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■9643 / inTopicNo.25)  開闢
  
□投稿者/ knowing itself -(2020/12/01(Tue) 18:43:17)
    「私・今・そして神 開闢の哲学」永井均 p223 より引用

    私、今、現実、神・・・世界の内部で理解されるなら、それらはつねに、もし世界内の一存在者でないとすれば何も連動していない歯車にすぎない。だからもちろん、そんなものは存在しないとつねに言える。しかし、通り越して短絡させることができる、機構全体とまったく繋がっていない、その歯車こそが、その機構全体をはじめて現実に存在(つまり実存)させているのだ。
    それがすべての開闢であると同時に、そんなものはどこにも存在しない。すなわち、そんなものはどこにも存在しないと同時に、それがすべての始まりなのである。
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■9584 / inTopicNo.26)  Re[28]: 質問と返答
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/11/29(Sun) 17:30:00)
    ■9565 、ノウセルフさま、ありがとございます。

    ちょっとわたしの感想書くけど何でもないからね。

    >私の哲学の主題は、‥‥西洋哲学の伝統を守る哲学アカデミズムそのものだと思います。<
    「私」っていうのは永井均ちゃんのことよね。

    わたし「アカデミズム」って意味わかんなかったからネットのことばくんで調べてみたら、
    〔アカデミーに由来し,伝統,権威を重んじる学風をいう。社会の現象的動向からは離れて純粋に学問的立場をとるところから「象牙の塔」の名で呼ばれるように,実践的な面は重視せず,学問至上主義的となる。日本においてはアカデミズムの府として学士院,学会,研究所などがあげられる。また芸術上のアカデミズムは,日本においては日本芸術院に代表される。ヨーロッパではフランスのアカデミー・デ・ボザールや官展 (サロン) がその一大拠点であった。 19世紀になり反アカデミーの諸運動が相次いで生じるが,なおもアカデミーを中心とする傾向をアカデミズムと呼ぶようになった。〕
    ってあった。
    均ちゃんて、こっち系なのね。

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■9580 / inTopicNo.27)  自己レス
□投稿者/ knowing itself -(2020/11/29(Sun) 15:34:50)
    No9557に返信(knowing itselfさんの記事)
    > 〈私〉は、すべてであると同時に何でもないからっぽである。前者が真我で後者が無我にあたると一応いえる。

    初版1986年の「〈私〉のメタフィジックス」でも内容的に同じようなことをいっています。というか、かなり綿密な記述。

    >特定の誰それを通して〈私〉が開闢されるとき、それをリアルに体験できるのは特定の誰それだけ。
    > なので、まったく別人の誰それに果たして開闢されるのか、開闢されるとしてどういうものであるかは、わかりえない。

    第五図は、あの坐禅している人の身体や感覚や表象や心を通して、世界が開闢されている、その端的な開闢こそがポイントだとみているのでしょう。十代の時からの世界の捉え方そのまんまだと。身体や感覚などは開闢の内部の出来事、そこから開闢される媒体なので、開闢そのものとは非同一です。永井さんも開闢の内部の出来事にまつわる雑念や煩悩は、瞑想ですぐに消せるといっています。


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■9568 / inTopicNo.28)  Re[30]: 言語・形而上学・私
□投稿者/ knowing itself -(2020/11/28(Sat) 22:07:01)
    感覚体験がいかに大事だといっても、人間は自分の感覚体験以外は原則まったく直接体験できない。他人の感覚体験は他人の言語によって間接的に入り込めるだけ。言語の限界とともに、言語の秘めた力の凄さ?他人の数がどれだけ多くても、言語によってある程度まで共有可能になる。形而上学とは根本的には言語の機能や本質から生まれるともいえる。

    クラシック音楽を聴くのだって、自分で音を直接聴く以外のわかり方はありません。他人の言語による解説は、どんなに優秀なプロによるものだろうと、参考程度。自分の耳で聴かなきゃ無意味。
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■9566 / inTopicNo.29)  言語・形而上学・私
□投稿者/ knowing itself -(2020/11/28(Sat) 19:51:05)
    〈私〉の外に言語化不能な領域があるという立場ではないでしょう。〈私〉の外に、〈私〉を超えては何もない。ここは神と同等。
    言語があるゆえに〈私〉を語り出せる、語らざるをえない。語り出しても「私」に頽落すること必至だけど、言語は〈私〉を語りえない悪者とはならない。ここが東洋的な瞑想や神秘主義のある種の立場とは、異なるところ。後期ウィトゲンシュタイン的な、すべては言語ゲーム的だというのと歩調を合わせるのはこういう点。

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■9565 / inTopicNo.30)  Re[28]: すべてであると同時に何でもない。
□投稿者/ knowing itself -(2020/11/28(Sat) 19:40:01)
    悪魔ちゃんへ

    > における「質問にたいして」、どのような質問だったのかしら?

    哲学アカデミズムについてはどう考えているかという質問。
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■9560 / inTopicNo.31)  Re[27]: すべてであると同時に何でもない。
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/11/28(Sat) 18:57:51)
    ■9550、ノウセルフさま、
    >永井均さんは、2017年6月27日のツイッターで、質問にたいして下記のように返答されています<
    における「質問にたいして」、どのような質問だったのかしら?

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■9557 / inTopicNo.32)  すべてであると同時に何でもない。
□投稿者/ knowing itself -(2020/11/28(Sat) 16:28:42)
    〈私〉は、すべてであると同時に何でもないからっぽである。前者が真我で後者が無我にあたると一応いえる。すべてと何でもないは誰にとっても同じと考えてもいいはずだが、特定の誰それを通して〈私〉が開闢されるとき、それをリアルに体験できるのは特定の誰それだけ。
    なので、まったく別人の誰それに果たして開闢されるのか、開闢されるとしてどういうものであるかは、わかりえない。

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■9554 / inTopicNo.33)  言語ゲームの拡張
□投稿者/ knowing itself -(2020/11/28(Sat) 14:04:18)
    > 〈私〉というものは、二つとありえない他の開闢点の存在を暗に措定した場合にだけ語りうるので、他の開闢点である他者を予想せざるをえない。そういうことのようです。

    「私」にしても「今」にしても、言語の最も基本を形成する文法的な要素。すべてが言語ゲームだという汎言語ゲーム主義を是認すると同時に、語りえぬ領域こそが最も重要だという立場はここから出てくるように思う。
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■9552 / inTopicNo.34)  Re[26]: knowing itselfさんへ
□投稿者/ knowing itself -(2020/11/28(Sat) 13:21:55)
    pipitさんへ

    >>〈私〉というものは、二つとありえない他の開闢点の存在を暗に措定した場合にだけ語りうるので、他の開闢点である他者を予想せざるをえない。そういうことのようです。
    >>
    >>結論からいうと、山下さんの〈私〉性は永井さんからはわかりえないとなるでしょう。<
    >
    > 同じ〈私〉を題材にしてても、その言葉に込めるものが、ほんのわずかに異なってなり、欠けてたり、過分だったり、の可能性があるのかな、と思いました。

    仮に題材も言葉に込めるものも完璧に合致して、欠けたり過分だったりがゼロだとしても、他の誰かに〈私〉が現前しているかは、わかりえない。そう考えておられると思います。

    〈私〉とは世界に唯一存在している容器のようなもので、世界の存在するものは漏れなくすべて容器の中にある。容器の中の存在する者である山田さん、山本さん、山下さんも自分と同じように〈私〉という容器ももっていて、その中のknowingitselfという存在する者に出会っているのだろうと想定できる。しかしそれ以外ないと言ってしまえば容器が並列的に多数あることになるので前提が崩壊する。そういうことだと思います。これは山田さんからみても同じです。

    〈私〉がどういうものであるかについては、おそらく同じものだ?というニュアンスでしょう。ただ、〈私〉はこの自分から開かれているとしかいえない。それ以上わかりえない。

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■9550 / inTopicNo.35)  哲学アカデミズム
□投稿者/ knowing itself -(2020/11/28(Sat) 12:38:25)
    永井均さんは、2017年6月27日のツイッターで、質問にたいして下記のように返答されています。

    引用開始

    私の哲学の主題は、神の存在論的証明、出エジプト記と省察における「エゴ・スム」、超越論的観念論、ウィトゲンシュタイン的独我論、可能世界の現実主義と可能主義、時間のA系列とB系列、…が実はみな同じ問題であることの提示にあるので、西洋哲学の伝統を守る哲学アカデミズムそのものだと思います。
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■9496 / inTopicNo.36)  Re[26]: 雑談
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/11/26(Thu) 18:53:31)
    雑問ね。

    中島義道さんや永井均さんは、新型コロナウィルスについてなんか言ってるのかしら?
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