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■1665 / inTopicNo.49)  Re[46]: 原爆忌2
  
□投稿者/ rest -(2019/08/08(Thu) 10:15:02)
    2019/08/08(Thu) 10:24:44 編集(投稿者)

    責任には二つあります。個人としての責任と共同体社会としての責任いわば社会的責任です。原爆投下はアメリカの一大統領の個人的責任というだけではなく彼を選んだ国民にも責任があります。過去はそれでよいでしょう。しかし未来における核爆弾の使用はどの国のどこの国民でも行う可能性があります。未来の選択には私たちは誰でも責任を負っているのです。だからこそ広島と長崎で起きた悲惨な出来事に対して責任を持つ必要があるのです。未来の選択の過ちは過去の忘却に原因があります。過去を反省するということは未来に責任を負うということです。個人としても社会としても未来の選択に責任をもつことが必要でしょう。
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■1660 / inTopicNo.50)  原爆忌
□投稿者/ rest -(2019/08/07(Wed) 09:14:48)
    2019/08/08(Thu) 09:20:00 編集(投稿者)

    被爆74年。広島は8月6日、長崎は8月9日に原爆忌をむかえることになりました。核反応による犠牲者は二度と出してはなりません。過去は消滅するからこそ記憶することの大切さを自覚します。自由意志は選択した過去に責任をもたねばなりません。過去の記憶がないと誰も責任を持とうとしません。過去の記憶があるかぎり人は責任を持ち続けます。
    2年前、国連本部で122か国が参加して採択された「核兵器禁止条約」。なぜ被爆当事国である日本が参加しなかったのか理解できません。核の傘の中にいると矛盾した行為はできないということでしょうか。それならなぜ非核三原則が設定されたのでしょうか。これも矛盾ではないですか。問題は政治意志がどのような方向性をもつかということではないでしょうか。方向性で行動を選択するのです。現状を変えるための方向性です。現状に合わせる必要はないのです。私たちは過去にもまた未来にも責任を持ちましょう。自由意志を生きるものとして。
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■1652 / inTopicNo.51)  Re[44]: 誰にとっての決定論なのか
□投稿者/ rest -(2019/08/04(Sun) 11:26:56)
    核分裂における質量欠損と飛び出してくるエネルギーのあいだにはE=mc^2の関係があるといわれているが、
    物体が光エネルギーを放射すればその質量は減少するというが光の粒子が質量をもつと実験的にいわれているのでトータルでは質量は減らない。すなわち質量保存の法則は成り立っているのである。
    光の粒子の質量が0ならば確かに質量欠損の分エネルギーに転化したといえるが、光の粒子が質量をもてば質量は減っていない。つまり質量はエネルギーに転化していない。したがって質量はエネルギーではない。実験的には光の粒子の質量m≦10^-14ev/c^2といわれている。E=mc^2は成り立たない。

    Teacupの再論で申し訳ないが、反論がなかったので反論を含め意見をききたい。
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■1647 / inTopicNo.52)  Re[43]: 誰にとっての決定論なのか
□投稿者/ パニチェ -(2019/08/03(Sat) 18:14:37)
    アゲ♪
    ロムを楽しみにしています。
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■1623 / inTopicNo.53)  Re[42]: 誰にとっての決定論なのか
□投稿者/ 無縁仏三郎 RX -(2019/08/01(Thu) 01:26:00)
    物理法則も数学も人間の記号活動の一種なので恣意的です。

    数学というのは環境情報の人間の意識による抽象化で物理法則も環境の記述。

    記号も数式も文字も言葉も実験装置もすべて人間と環境の相互作用。

    だから人工宇宙をつくろうなんて話もあります。

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■1621 / inTopicNo.54)  Re[41]: 誰にとっての決定論なのか
□投稿者/ rest -(2019/08/01(Thu) 00:16:57)
    時間の長さをwとおいて、光は1秒で30万キロすすむので、あたかも時間に長さがあるように考えてw=ctと定義する。光が1秒ですすむ距離を「光秒」と呼ぶ。
    人間が勝手につけた定義なら1秒で歩く私の距離でもよいことになるね。
    光で定義するとローレンツ変換後にピタゴラスの定理は-(w)^2となりtは虚数でないと辻褄があわなくなるということのようですね。それにしてもそこからE=mc^2が導き出されるからとても恣意的なものを感じます。
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■1619 / inTopicNo.55)  Re[40]: 誰にとっての決定論なのか
□投稿者/ 無縁仏三郎 RX -(2019/07/31(Wed) 21:55:47)
    虚数というのも自然数、有理数、無理数と同じで記号構成物です。

    もともと代数方程式が解を持つために導入されましたが解析から量子力学まで
    虚数なしには展開できません。

    そしてミンコフスキー空間も一種の幾何学として公理的に展開できます。
    その際にはユークリッド空間にない制約があるため時間にマイナスをつけただけ。

    つまりすべては人間にとっての都合です。
    時間という人間側のフィクションが物理的観測と整合性を失わないように。

    量子力学にしても大きな物体のふるまいと素粒子のふるまいは共通であるという
    人間の勝手な考えが修正されただけ。

    我々の自然のモデルは永遠に修正が必要とされ完全な理論はできないでしょう。
    これは数学の無尽蔵性によります。自然の一部である数学がある時点で完成
    することがないなら自然全体の理論も完成しないということです。
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■1618 / inTopicNo.56)  Re[39]: 誰にとっての決定論なのか
□投稿者/ rest -(2019/07/31(Wed) 09:06:38)
    No1616に返信(無縁仏三郎 RXさんの記事)
    > ミンコフスキー空間というのは時空図であり時間座標があるということで
    > その世界ではすべてが停止していますよね。
    >
    > つまり場所と時間を指定すれば事象があると。
    >
    > 私はミンコフスキー空間の時空図は誰がどこから見てるのかを問題にしたい。
    >
    > なぜかというと人間は過去と未来のすべてを見ることはできませんので。
    >
    > 初歩的な特殊相対論の本に答えが書いてあるかもしれないので今後の課題とします。

    3次元空間のピタゴラスの定理は
    x^2+y^2+z^2=r^2(rは慣性系の座標原点からの距離)
    4次元空間(ミンコフスキー空間)のピタゴラスの定理は
    x^2+y^2+z^2-(ct)^2=T^2
    となります。基本的に時間tは虚数iなのでマイナスはプラスに変わります。問題はなぜ時間は虚数なのかということですね。時間は実在しない、ということを示しているのかもしれませんね。
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■1616 / inTopicNo.57)  Re[38]: 誰にとっての決定論なのか
□投稿者/ 無縁仏三郎 RX -(2019/07/30(Tue) 23:22:40)
    ミンコフスキー空間というのは時空図であり時間座標があるということで
    その世界ではすべてが停止していますよね。

    つまり場所と時間を指定すれば事象があると。

    私はミンコフスキー空間の時空図は誰がどこから見てるのかを問題にしたい。

    なぜかというと人間は過去と未来のすべてを見ることはできませんので。

    初歩的な特殊相対論の本に答えが書いてあるかもしれないので今後の課題とします。
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■1611 / inTopicNo.58)  Re[37]: 誰にとっての決定論なのか
□投稿者/ rest -(2019/07/30(Tue) 08:53:57)
    No1575に返信(無縁仏三郎 RXさんの記事)
    > ということを考えてみる。
    >
    > 歴史の年表は過去しかなく未来は空白である。
    >
    > しかし埋まってる部分もかつては空白だった。
    >
    > よって未来は人間にとって決定されていない。
    >
    > ここで神にとっては…などとごまかしてはだめだ。
    >
    > 人間にとって未来が空白であるということは人間の能力の限界を示している。
    > そんな限界のある人間が神の能力を捏造して中世神学的妄想に陥るわけだ。
    >
    > 神というのも限界のある精神がこしらえた言語構成物。
    > 言語構成物は環境の劣化コピー。どんなにもっともらしく聞こえても
    > 劣化コピー間の優劣の争いになるだけ。

    無縁氏のオリジナルの時間論ですね。未来の非実在性については共有していますけれども、問題は過去の捉え方です。年表の先端である現在から先の未来は存在しないけれども過去は存在している。つまりタイムマシンでいけるような過去が実在していると考えているのかどうか。実在する年表が現在で途切れているというのは経験的には理解できるけれどもなぜ途切れているのか、先端の現在からどうやって過去の実在が形成されていくのか、つまりミンコフスキー空間が未来が実在せず過去のみ実在するという根拠が理解できないのです。過去は累積していくけれどもどこから追加の三次元空間をもってくるのか、ということです。
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■1608 / inTopicNo.59)  Re[38]: 訂正(ラッセルの変化説)
□投稿者/ rest -(2019/07/28(Sun) 21:58:42)
    2019/07/28(Sun) 22:03:08 編集(投稿者)


    マクタガートにおける変化とはA系列の変化である。未来の出来事が現在に移動しそして現在から過去へと移動していく。これが変化だ。それに対してラッセルは変化を物の性質、状態の変化としてとらえている。それはB系列のみで変化を認識できるという考え方だ。真理値(真である/偽である)の交代で「変化」を捉えることである。「火かき棒は熱い」から「火かき棒は冷たい」への変化はこうなる。「時点tで火かき棒は熱い」は真であるが、「時点t′で火かき棒は熱い」は偽である。真理値のこのような真から偽への交代によって「変化」を捉える。
    B系列=A系列+C系列なのでどの時点も現在であり、ある時点より後の時点は未来であり前の時点は過去である。われわれが今この時点を唯一の現在とする根拠はない。するとB系列は変化を含んでいることになる。
    アウグスティヌスが
    「三つの時間すなわち過去のものの現在、現在のものの現在、未来のものの現在が存在するというほうがおそらく正しいであろう。じっさいこれらのものは心のうちにいわば三つのものとして存在し、心以外に私はそれらのものを認めないのである。すなわち、過去のものの現在は記憶であり、現在のものの記憶は直覚であり、未来の現在は期待である」(『告白』岩波文庫p.123)
    で述べているようにすべてが現在である。
    永遠の「現在」という概念は二つの存在の仕方があるのである。ひとつはB系列はどの時点も現在だから一覧する映像フィルムとして永遠の現在とみなす見方とつまりはラッセルの見方と、もう一つは未来や過去を主観とみなして現在のみを実在とみなす永遠の現在という見方つまりはアウグスティヌスの見方がある。前者は決定論的運命を示し、後者は非決定論的自由意志を示している。
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■1607 / inTopicNo.60)  Re[40]: �
□投稿者/ rest -(2019/07/28(Sun) 21:39:26)
    2019/07/28(Sun) 21:44:46 編集(投稿者)

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