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■8838 / inTopicNo.73)  Re[16]: 質問
  
□投稿者/ knowing itself -(2020/11/08(Sun) 16:05:25)
    minoriさんへ

    No8825に返信(minoriさんの記事)
    > knowing itselfさんへ。
    >
    > knowing itselfさんのご投稿をお借りしてきました。
    >
    > >映画内容に気づいていることに気づく。
    >
    > >映画内容にもスクリーンにも同時に気づいているけれど、本質的なのは映画内容から独立しているスクリーンに気づいていること。
    >
    > >これが第五図。第四図はスクリーンへの気づきなしに映画内容だけに気づいている状態。
    >
    > デカルトの「我思う、ゆえに我あり。」という時の「我」というのは、第四図・第五図ということから言えば、第四図での「我」になりますよね?

    普通はそう考えて問題なさそうですが、実は難しい問題を孕むそうです。第四図、第五図を西洋哲学的に再評価しているのは永井さんですが、永井さんによると、この図の意味が真にわかっているのは、ウィトゲンシュタイン、うすうすわかっていたのがデカルト。永井さんもわかっている(笑)。カントはこの二人に及ばないと。
引用返信/返信 削除キー/
■8825 / inTopicNo.74)  質問
□投稿者/ minori -(2020/11/08(Sun) 09:03:10)
    knowing itselfさんへ。

    knowing itselfさんのご投稿をお借りしてきました。

    >映画内容に気づいていることに気づく。

    >映画内容にもスクリーンにも同時に気づいているけれど、本質的なのは映画内容から独立しているスクリーンに気づいていること。

    >これが第五図。第四図はスクリーンへの気づきなしに映画内容だけに気づいている状態。

    デカルトの「我思う、ゆえに我あり。」という時の「我」というのは、第四図・第五図ということから言えば、第四図での「我」になりますよね?

引用返信/返信 削除キー/
■8815 / inTopicNo.75)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ minori -(2020/11/07(Sat) 20:52:33)
    No8808に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > デカルトも”何か”に気づいたみたい。
    >
    > 前にも抜粋したけどここでもスルーみたいだけど。だから何度でも抜粋しちゃうよ〜。
    > 【第一省察 疑いを差しはさみうるものについて( 〈懐疑〉を徹底する )
    > 私は、すでに幾年か前のことになるが、こう気づいたのである。幼少の頃にどれほど多くの偽なるものを真なるものとして私が受け入れてしまっていることか、そしてそのようなものの上にその後私の積み重ねてきているものがどれほど疑わしいものであることか、したがって、もろもろの学問において堅固で朽ちることのないものを私がいつかは定着させたいと願うならば、一生に一度は[断固として]すべてを抜本的に覆してしまって、最初の土台からあらためて始めなければならない、と。】(『省察と反論と答弁』デカルト著より)
    >
    > このあと「我」が登場して「我思う」ってなって。「我存在する」っていう〈存在〉へとデカルトの物語りが展開されることになるんだと、わたし見てるよ。
    >
    > 彼は「学問において」みたいだけど、いづれにしても、〈何か〉に気づいたんよね。
    >
    > 問題なのは、彼は何に気づいたのかしら?っていうこと。
    >
    > ニーチェもこのような省察がなくて、「我思う」から出発しちゃってるんじゃない?ようするに、途中から始めてるっていう感じかな。
    >
    > 途中から始める物語はな〜んか疲れちゃう。

    悪魔ちゃん、こんばんは。

    我思う、ゆえに我あり。

    確かに言えるものとは何かと考えてみたら、「何かを考えている我がここにいる、というのは疑いえない。」と デカルトは気づいた、でよかったかな?
    それともまた別な何かにも気づいたの?
引用返信/返信 削除キー/
■8808 / inTopicNo.76)  Re[13]: 気づき
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/11/07(Sat) 19:25:57)
    デカルトも”何か”に気づいたみたい。

    前にも抜粋したけどここでもスルーみたいだけど。だから何度でも抜粋しちゃうよ〜。
    【第一省察 疑いを差しはさみうるものについて( 〈懐疑〉を徹底する )
    私は、すでに幾年か前のことになるが、こう気づいたのである。幼少の頃にどれほど多くの偽なるものを真なるものとして私が受け入れてしまっていることか、そしてそのようなものの上にその後私の積み重ねてきているものがどれほど疑わしいものであることか、したがって、もろもろの学問において堅固で朽ちることのないものを私がいつかは定着させたいと願うならば、一生に一度は[断固として]すべてを抜本的に覆してしまって、最初の土台からあらためて始めなければならない、と。】(『省察と反論と答弁』デカルト著より)

    このあと「我」が登場して「我思う」ってなって。「我存在する」っていう〈存在〉へとデカルトの物語りが展開されることになるんだと、わたし見てるよ。

    彼は「学問において」みたいだけど、いづれにしても、〈何か〉に気づいたんよね。

    問題なのは、彼は何に気づいたのかしら?っていうこと。

    ニーチェもこのような省察がなくて、「我思う」から出発しちゃってるんじゃない?ようするに、途中から始めてるっていう感じかな。

    途中から始める物語はな〜んか疲れちゃう。

引用返信/返信 削除キー/
■8803 / inTopicNo.77)  無題
□投稿者/ minori -(2020/11/07(Sat) 18:21:53)
    「気づき(意識)」が本質としての自分で、身体・思考・感情などはそこに表れるものと考える非二元によって、特に自分の思考に苦しめられている人はラクになれると思う。
    私自身がそうだった。
    思考、感情はあくまで気づかれる側である、というのが分かりとてもラクになった、という経緯がある。
    このことを知ることができないでいたら、今もとても苦しいの毎日が続いていたかもしれない。

    非二元でも「悟り」という言葉を使う人はいるのだけれど、それ自身にこだわっている人はまず見かけなく、むしろしかたなく使用している感じさえ伝わってくる。
    私個人の思いとしては、仏教や禅などの修行を通じて悟りをえるという人と、非二元でしかたなく使っている悟りという言葉の意味内容が同じである、などとは思っていない。
    おそらくだけど、仏教や禅をしている人たちからすれば、そんなものを悟りと言ってほしくない、というプライドのようなものを持たれるのも自然かと思う。

    でも。非二元で、しかたなく悟りという言葉を使用したとしても、その人が、自分が悟りを開いた立派な人間だ、と思っている可能性は限りなく低い。
    なぜかというと、非二元では個別のもの、個人というのは存在しないと考えるので、悟った個人というのも存在しないから。

    非二元の人たちは、悟りということではなく、開放性や自由さ、ラクさというようなことに意義をみいだしている。

    非二元で悟りという言葉を使用しなくていいように、何か相応しい名称を考えてくれる著者が現れるといいな。
引用返信/返信 削除キー/
■8800 / inTopicNo.78)  Re[12]: 意識(非二元において)
□投稿者/ minori -(2020/11/07(Sat) 16:58:27)
    No8794に返信(knowing itselfさんの記事)

    knowing itselfさん、レスありがとうございます。
    お手数をおかけしました。

    >>人間、すべての生き物、物質とされるもの、宇宙空間。
    >>これらのものは、すべて「意識」の上にしか表われ得ない、意識の外には表われ得ない、という意味において、
    >>「すべてのものは意識である」になるのかもしれない。
    >>ここ、何か分かったように感じる。
    >>
    >>逆に、「すべてのものは意識である」の「意識」をカテゴリー分けしたものが、人間、すべての生き物、物質とされるもの、宇宙空間ということになるのだろう。
    >
    > 意識そのものはカテゴリー分けできないと思います。意識の内に生起したものをカテゴリー分けすることは可能でしょう。

    ああ、すみません。。ここ、私の表現が下手すぎたのですが、書かれているのと同じことを私も言いたかったのでした。
    意識の内に生起したものをカテゴリー分けする、ということですね。

    >>「すべてのものは意識である」という観方からすれば、生死もなく、それはイメージなのだ、ということになるのだろう。
    >>ルパートスパイラが動画で語っているのはこのことなのではないか、と思う。
    >
    > そうでしょう。

    はい。

    >>しかし。私たちの目にはもちろん生死はあるし、人間が猛スピードで走ってくる車と衝突すれば死亡するというのがこの世界での事実となっている。
    >>
    >>まとめると。
    >>「すべてのものは意識である」という観方(非二元の観方)と、「意識の上にリアリティとしてのさまざまなものが表れている」という観方のどちらを取るのも、意識の中で行われていること、だというのが言える。
    >>いずれにしても意識からは離れようがないのだ。
    >
    > そうだと思います。

    はい。

    >>そして、「すべてのものは意識である」という観方をしても、日常生活を送ったり、科学的な思考を行ったりするのに対して矛盾は生じない、ということ。
    >>この観方をするからと言って、命をむやみに粗末にするようなことはなく、むしろ新鮮な驚きと開放性になるということ。
    >
    > まったくそのとおりで、非二元の観方が、命を粗末にしたり、道徳や科学的思考を無視するとか、虚無的だとかいう批判は見当違いだと思います。

    はい。開放性、自由、親密さというような言葉が合う世界観だと思います。
    非二元の覚者といわれる人々もこのような魅力を感じる人が多い気がします。

引用返信/返信 削除キー/
■8794 / inTopicNo.79)  Re[11]: 意識(非二元において)
□投稿者/ knowing itself -(2020/11/07(Sat) 16:22:13)
    こんにちは

    No8779に返信(minoriさんの記事)
    > 人間、すべての生き物、物質とされるもの、宇宙空間。
    > これらのものは、すべて「意識」の上にしか表われ得ない、意識の外には表われ得ない、という意味において、
    > 「すべてのものは意識である」になるのかもしれない。
    > ここ、何か分かったように感じる。
    >
    > 逆に、「すべてのものは意識である」の「意識」をカテゴリー分けしたものが、人間、すべての生き物、物質とされるもの、宇宙空間ということになるのだろう。

    意識そのものはカテゴリー分けできないと思います。意識の内に生起したものをカテゴリー分けすることは可能でしょう。

    > 「すべてのものは意識である」という観方からすれば、生死もなく、それはイメージなのだ、ということになるのだろう。
    > ルパートスパイラが動画で語っているのはこのことなのではないか、と思う。

    そうでしょう。

    > しかし。私たちの目にはもちろん生死はあるし、人間が猛スピードで走ってくる車と衝突すれば死亡するというのがこの世界での事実となっている。
    >
    > まとめると。
    > 「すべてのものは意識である」という観方(非二元の観方)と、「意識の上にリアリティとしてのさまざまなものが表れている」という観方のどちらを取るのも、意識の中で行われていること、だというのが言える。
    > いずれにしても意識からは離れようがないのだ。

    そうだと思います。

    > そして、「すべてのものは意識である」という観方をしても、日常生活を送ったり、科学的な思考を行ったりするのに対して矛盾は生じない、ということ。
    > この観方をするからと言って、命をむやみに粗末にするようなことはなく、むしろ新鮮な驚きと開放性になるということ。

    まったくそのとおりで、非二元の観方が、命を粗末にしたり、道徳や科学的思考を無視するとか、虚無的だとかいう批判は見当違いだと思います。


    > ただし、なかなかこのことについての理解は難しいものかもしれないし、無理にこのように思うものではないと言えると思う。
    >
    > やはり、ニーチェクラブに投稿するようになってよかったな〜。
    > 一般的にはありえないとされるような観方も、排除されることなく語り合うことができるので、いろいろ教えてもらうこともできて、理解を深められる。
引用返信/返信 削除キー/
■8785 / inTopicNo.80)  Re[11]: 無題
□投稿者/ minori -(2020/11/07(Sat) 12:57:30)
    No8777に返信(マジカルモンキーさんの記事)
    > はい、こんにちわ、minoriさん
    >
    > 「野性の思考」の呪術的思考、
    > 不思議の国のアリスは顕著だと思うんですが、
    > あれが呪術的思考なのではなかろうか?

    マジモンさん、こんにちは。


    呪術的思考からなる世界観を表現している、という言い方はできるかもしれないですね。
    今流行の鬼滅の刃もそうかもですね。
引用返信/返信 削除キー/
■8779 / inTopicNo.81)  意識(非二元において)
□投稿者/ minori -(2020/11/07(Sat) 11:34:20)
    人間、すべての生き物、物質とされるもの、宇宙空間。
    これらのものは、すべて「意識」の上にしか表われ得ない、意識の外には表われ得ない、という意味において、
    「すべてのものは意識である」になるのかもしれない。
    ここ、何か分かったように感じる。

    逆に、「すべてのものは意識である」の「意識」をカテゴリー分けしたものが、人間、すべての生き物、物質とされるもの、宇宙空間ということになるのだろう。

    「すべてのものは意識である」という観方からすれば、生死もなく、それはイメージなのだ、ということになるのだろう。
    ルパートスパイラが動画で語っているのはこのことなのではないか、と思う。

    しかし。私たちの目にはもちろん生死はあるし、人間が猛スピードで走ってくる車と衝突すれば死亡するというのがこの世界での事実となっている。

    まとめると。
    「すべてのものは意識である」という観方(非二元の観方)と、「意識の上にリアリティとしてのさまざまなものが表れている」という観方のどちらを取るのも、意識の中で行われていること、だというのが言える。
    いずれにしても意識からは離れようがないのだ。

    そして、「すべてのものは意識である」という観方をしても、日常生活を送ったり、科学的な思考を行ったりするのに対して矛盾は生じない、ということ。
    この観方をするからと言って、命をむやみに粗末にするようなことはなく、むしろ新鮮な驚きと開放性になるということ。
    ただし、なかなかこのことについての理解は難しいものかもしれないし、無理にこのように思うものではないと言えると思う。

    やはり、ニーチェクラブに投稿するようになってよかったな〜。
    一般的にはありえないとされるような観方も、排除されることなく語り合うことができるので、いろいろ教えてもらうこともできて、理解を深められる。
引用返信/返信 削除キー/
■8777 / inTopicNo.82)  Re[10]: 無題
□投稿者/ マジカルモンキー -(2020/11/07(Sat) 11:13:00)
    はい、こんにちわ、minoriさん

    「野性の思考」の呪術的思考、
    不思議の国のアリスは顕著だと思うんですが、
    あれが呪術的思考なのではなかろうか?


引用返信/返信 削除キー/
■8734 / inTopicNo.83)  Re[12]: 記号
□投稿者/ minori -(2020/11/05(Thu) 20:43:21)

    > 恐いですよ…。
    > minoriさんは、何が怖いですか?
    >
    > 私は、ピエロ恐怖症で、サーカスも怖いです。
    > 後不思議な国のアリスも怖いです。ありえないと思ってしまいますね。
    >
    > この記号と記号をくっつける呪術的思考を考えると、
    > ミノタウルスを考えてしまいますね。

    昔、長野に旅した時、巨大なパラボラアンテナのすぐ近くまで行ったのね。
    その時、恐怖だったな〜。 白一色で巨大というのが怖かったのかな。
    あと、これよく夢に出るんだけど、やはりとても大きなエレベーターの室内で恐怖を感じて座り込む夢。
    この夢が嫌なんだよね〜。 これに限って明晰夢にならないんだわ。。

    ピエロが怖いの? そしたらマックに行けないね。(;^_^A いつもいるし。
    不思議の国のアリスが怖い?  そうかな。。
    そのへんな生き物がミノタウルスっていうの? 凶暴なネズミ?
引用返信/返信 削除キー/
■8732 / inTopicNo.84)  Re[11]: 記号
□投稿者/ マジカルモンキー -(2020/11/05(Thu) 19:41:57)
    No8726に返信(minoriさんの記事)

    > マジモンさん。 そうかぁ?(^▽^;)  メルヘンチックな歌じゃん。
    > どこが怖いのかわかんない。
    >
    > マジモンさんて、夜中に一人でトイレに行けなかったりして。(笑)
    >
    >
    >  たい焼きは尻尾らへんがカリカリしておいしいと思う〜。


    恐いですよ…。
    minoriさんは、何が怖いですか?

    私は、ピエロ恐怖症で、サーカスも怖いです。
    後不思議な国のアリスも怖いです。ありえないと思ってしまいますね。

    この記号と記号をくっつける呪術的思考を考えると、
    ミノタウルスを考えてしまいますね。


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