| みなさん、こんばんは。
私の思ってる仏教についての情報を書きます。誤解している可能性もあります。
前にパニチェさんが、小乗仏教は自らを上座部仏教と名乗ってると投稿されてて、 上座という言葉が偉そうに思えるのかな、と、思ったのですが、 おそらくテーラワーダの、テーラーは、長老という意味で、ワーダは言説みたいな意味だと思います。 wikiには、テーラワーダとは長老派という意味、みたいに出てると思います。 まだ、ブッダワーダ(ブッダの言説)派と自らを名乗らないだけ自制がきいてるのかな、と、私は勝手に思いました。 翻訳する方が気をつかったのかな?とも思いました。
それから、小乗の原語は、ヒーナヤーナで、ヒーナは劣った、という意味合いだそうです。 ヤーナは乗り物。 大乗の原語は、マハーヤーナ、偉大な乗り物、ですね。 これらもwikiにのってると思います。 ヒーナヤーナも訳す方が遠慮されたのですかね?ヒーナに小さいという意味は 、私のもってるパーリ語辞書には載ってませんでした。サンスクリットになると小さいという意味も出てくるのかな? 一応、様々な仏教宗派が集まる国際会議で、ヒーナヤーナという呼び名は使わないようにしましょう、という合意がされたそうですが、比較するために、どうしても言葉がいるようになってしまうのかもしれませんね。
出家しか救われないというのは、多分テーラワーダを信仰する方たちは、現代のニュアンス的には、阿羅漢になれば出家せざるを得ない(在家のままではいられない)ととっているとわたしは思います。
経典内では、阿羅漢の次の悟りとして(阿羅漢になるにはもう少し煩悩が残ってる)不還果という位があり、今世で亡くなった後は、ほんの少し煩悩が残ってるから天界に生まれちゃうけど、心の流れがもう解脱目指してるので、その天界で亡くなる時は阿羅漢にオートでなるといわれてて、その悟りまでは在家のままでなれるっぽい記述があります。
また、経典内では、釈尊が、阿羅漢が60人くらいになった時に、この幸せになる教えをみんなのために伝えなさい、遊行しなさい、みたいに阿羅漢のみなさんにおっしゃる場面があって、勝手な推測ですが、テーラワーダのお坊さまは、この経典文の内容はすごく心に入ってるんじゃないかな、と、思っています。 経典が残されたのも、阿羅漢による会議が行われたからで、経典を残さなくてもご自分は阿羅漢にもうなってるんだから、やはり他のために残したのかなと思っています。
ブッダが直接残さなかったのも、すごい智慧なんじゃないかと、わたしは勝手に思っています。 人間が伝えていくもので、いつの間にか変容してるのに、それが権威となり暴力となる。
テーラワーダさんはじめ各宗派がそれぞれが気をつけないといけないところかもしれませんね。
私自身は過去に日本テーラワーダ協会さんの会員だった時期がありますが(心が弱っていて、テーラワーダのお坊さまを通じて出会えた仏教に人生を助けられたと思っています) 随分前に退会して(旦那さんの実家に引っ越したため)、今はYouTubeや本を読んでいるだけの者で、いろいろ勘違いしていたらすみません。
大乗仏教は、とても優しい心が起こした流れだと、詳しくないなりに思っています。
宗派関係なく、宗教関係なく、何も関係なく、それぞれの人がそれぞれにあった方法で幸せに生きることができるといいな、と、思います。
コメント、失礼しました m(_ _)m
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