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■9044 / inTopicNo.37)  Re[12]: こんばんは。
  
□投稿者/ つばめ -(2020/11/14(Sat) 21:58:31)
    No8846に返信(pipitさんの記事)

    pipitさん、こんばんは。


    > 私の思ってる仏教についての情報を書きます。誤解している可能性もあります。
    >
    > 前にパニチェさんが、小乗仏教は自らを上座部仏教と名乗ってると投稿されてて、
    > 上座という言葉が偉そうに思えるのかな、と、思ったのですが、
    > おそらくテーラワーダの、テーラーは、長老という意味で、ワーダは言説みたいな意味だと思います。
    > wikiには、テーラワーダとは長老派という意味、みたいに出てると思います。
    > まだ、ブッダワーダ(ブッダの言説)派と自らを名乗らないだけ自制がきいてるのかな、と、私は勝手に思いました。
    > 翻訳する方が気をつかったのかな?とも思いました。
    >
    > それから、小乗の原語は、ヒーナヤーナで、ヒーナは劣った、という意味合いだそうです。
    > ヤーナは乗り物。
    > 大乗の原語は、マハーヤーナ、偉大な乗り物、ですね。
    > これらもwikiにのってると思います。
    > ヒーナヤーナも訳す方が遠慮されたのですかね?ヒーナに小さいという意味は
    > 、私のもってるパーリ語辞書には載ってませんでした。サンスクリットになると小さいという意味も出てくるのかな?
    > 一応、様々な仏教宗派が集まる国際会議で、ヒーナヤーナという呼び名は使わないようにしましょう、という合意がされたそうですが、比較するために、どうしても言葉がいるようになってしまうのかもしれませんね。

    ☆親切な説明をありがとうございました。
    以前研究の為にタイに滞在していた友人からタイの人々の仏教の話を聞いたことがあり同じ仏教でもずいぶん違うのだなと思ったことがありました。
    友人は「小乗仏教だから。」と言っていました。
    詳しい内容は忘れてしまいましたが、在家の人、庶民?は徳のある人(お坊さんかな)にすがって?成仏する?みたいな。(・・・もう。忘れすぎ(・・;)
    在家と出家が明確に分かれているのだろうと思います。
    (日本のお坊さんは、どうも在家ですよね・・・)

    > 一応、様々な仏教宗派が集まる国際会議で、ヒーナヤーナという呼び名は使わないようにしましょう、という合意がされたそうですが、比較するために、どうしても言葉がいるようになってしまうのかもしれませんね。

    そうかもですね。


    > 出家しか救われないというのは、多分テーラワーダを信仰する方たちは、現代のニュアンス的には、阿羅漢になれば出家せざるを得ない(在家のままではいられない)ととっているとわたしは思います。


    ☆よくわからないのですが、・・・「出家」とはなにか?という事が気になりました。
    出家しないで済む(在家のまま)のならば、「出家」という出来事?現象?概念などはなから無かった。在家のままで悟るわけですよね?
    在家ではいられなかったから出家して集団・組織に入って・・・なんていうのかなぁ。わからないけど悟りを目指した?と思うのです。


    > 経典内では、阿羅漢の次の悟りとして(阿羅漢になるにはもう少し煩悩が残ってる)不還果という位があり、今世で亡くなった後は、ほんの少し煩悩が残ってるから天界に生まれちゃうけど、心の流れがもう解脱目指してるので、その天界で亡くなる時は阿羅漢にオートでなるといわれてて、その悟りまでは在家のままでなれるっぽい記述があります。


    ☆不還果(の悟り)までは在家のままでなれるというわけですね。
    で、不還果は天界に生まれてしまう(輪廻してしまう)けれど、天界ですごした後に自動的に阿羅漢となり・・・もう輪廻の輪から外れる?輪廻しない存在になる、ということですよね。
    解脱・・・かな?
    しかし、阿羅漢さんになれば普段はどこにいるのだろうか。阿羅漢さんは仏のことだよね?


    > また、経典内では、釈尊が、阿羅漢が60人くらいになった時に、この幸せになる教えをみんなのために伝えなさい、遊行しなさい、みたいに阿羅漢のみなさんにおっしゃる場面があって、勝手な推測ですが、テーラワーダのお坊さまは、この経典文の内容はすごく心に入ってるんじゃないかな、と、思っています。
    > 経典が残されたのも、阿羅漢による会議が行われたからで、経典を残さなくてもご自分は阿羅漢にもうなってるんだから、やはり他のために残したのかなと思っています。

    ☆阿羅漢が60人ですか。なんかすごい集団という感じがします。
    ・・・阿羅漢って輪廻しない人のことですよね?

    >テーラワーダのお坊さまは、この経典文の内容はすごく心に入ってるんじゃないかな、と、思っています。


    ☆何も知らない私が言うのも何ですが、直観的にそう思います。
    でなければ、仏教がこうも大々的に広がる(人々に受け入れられる)理由がないかと。


    > ブッダが直接残さなかったのも、すごい智慧なんじゃないかと、わたしは勝手に思っています。
    > 人間が伝えていくもので、いつの間にか変容してるのに、それが権威となり暴力となる。
    >
    > テーラワーダさんはじめ各宗派がそれぞれが気をつけないといけないところかもしれませんね。
    >
    > 私自身は過去に日本テーラワーダ協会さんの会員だった時期がありますが(心が弱っていて、テーラワーダのお坊さまを通じて出会えた仏教に人生を助けられたと思っています)
    > 随分前に退会して(旦那さんの実家に引っ越したため)、今はYouTubeや本を読んでいるだけの者で、いろいろ勘違いしていたらすみません。
    >
    > 大乗仏教は、とても優しい心が起こした流れだと、詳しくないなりに思っています。
    >
    > 宗派関係なく、宗教関係なく、何も関係なく、それぞれの人がそれぞれにあった方法で幸せに生きることができるといいな、と、思います。

    ☆「 宗派関係なく、宗教関係なく、何も関係なく、それぞれの人がそれぞれにあった方法で幸せに生きることができるといいな、と、思います。」


    はい。
    pipitさんのやさしいお気持ちが伝わってくるような気がします。

    >
    > コメント、失礼しました m(_ _)m

    ☆いえ。コメントいただけて嬉しかったです。
引用返信/返信 削除キー/
■8998 / inTopicNo.38)  Re[6]: しかし、何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2020/11/13(Fri) 02:45:23)
    打ちつけられた写真は四枚組で、この写真に対する怨念が凄まじい。

    結納式、結婚式、披露宴、そして同じ女性の水着姿(ビキニではない)の四枚です。

    この女性に身近な人間(恐らく女性)が打ちつけたのでしょう。

    水着写真の顔の真ん中、心臓部分、下腹部(性器部分)に、五寸釘が打ちつけられています。

    生きている他者による呪怨って、コワイゥ
引用返信/返信 削除キー/
■8997 / inTopicNo.39)  Re[6]: しかし、何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2020/11/13(Fri) 02:32:52)
    あと、岐阜県にある、千代保稲荷神社も、呪怨みなぎった空間を持った神社です。

    その空間は、御神木を囲った塀の中にあります。

    外からは見えないのですが、塀を開けて中に入ると、凄まじい怨念をもって打ちつけられた、無数の藁人形があります。

    より正確に言えば、藁人形だけでなく、相手の身につけていた、靴、下駄、サンダル、スリッパ、靴下、パンティストッキング、人の形を描いた紙、写真が、五寸釘で打ちつけられています。
引用返信/返信 削除キー/
■8996 / inTopicNo.40)  Re[6]: しかし、何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2020/11/13(Fri) 02:21:04)
    ☆>あ〜〜〜。神仏のタブーを犯したとき。<

    女の子には関係ないですけど、端的にわかりやすい例を挙げれば、鳥居や墓石に立ち小便をすること。

    これって、もろにタブー破りで、バチ(罰)が当たりそうですよね。

    >生きている他者による呪怨。<

    これは世に言う、呪いの藁人形を使った「丑の時参り」ですね。

    平安時代から、呪いによく効く神社ということで、京都鞍馬の貴船神社が有名です。

    藁人形だけでなく、呪いの絵馬もよく使われています。
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■8970 / inTopicNo.41)  Re[5]: しかし、何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2020/11/12(Thu) 02:45:47)
    >試練には意味があるという考え方好きじゃありませんでした。<

    試練、つまり苦難には意味があるというのは、弁神論、あるいは神義論と言って、マックス・ウェーバーによれば、ユダヤ教、ヒンドゥー教のそれが、最も完成されたものでした。

    ユダヤ教では「苦難の神義論」(ヨブのように最後はハッピーエンドになる)であり、ヒンドゥー教では「カルマ」(業。前世の報い。)であるとされます。

    >意味もなく苦しみそれでも生きる、というスタンスを自分がとれたらいいなと思います。<

    キャッ、妹君ちゃん、21世紀のニーチェだ。

    ニーチェが全く同じことを言っていました。

    「運命愛」
引用返信/返信 削除キー/
■8969 / inTopicNo.42)  Re[5]: しかし、何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2020/11/12(Thu) 02:27:45)
    昨日の本居宣長の言葉、「世の常ならず、すぐれたることのありて可畏きもの」

    これが日本人の御霊信仰(みたま信仰ではなく、ごりょう信仰でした)の本質を突いています。

    祟りをもたらす怨霊が、日本では何故神になるのかの説明がここにあります。

    日本の古代は、善悪強弱に関係なく、「この世のものとは思われないほどの不可思議な力を持ち、畏敬の対象」となれば神になります。

    祟りをもたらす怨霊も、この定義に当て嵌まるのです。
引用返信/返信 削除キー/
■8968 / inTopicNo.43)  Re[5]: しかし、何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2020/11/12(Thu) 02:16:20)
    今夜は何となく、秋のせいなのか、ロマンティックな気分になっています。

    久しぶりに貴女に、曲をプレゼントしますね。

    今宵はストレートに直球で行きます。

    お贈りする曲は、Kis-My-Ft2で、「君を大好きだ」

    ☆昨日の補足を若干いたします。

    柳田國男は、山の神を元は人間、つまり人格神としていました。

    「えっ?山の神って自然神じゃないの?」と思われたかも知れません。

    元々の日本古代信仰は、自然神しか無かったのですが、農業が発達し、それにつれて村落共同体も発展してくると、昨日述べたように、新しく人格神が生まれてきます。

    そうして、高天原の神々は、自然神と人格神が共存していくことになります。
引用返信/返信 削除キー/
■8928 / inTopicNo.44)  Re[5]: しかし、何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2020/11/11(Wed) 02:38:12)
    柳田國男によれば、死者の霊は、山や森に行って一定期間過ごしてから、神に成ります。

    そして祭のときに里に降りて来て、子孫に幸福をもたらします。

    祭以外のときは、丘の上から子孫を守護し、子孫は祖先の霊を厚く祀ります。

    死者の霊が祖霊となって、それから山の神や、田の神、祖先神、鎮守の神、氏神など、いろいろな神々に成っていくとされています。

    ここには儒教と違った、日本独特のエトスがありますよね。
引用返信/返信 削除キー/
■8927 / inTopicNo.45)  Re[5]: しかし、何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2020/11/11(Wed) 02:24:56)
    そして、アニミズムからやっと脱出しつつあった当時の古代社会では、自然現象や自然物、無生物も八百万神に入れられていました。

    ですから、元々の神様だけでなく、死んだ人、山、海、太陽など、みんな神様でした。

    本居宣長は、「世の常ならず、すぐれたることありて可畏(かしこ)きもの」、つまり、「この世のものと思えないほど不可思議で畏れ多いもの」をすべて神と考えたと述べています。
引用返信/返信 削除キー/
■8926 / inTopicNo.46)  Re[6]: しかし、何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2020/11/11(Wed) 02:10:31)
    No8925に返信(エフニさんの記事)
    > 妹君ちゃん、こんばんは
    >
    > それでね、妹君ちゃんが「エトス命」って書いたのを、「エフニ命」と見間違えて、ドキドキしちゃった哥哥なのでありました
    >
    > >しかし、考えてみたら死んだらみんな神になるのが神道だよね?<
    >
    > そうそう。
    >
    > 神道という形式が確立される前の、素朴な当時の日本人の信仰は、いろいろな要素に分かれていました。
    >
    > 死んだ人は黄泉の国にも行くし、神となって高天原にめ行きます。


    訂正。

    高天原にめ → 高天原にも
引用返信/返信 削除キー/
■8925 / inTopicNo.47)  Re[5]: しかし、何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2020/11/11(Wed) 02:07:36)
    妹君ちゃん、こんばんは

    それでね、妹君ちゃんが「エトス命」って書いたのを、「エフニ命」と見間違えて、ドキドキしちゃった哥哥なのでありました

    >しかし、考えてみたら死んだらみんな神になるのが神道だよね?<

    そうそう。

    神道という形式が確立される前の、素朴な当時の日本人の信仰は、いろいろな要素に分かれていました。

    死んだ人は黄泉の国にも行くし、神となって高天原にめ行きます。
引用返信/返信 削除キー/
■8846 / inTopicNo.48)  こんばんは。
□投稿者/ pipit -(2020/11/08(Sun) 19:21:43)
    みなさん、こんばんは。

    私の思ってる仏教についての情報を書きます。誤解している可能性もあります。

    前にパニチェさんが、小乗仏教は自らを上座部仏教と名乗ってると投稿されてて、
    上座という言葉が偉そうに思えるのかな、と、思ったのですが、
    おそらくテーラワーダの、テーラーは、長老という意味で、ワーダは言説みたいな意味だと思います。
    wikiには、テーラワーダとは長老派という意味、みたいに出てると思います。
    まだ、ブッダワーダ(ブッダの言説)派と自らを名乗らないだけ自制がきいてるのかな、と、私は勝手に思いました。
    翻訳する方が気をつかったのかな?とも思いました。

    それから、小乗の原語は、ヒーナヤーナで、ヒーナは劣った、という意味合いだそうです。
    ヤーナは乗り物。
    大乗の原語は、マハーヤーナ、偉大な乗り物、ですね。
    これらもwikiにのってると思います。
    ヒーナヤーナも訳す方が遠慮されたのですかね?ヒーナに小さいという意味は
    、私のもってるパーリ語辞書には載ってませんでした。サンスクリットになると小さいという意味も出てくるのかな?
    一応、様々な仏教宗派が集まる国際会議で、ヒーナヤーナという呼び名は使わないようにしましょう、という合意がされたそうですが、比較するために、どうしても言葉がいるようになってしまうのかもしれませんね。

    出家しか救われないというのは、多分テーラワーダを信仰する方たちは、現代のニュアンス的には、阿羅漢になれば出家せざるを得ない(在家のままではいられない)ととっているとわたしは思います。

    経典内では、阿羅漢の次の悟りとして(阿羅漢になるにはもう少し煩悩が残ってる)不還果という位があり、今世で亡くなった後は、ほんの少し煩悩が残ってるから天界に生まれちゃうけど、心の流れがもう解脱目指してるので、その天界で亡くなる時は阿羅漢にオートでなるといわれてて、その悟りまでは在家のままでなれるっぽい記述があります。

    また、経典内では、釈尊が、阿羅漢が60人くらいになった時に、この幸せになる教えをみんなのために伝えなさい、遊行しなさい、みたいに阿羅漢のみなさんにおっしゃる場面があって、勝手な推測ですが、テーラワーダのお坊さまは、この経典文の内容はすごく心に入ってるんじゃないかな、と、思っています。
    経典が残されたのも、阿羅漢による会議が行われたからで、経典を残さなくてもご自分は阿羅漢にもうなってるんだから、やはり他のために残したのかなと思っています。

    ブッダが直接残さなかったのも、すごい智慧なんじゃないかと、わたしは勝手に思っています。
    人間が伝えていくもので、いつの間にか変容してるのに、それが権威となり暴力となる。

    テーラワーダさんはじめ各宗派がそれぞれが気をつけないといけないところかもしれませんね。

    私自身は過去に日本テーラワーダ協会さんの会員だった時期がありますが(心が弱っていて、テーラワーダのお坊さまを通じて出会えた仏教に人生を助けられたと思っています)
    随分前に退会して(旦那さんの実家に引っ越したため)、今はYouTubeや本を読んでいるだけの者で、いろいろ勘違いしていたらすみません。

    大乗仏教は、とても優しい心が起こした流れだと、詳しくないなりに思っています。

    宗派関係なく、宗教関係なく、何も関係なく、それぞれの人がそれぞれにあった方法で幸せに生きることができるといいな、と、思います。

    コメント、失礼しました m(_ _)m
引用返信/返信 削除キー/

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