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■945 / inTopicNo.37)  Re[53]: 経済同友会の代表幹事・小林喜光
  
□投稿者/ キティダニエル -(2019/02/10(Sun) 16:11:53)
    No929に返信(無縁仏三郎さんの記事)

      この問題については、以前某学会で「科学論の果ての科学教育」という題で

     発表したことがある。科学や科学技術の発見・発明にはタイミング・運・個人

     の才能が必要だがもうひとつあげるとすれば研究の環境だ。また才能ある個人

     を見つけ出すとともにニセ科学者を早い段階で淘汰して予算の浪費を防ぐ必要

     もあるだろう。



    > 朝日に「敗北日本 生き残れるか」という記事があった。
    >
    > 「技術は米中が席捲 激変に立ち遅れ 挫折の自覚ない」
    >
    > このままでは他国の二次、三次下請けとなり衰退し滅ぶと警告。
    >
    > 財界にもそうとう危機感があるので安心した。一般国民にできることは
    > 知識の底上げだ。終わりなき日常をまったり生きてるだけで済んでた時代は
    > 終わり。個人が知識でマウンティング合戦なんてのもテキムで終わり。
    > まだそんなレベルかとがっかりしてたよ。しまいにはウスノロがおれのことを
    > ヤフーの社員だとかなんとか。バカすぎね?
    >
    > これからの日本は専業主婦がドゥルーズ=ガタリを語り新橋の飲み屋で
    > サラリーマンが暗号通貨技術を語る時代。若者も東浩紀と千葉雅也の対談動画で
    > 人文知や批評の未来を考える。それによって将来の秀才や天才が生まれる土壌
    > をつくる、国民が握り金玉で救世主を待つなんて都合よすぎるぞ。
    >
    >
    >
    >
引用返信/返信 削除キー/
■944 / inTopicNo.38)  Re[48]: ところで
□投稿者/ キティダニエル -(2019/02/10(Sun) 15:57:44)
    No925に返信(エフニさんの記事)

    どうもありがとうございます。

    このトピ目下、ムエンに制圧されてしまいました。


    > キティちゃん、乙ァ
    >
    > 今月は誕生月なんだってね。
    >
    > 還暦おめでとう、漱錏
引用返信/返信 削除キー/
■938 / inTopicNo.39)  仏教に対抗するために
□投稿者/ 無縁仏三郎 -(2019/02/07(Thu) 21:25:20)
    反涅槃の方向で行きたい。

    中途半端な不安が諸悪の根源。徹底的不安。毎秒不安。
    毎日がアストロ球団や男組。これによって些末な不安は吹き飛ぶ。
    町内会不安や家庭内不安はいらねえ。

    5000億年後の宇宙はどうなっているのか。
    無限に生成された数学の定理は600兆年後の人類をどう変えるか。

    こういう問いに執着し魔墓呂死の仁さんのように進む。
引用返信/返信 削除キー/
■930 / inTopicNo.40)  100分de名著 オルテガ
□投稿者/ 無縁仏三郎 -(2019/02/04(Mon) 22:15:16)
    「大衆の反逆」もうすぐ始まるぞ〜

    生活原理主義者による大衆独裁制を学べ!
引用返信/返信 削除キー/
■929 / inTopicNo.41)  経済同友会の代表幹事・小林喜光
□投稿者/ 無縁仏三郎 -(2019/02/04(Mon) 00:30:07)
    朝日に「敗北日本 生き残れるか」という記事があった。

    「技術は米中が席捲 激変に立ち遅れ 挫折の自覚ない」

    このままでは他国の二次、三次下請けとなり衰退し滅ぶと警告。

    財界にもそうとう危機感があるので安心した。一般国民にできることは
    知識の底上げだ。終わりなき日常をまったり生きてるだけで済んでた時代は
    終わり。個人が知識でマウンティング合戦なんてのもテキムで終わり。
    まだそんなレベルかとがっかりしてたよ。しまいにはウスノロがおれのことを
    ヤフーの社員だとかなんとか。バカすぎね?

    これからの日本は専業主婦がドゥルーズ=ガタリを語り新橋の飲み屋で
    サラリーマンが暗号通貨技術を語る時代。若者も東浩紀と千葉雅也の対談動画で
    人文知や批評の未来を考える。それによって将来の秀才や天才が生まれる土壌
    をつくる、国民が握り金玉で救世主を待つなんて都合よすぎるぞ。




引用返信/返信 削除キー/
■925 / inTopicNo.42)  Re[47]: ところで
□投稿者/ エフニ -(2019/02/03(Sun) 20:06:31)
    キティちゃん、乙ァ

    今月は誕生月なんだってね。

    還暦おめでとう、漱錏
引用返信/返信 削除キー/
■923 / inTopicNo.43)  ゲーデルの意見
□投稿者/ 無縁仏三郎 -(2019/02/03(Sun) 19:11:52)
    ゲーデルはそう考えなかった。

    我々は巨大基数の集合論のように現実に対応するものがない概念にも
    それに対応した感覚のようなものがありそれに従わない数学体系は滅びる…
    みたいなことを主張した。

    これは無理だ。無限に分岐していく数学ではなくセンスデータに忠実な
    唯一の数学があるということになってしまう。この考えによると
    ZF集合論から独立である連続体仮説もある正しい公理を見つければ
    決定される。ゲーデル神学とも揶揄されるが数学者には受けがいい。
    唯一の真理に邁進するのが数学者の使命と思い込みたいのだろう。

    君らはどっち?
引用返信/返信 削除キー/
■922 / inTopicNo.44)  「日常」という用語
□投稿者/ 無縁仏三郎 -(2019/02/03(Sun) 19:01:20)
    掲示板でも東のいう読み方を押さえず揚げ足取りをするマヌケが多い。
    実は自分などはそれを悪用して相手がその用語をどういう意味で使ってるかを
    熟知したうえで自分のストレンジワールドでの用語に置きかえて叩くという
    ことをよくやっていたんだけどね。

    rest氏の「日常」というのは自分の文脈ではセンスデータになる。
    センスデータに正しい推論を適用すれば正しい知識が得られるという夢想。
    論理実証主義だな。

    それは無理。近代哲学の理性信仰の発展形みたいなものでは限界が来る。
    センスデータはいくら集めてもセンスデータであって集めたものを使って
    別の概念をつくり出すかセンスデータを取っ払ってある場合にはセンスデータ
    の否定も使用して概念を拡張していくべきだと思うね。
    だいたいセンスデータなんてもんは数学にはまったく通用しない。
    なぜかというと無限集合の階層などというセンスデータによる判断が
    不可能な場所でどっちに進めばいいかわからなくなるから。

    よってセンスデータの塊である「日常」にいくらしがみついても次に
    進めなくなる。そこでは日常など取っ払って跳躍してみる以外にない。

    概念をセンスデータと無関係に転がし次々と新概念を生成していくわけ。
    エピステモロジーとはそういうもんでないかと勝手に解釈している。

引用返信/返信 削除キー/
■921 / inTopicNo.45)  東浩紀 哲学書の読み方を語る
□投稿者/ 無縁仏三郎 -(2019/02/03(Sun) 18:37:09)
    哲学書を読むのにはコツがあります。哲学書にはさまざまな言葉が出てきます。たとえば問題のカントの本であれば「理性」とか「超越」とか「カテゴリ(範疇)」とかが出てくるはずです。これらの言葉はいっけん意味がわかりそうに見えます。実際「理性」や「超越」などの言葉は、日常で使わないこともありません。けれども問題は、その日常の意味を拡張していくら考えを深めても、カントの思想には到達できないことです。カントにはカントの人間観があり、彼のなかでは「理性」とか「超越」とかはそのシステムに基づいて使われています。たとえば彼の哲学では「理性」と「悟性」は厳密に区別されますが、その差異はいくら漢字の字面を見て唸っていても理解できず、理解のためにはまず彼の哲学のシステム全体(超越論的世界と経験的世界の二つの世界をつなぐものとして人間を捉えるという発想の全体)を捉える必要があります。じつは哲学書が厄介なのはまさにここで、カントにかぎらず、一般に哲学書では、表面的にはよく使われる見知った言葉が出てくるにもかかわらず、それらはじつはみな専門用語として日常とは離れた意味で使われているので、日常の意味を拡張していくら考えても肝心のところは理解できないことが多いのです。そんなのおかしいじゃないか、新しい概念なら新しい言葉を作れよと思うかもしれませんが、哲学というのは本質的に過去の哲学のアップデートとしてのみ提出されるという性格をもっているので、話はそう単純でもなく、いずれにせよ哲学とは「そういうもの」なのだとわりきって諦めるしかありません。というわけで、裏返せば、哲学書を読むコツというのも明確で、それはまず、哲学書に出てくるすべての言葉の日常的な意味をいったん忘れて、そして同時に日常的な感覚での理解もすべて忘れて、言葉と言葉の関係にのみ注目することです。つまり、一文一文の意味を直接に理解しようとするのではなく、「なるほど、こいつはこの言葉はいい意味で、べつの言葉は悪い意味で使ってるんだな」「この言葉とこの言葉を対立させるんだな」「この対立とこの対立はつなげるんだな」と、そうですね、まるで人間関係のゴシップを見るかのように、概念と概念の関係のみを捉えていくのです。そうすると、かなりむずかしい哲学書でも、言葉と言葉の関係をトレースするだけで、いちおうはすいすいと「読める」ようになります(それはいわば、本体の物語にまったく興味がないのに、登場人物の関係だけを使って二次創作を作るような行為です)。むろん、そんな読みが本当の哲学なのかといえば、それはそうではなく、ほんとうはそのような表面的な概念理解こそ、もういちど現実のぼくたちの生につなげなければなりません。そうでなければただの哲学概念オタクになります。実際にそういう人々は無数にいるし、彼らはそれを哲学だとカンチガイしてもいる。ぼくはそういう人々が嫌いなので、大学の外で哲学をやっています。それはそうなのですが、とりあえずは、以上のような態度を取ることで哲学書のテクストは「読める」ようにはなるはずです。いちど試してみてください。(東浩紀)

    ゲンロン ゲンロン友の声より
引用返信/返信 削除キー/
■919 / inTopicNo.46)  Re[47]: 日常の位置
□投稿者/ パニチェ -(2019/02/03(Sun) 10:39:33)
    No916に返信(restさんの記事)
    > ■No901に返信(restさんの記事)
    >>なぜ日常が大事かというと日常は実験結果そのものだからだ。高額の実験器具をそろえなくても日常生活そのものが実験結果としてすぐに使える。概念が正しいかどうかは日常生活に照らし合わせて判断する。仮説の実験検証の判断基準なのだ。プラグマティズムっぽいが、逆にいえば日常のどんな仮説もつまりどんな解釈も成り立つので、たとえばカントの物自体は唯物論的素朴実在論に解釈もできるし、観念論的に非実在と解釈も可能だ。同じ実験結果なのだからどちらが正しいか判断のしようがない。だから不可知論なのだというのが理性の結果だが、だからといって思考停止する必要はない。認識できないことを前提に現象と現象の関係性としての真理を追究できるのではないのか。理性はもっと自由であるべきだ。日常のもつ自明性は現象と現象の関係性を多数派がその仮説を共有しているというに過ぎないのだ。天動説がひっくり返って地動説に変わったように真理の可変性を認めるのが不可知論的立場なのだ。

    > 確かに日常に埋没するものはただのスノブかもしれない。哲学するものは日常からいったん離れる必要がある。その上で日常を見つめなおすのだ。日常に距離を置きつつ日常を観察し深堀する、と言う姿勢が必要ではないか。

    異議なし!同意♪
引用返信/返信 削除キー/
■917 / inTopicNo.47)  東京堂書店の無謀な企画
□投稿者/ 無縁仏三郎 -(2019/02/02(Sat) 23:28:23)
    なんか地味な本が大量にあるなと思ったら

    創文社の本をコーナーに陳列だ!

    えええええ〜

    トマスの「神学大全」の1,2,4,6,7巻を買い占めた。5巻は先を越された。
    3巻は三位一体論で見送ったが買うべきだった。
    この中世屁理屈坊主の詐欺論法は悪徳弁護士も泣きだすくらいの力技。

    たとえば聖書には人間が泥からできたとあるが気・火・水は関係ないのか
    という問い。泥には水が入ってるべ? あと気と火は体にさほどないので
    素朴な民に与えられた聖書では省略!

    こんな調子で聖書やアリストテレスの正反対の主張が全部正しくなる。

    笑えるぞ。

引用返信/返信 削除キー/
■916 / inTopicNo.48)  Re[46]: 日常の位置
□投稿者/ rest -(2019/02/02(Sat) 20:25:43)
    No901に返信(restさんの記事)
    > なぜ日常が大事かというと日常は実験結果そのものだからだ。高額の実験器具をそろえなくても日常生活そのものが実験結果としてすぐに使える。概念が正しいかどうかは日常生活に照らし合わせて判断する。仮説の実験検証の判断基準なのだ。プラグマティズムっぽいが、逆にいえば日常のどんな仮説もつまりどんな解釈も成り立つので、たとえばカントの物自体は唯物論的素朴実在論に解釈もできるし、観念論的に非実在と解釈も可能だ。同じ実験結果なのだからどちらが正しいか判断のしようがない。だから不可知論なのだというのが理性の結果だが、だからといって思考停止する必要はない。認識できないことを前提に現象と現象の関係性としての真理を追究できるのではないのか。理性はもっと自由であるべきだ。日常のもつ自明性は現象と現象の関係性を多数派がその仮説を共有しているというに過ぎないのだ。天動説がひっくり返って地動説に変わったように真理の可変性を認めるのが不可知論的立場なのだ。

    確かに日常に埋没するものはただのスノブかもしれない。哲学するものは日常からいったん離れる必要がある。その上で日常を見つめなおすのだ。日常に距離を置きつつ日常を観察し深堀する、と言う姿勢が必要ではないか。
引用返信/返信 削除キー/

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