| デカルトも”何か”に気づいたみたい。
前にも抜粋したけどここでもスルーみたいだけど。だから何度でも抜粋しちゃうよ〜。 【第一省察 疑いを差しはさみうるものについて( 〈懐疑〉を徹底する ) 私は、すでに幾年か前のことになるが、こう気づいたのである。幼少の頃にどれほど多くの偽なるものを真なるものとして私が受け入れてしまっていることか、そしてそのようなものの上にその後私の積み重ねてきているものがどれほど疑わしいものであることか、したがって、もろもろの学問において堅固で朽ちることのないものを私がいつかは定着させたいと願うならば、一生に一度は[断固として]すべてを抜本的に覆してしまって、最初の土台からあらためて始めなければならない、と。】(『省察と反論と答弁』デカルト著より)
このあと「我」が登場して「我思う」ってなって。「我存在する」っていう〈存在〉へとデカルトの物語りが展開されることになるんだと、わたし見てるよ。
彼は「学問において」みたいだけど、いづれにしても、〈何か〉に気づいたんよね。
問題なのは、彼は何に気づいたのかしら?っていうこと。
ニーチェもこのような省察がなくて、「我思う」から出発しちゃってるんじゃない?ようするに、途中から始めてるっていう感じかな。
途中から始める物語はな〜んか疲れちゃう。
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