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■1109 / inTopicNo.1)  補足:マクタガート
  
□投稿者/ パニチェ -(2019/04/07(Sun) 17:52:12)
    マクタガードのA系列とB系列については永井均も「哲学探究1存在と時間 第11章」で論じていますがテーマが拡散しそうなので省略しました。結論から言えば時間を過去から未来へ不可逆的に流れる“何か”であるという発想そのものをパニチェは否定します。時間は運動を数学的に記述するための仮象でしかなく、実体的な“何か”ではない。そこにあるのはエントロピーの拡散も含めた全体運動であるという仏説的な世界観を支持しています。
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■1101 / inTopicNo.2)  Re[16]: AIバブル
□投稿者/ パニチェ -(2019/04/07(Sun) 08:19:39)
    No1074に返信(restさんの記事)
    > デカルトの心身二元論において我思うゆえにわれあり、とする我=心の実体論をカントは批判しています。心は物質とは異なった心という純粋な実体であるというデカルトの説を批判しています。「私」が「私の身体」なしに自立的に存在する、ということまで示すことはできない。つまりここから「魂の不死」を導くのは誤謬推理である、と見ていますが自我の実体性については物自体の世界であり不可知論なのだということになります。もちろん唯物論的一元論にも批判的であることになります。私もカントを踏襲していますが、不可知論だからといって思考停止するのではなく自我について自由に思索していい、と考えています。自我=自由意志とみています。

    以下、〈私〉についてのカキコは、私(自分)のことは紛らわしいのでパニチェと表記します。
    デカルトのコギトはともかく(パニチェがよく理解できてないので)、永井やパニチェがテーマとしている〈私〉は脳や身体性の随伴現象であると断言できるかどうかは微妙です。
    その理由は逆説的な推論から、ひとつの可能性として導き出される帰結で、(直接的な帰結ではないですが)、次のような問いの向こう側にその可能性が示唆されます。

    この世界の物理的な現象では再現不可能な存在様相が〈私〉の根本的な存在の在り方であり、科学の基本でもある再現性や自然の斉一性が当てはまらないことからして、物質的または運動や作用の随伴現象ではない可能性があるということです。脳や身体は〈私〉の十分条件であるかもしれないが、必要十分条件であるとは言い切れないと、今のところ考えています。

    >  話は飛びますが、リベットの実験でも自由意志の存在が否定された、とのことのようですが動作の0.35秒前に脳の決定する準備電位が決まっており自由意志は存在しないことがその根拠のようです。しかし近年のリベットの実験によれば脳の無意識的決定は動作の0.2秒前に拒否することができるので、自由意志は存在するという説に変わってきたようですね。

    その論説は承知していますが、私はよく把握しておりません。リベットの「マインドタイム」は読みましたが、そのことについては書かれていなかったので。

    仮に無意識的決定は動作の0.2秒前に拒否することができるとして、ではその拒否は脳がどのように反応しているのか?ということです。少なくとも脳の反応なくして拒否はできないわけで、もしそれができるとすれば、それこそ意志は脳が反応した結果とは限らないというような結論になるのではないか?というものです。どこまで行っても、脳が先に反応するわけで、これは無限遡及になってしまうような論説のような気もします。

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■1078 / inTopicNo.3)  Re[15]: AIバブル
□投稿者/ rest -(2019/03/23(Sat) 20:40:23)
    No1077に返信(restさんの記事)
    No1076に返信(restさんの記事)
    訂正3
        ×「私」が「私の身体」なしに自立的に存在することはできない。
        ○「私」が「私の身体」なしに自立的に存在する、ということまで示すことはできない。      
       
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■1077 / inTopicNo.4)  Re[14]: AIバブル
□投稿者/ rest -(2019/03/23(Sat) 15:27:39)
    No1076に返信(restさんの記事)
    訂正2
        ×「私」が「私の身体」なしに自立的に存在することはできない。
        ○「私」が「私の身体」なしに自立的に存在する、ということまで示す      ことはできない。
       
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■1076 / inTopicNo.5)  Re[13]: AIバブル
□投稿者/ rest -(2019/03/23(Sat) 15:22:01)
    訂正
        ×「私」が「私の身体」なしに自立的に存在することはできない。
        ○「私」が「私の身体」なしに自立的に存在する、ということまで示すこ      とことはできない。
       
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■1075 / inTopicNo.6)  Re[12]: AIバブル
□投稿者/ rest -(2019/03/23(Sat) 14:16:31)
    訂正
       × デカルトの心身二元論に老いて
       ○ デカルトの心身二元論において
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■1074 / inTopicNo.7)  Re[11]: AIバブル
□投稿者/ rest -(2019/03/23(Sat) 12:51:27)
    デカルトの心身二元論に老いて我思うゆえにわれあり、とする我=心の実体論をカントは批判しています。心は物質とは異なった心という純粋な実体であるというデカルトの説を批判しています。「私」が「私の身体」なしに自立的に存在することはできない。つまりここから「魂の不死」を導くのは誤謬推理である、と見ていますが自我の実体性については物自体の世界であり不可知論なのだということになります。もちろん唯物論的一元論にも批判的であることになります。私もカントを踏襲していますが、不可知論だからといって思考停止するのではなく自我について自由に思索していい、と考えています。自我=自由意志とみています。
     カントの空間唯一説によれば現実の三次元空間は唯一無二の空間であり、非決定論的自由意志の根拠となっています。マクタガートのA系列の時間の矛盾からその実在性を否定し、B系列=A系列+C系列なので必然的にB系列も否定され、残るはC系列のみとなります。C系列は無数の三次元空間の羅列であり、四次元空間と同一です。するとそこにおいては映像フィルムのように過去も未来も実在することになり、自由意志の存在は否定されることになります。C系列は決定論的運命の支配する世界なのですから自由意志の存在余地はありません。
     話は飛びますが、リベットの実験でも自由意志の存在が否定された、とのことのようですが動作の0.35秒前に脳の決定する準備電位が決まっており自由意志は存在しないことがその根拠のようです。しかし近年のリベットの実験によれば脳の無意識的決定は動作の0.2秒前に拒否することができるので、自由意志は存在するという説に変わってきたようですね。
     カントの空間唯一説では未来は空間として実在しませんから未来は私達が創造していくものだ、という考え方になり、リベットはそれを裏付けているようにみえます。
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■1059 / inTopicNo.8)  Re[10]: AIバブル
□投稿者/ パニチェ -(2019/03/16(Sat) 08:16:41)
    No1051に返信(restさんの記事)
    > AIに自我あるいは自由意志が存在しえるか、という問題は人間以外の動物に自由意志が存在しえるか、という問題と重なっているように思えます。

    同意です。

    > カントの第三アンチノミーによれば欲望などの自然因果性は決定論的であり、それを我慢することができることによって選択の自由が確保され、自由因果性となって非決定論的な自由意志を形成することができる、という自由に基づく倫理観があります。動物は自然因果性を生きているわけですから決定論的に存在し、非決定論的自由意志が存在するとはいえません。自然の斉一性も決定論的なありかたを示し、動物はそれに従うものと考えられます。

    自我ってのは、グラデーション的なイメージがあります。乳幼児から言語を習得することによってエピソード記憶が成立するとともに自己同一性が明瞭となり、やがて物心がつく。自我が芽生えるまでのプロセスもグラデーション的ですし、脳も脊椎の先端(魚類)から始まり、爬虫類脳、哺乳類脳、霊長類脳と進化の歴史を刻んだ重層的な構造で、これにそって自我と呼べないような自他の境界認識(免疫機能のような)ものから徐々に明瞭になるんだと思います。
    こうなると、どっから自我と呼ぶかみたいな定義が必要になるかもしれません。

    あと自由意志に関してはリベットの実験もありますし、ひょっとすると私たちは脳が反応したものを後付けで意志決定しているにもかかわらず、それを自由意志みたく錯覚している可能性もゼロではないと思っています。極論すれば外部刺激が人形師で脳神経系という糸に操られるマリオネットである可能性。完全に否定はできませんが私は限定的な自由意志はあるという説を支持します。空を飛びたくても飛べないが、歩く経路なら自由に選択できる。

    >  AIは目的に向かうアルゴリズムによって合理的かつ最短距離で達成しようとします。それを欲望達成と同じとみるなら、それを抑制し、自ら我慢すると言う行為が選択肢として存在しえるなら自由意志の存在も可能でしょう。ただそれは価値判断を伴うものですから計算的思考では無理かもしれません。量ではなく質の問題ですから。鉄腕アトムのような人間と対等な関係というのはただの夢想かもしれません。

    同意です。少なくとも私達の欲望をベースに考えるなら、やはり自己保存本能に裏付けられたものとなるので、合理的で最短距離で達成しようとするアルゴリズムまたはプログラムは似て非なるものになるんでしょうね。restさんは哲学的ゾンビはありえると思われますか?私は内的世界を持たず外形的な反応は私達に酷似した哲学的ゾンビのようなAIは可能だと考えています。いつからか人工無能を人工知能(AI)と呼ぶようになっている。これはAIバブルではないか、と。

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■1051 / inTopicNo.9)  Re[9]: AIバブル
□投稿者/ rest -(2019/03/10(Sun) 22:04:12)
    AIに自我あるいは自由意志が存在しえるか、という問題は人間以外の動物に自由意志が存在しえるか、という問題と重なっているように思えます。
    カントの第三アンチノミーによれば欲望などの自然因果性は決定論的であり、それを我慢することができることによって選択の自由が確保され、自由因果性となって非決定論的な自由意志を形成することができる、という自由に基づく倫理観があります。動物は自然因果性を生きているわけですから決定論的に存在し、非決定論的自由意志が存在するとはいえません。自然の斉一性も決定論的なありかたを示し、動物はそれに従うものと考えられます。
     AIは目的に向かうアルゴリズムによって合理的かつ最短距離で達成しようとします。それを欲望達成と同じとみるなら、それを抑制し、自ら我慢すると言う行為が選択肢として存在しえるなら自由意志の存在も可能でしょう。ただそれは価値判断を伴うものですから計算的思考では無理かもしれません。量ではなく質の問題ですから。鉄腕アトムのような人間と対等な関係というのはただの夢想かもしれません。
     
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■1041 / inTopicNo.10)  AIバブル
□投稿者/ パニチェ -(2019/03/10(Sun) 07:56:00)
    私は人工知能について否定的なスタンスです。
    まず人間のような自我意識は現時点でのアルゴリズム上に再現することは不可能だと考えています。

    大まかな理由として

    1.身体性を伴った意識でなければ人間のような意識たりえない。
    2.生死があり自己保存本能と種の保存という時に相反するようなベクトルはシステムとして共存できない。
    3.私秘性や内的世界は非計算的かつメタであり、アルゴリズム上には再現不可能である。
    4.独在論的〈私〉(永井均氏の表現)は存在自体において、自然の斉一性や再現性の範疇を超えた対象である。
    5.文化や生活が伴ったものでなければコンテクスト上の言語を理解できないし、学ぶことも不可能である。

    他にもありますし、粗っぽくカキコしましたが、以上のような理由です。
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■1035 / inTopicNo.11)  Re[7]: イクストラン君の哲学的探究の結晶
□投稿者/ rest -(2019/03/08(Fri) 08:38:55)
    フォイエルバッハの疎外論でしょうか。共同体の類的精神が本来の共同体から離れ、疎遠となり外に投影されて逆に共同体を支配する。神とはそういうものです。著書『キリスト教の本質』より。機械による人間疎外は実存主義あたりだと思いますが、自ら造りだしたものに自らが支配される構造ですね。AIもそんな気がします。解決の方向性としては支配ー被支配関係の逆転ではなくて、対等な関係がいいのではないか、と思っています。もしAIが人間と同じ自由意志を持ちうるようになったらそういう方向がいいのではないか。その意味では非人間であるAIを認める点でポスト・ヒューマニティーズかもしれませんね。
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■1022 / inTopicNo.12)  Re[6]: イクストラン君の哲学的探究の結晶
□投稿者/ パニチェ -(2019/03/03(Sun) 10:55:50)
    No1003に返信(restさんの記事)
    > 現代思想1月号によれば現代思想の潮流をポスト・ヒューマニティーズと呼んでいる。それは思考する人間を中心に置くのではなく、非人間のほうへと哲学を開こうとしている、ということのようだ。グレハム・ハーマン、カンタン・メイヤスーのオブジェクト指向存在論、思弁的実在論はその系譜だ。その他レイ・ブラシエやハミルトン、ブライアント、ボゴスト、モートン、最近有名になってきたマルクス・ガブリエルやマウリツィオ・フェラーリス。人類学の存在論的転回やアクターネットワーク理論においても新しい動きがみられる。

    ちょい脱線するかもしれませんが最近のAIバブルなんかも非人間のほうへ人間自身を導いているような気がしてなりません。
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