受け入れてしまえば別に問題はないのかもしれないが、実は映像フィルムを動かして変化を与える映写機のエネルギーはどこからくるのかが難問として残る。矛盾ではなく矛盾そのものを生じさせるエネルギーが謎なのだ。これは矛盾とは別の問題かもしれない。
    ベルグソンは生き生きとした現在に時間の原点があることを考えれば空間化された時間は虚妄でしかない、という点でカントと共有できるのではないか。
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■1275 / inTopicNo.9)  マクタガートの論証の盲点
□投稿者/ 無縁仏三郎 RX -(2019/05/31(Fri) 12:35:40)
    昔から思っていたがそのモデルによって矛盾が生じたから時間は存在しない
    というのは飛躍がある。

    時間を数直線化して二つの系列として考えることはできないということを
    論証しただけということはないか。要はモデルが単純すぎただけのこと。
    別の空間化モデルでは矛盾は起きないかもしれない。
    現実にそれを示したのがアーサー・プライアー。
    グレアム・プリーストの「論理学超入門」にあるモデル化なら矛盾は起きない。

    そしてベルクソンのように時間の空間化自体に反対するならどんな空間化モデル
    による論証も拒否するだろう。

    論証というのは時間の中で空間を使用して行われる記号操作だ。
    時間を否定する論証の中にすでに時間という仮定がすべりこんでいる
    以上ただの悪循環という気もする。
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■1274 / inTopicNo.10)  Re[25]: カントの唯一空間説6
□投稿者/ rest -(2019/05/31(Fri) 06:31:39)
    マクタガートのB系列はたとえば1分間に無限個の三次元空間が実在することになり、われわれの日常感覚からすると不自然きわまりない。変化とは実在する未来の出来事が現在に移動してくることにほかならない。未来の出来事とはB系列上のある時刻の出来事であり、既に実在する出来事であるから、決定論的未来である。そうなると自由意志は存在せず、幻想にすぎない、という結論に至る。それに対しカントの変化は唯一無二の三次元空間内での事物の現在進行形での変化を意味し、未来の出来事の実在性を否定する。それゆえカントにおいては自由意志は根本の前提条件である。
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■1262 / inTopicNo.11)  Re[24]: カントの唯一空間説5
□投稿者/ rest -(2019/05/27(Mon) 06:40:03)
    カントにとって太陽の位置変化にみられるように変化が本質的なのだ。幻想なのはB系列ないしはC系列なのだ。唯一無二の三次元空間のみが永遠に存在し、これは変化しない。変化するのは事物のみだ。変化は位置変化と状態変化にわかれる。唯一無二の空間内で太陽のように位置変化するものと、鉄と酸素の化学反応における酸化鉄への変化にみられる形状変化あるいは質的変化がある。これは現在進行形の変化であり、未来から現在への移動を変化ととらえるマクタガートの考え方とはまったく異なっている。
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■1261 / inTopicNo.12)  Re[23]: カントの唯一空間説4
□投稿者/ rest -(2019/05/27(Mon) 06:14:38)
    マクタガートにおけるA系列の矛盾とは過去・現在・未来と連綿と続く無限の空間で構成されたB系列あるいはC系列と未来から現在、そして現在から過去へと移り行く変化を示すA系列の矛盾を示している。一方で変化を否定し、一方では変化を本質的なものとして肯定する矛盾。マクタガートとってはB系列は映像フィルムであって、A系列は映写機に過ぎない。すると現在という画面に映し出された変化とは幻想に過ぎない、というのが彼の結論だ。B系列=A系列+C系列なのでA系列を否定するとC系列しか残らない。映像フィルムとしてのC系列は決定論的運命を示していることになる。未来も過去同様に実在しており不可変である、というのが彼の考えだ。それに対してカントは異を唱える。我々が経験的に認識できるのは唯一無二の三次元空間のみであり、未来や過去の空間は経験的に認識できない。なぜできないかというと実在しないからである。三次元空間内の太陽の位置から時刻を決め、時刻と時刻の間を時間と定義して、実在しない時刻を未来と想定してそれに対応した出来事を空想で予想する、太陽は移動するので想像の未来は時刻としては必ず訪れる。そして想像した未来ははずれる、というのが通常だ。
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