| 2020/10/21(Wed) 11:54:55 編集(投稿者) 2020/10/21(Wed) 11:42:11 編集(投稿者)
たーぼーさん、こんにちは。
たーぼーさんが、以前にも『沈黙』をどこかで出されていたのを拝見した記憶だけあります。 『沈黙』の登場人物に対して、どんな思いを持ってらっしゃるのかまでは、書かれていなかったのか、それとも私が覚えていないだけか。。不明です。 ああ、そういえば・・・キチジローにご自分を重ね合わせていらしたような記憶があります。
私はだいぶ昔、読んだ記憶はあるんです。 でも詳細は覚えてなくて・・・ あらすじを拝見して思うのは。 ロドリゴとフェレイラが棄教した際の思いを想像すると辛いなぁ。。ということ。 棄教を迫られた一般信者、拷問死した一般信者たちももちろん辛いんですけどね。 とにかく辛い歴史です。 しかし、その時期、日本にキリスト教が大々的に広まったとしたら、当時、隆盛を誇っていたポルトガルに国を乗っ取られていた可能性も無きにしも非ずで、日本の権力者はそれを恐れたんですよね。 今の時代だったら、もっと穏健な方法で、キリスト教の侵入を押さえむことができたんでしょうけれど、当時の人々の心というのはまだ残酷なことができるのが普通というか、人々の権利など弱かったですからね。
なんていうか、自作自演的な物語(本人たちは気づかなくても)でもあるな、と、今回、あらすじを拝見して感じました。 なぜかというと。自らが信じ広めようとしたもののために自らの首が絞められ、自らその信じて広めようとしたものを捨てなければならなくなった物語だからです。 私はクリスチャンではないので、こんなふうな引いた観方をどうしてもしてはしまいます。
歴史の必然というか、起こるべくして起きた避けられない出来事だったんだろうな、と、日本でのキリスト教の弾圧についても思います。 すべての出来事というのが避けられなかったから起きた、そうなったこと、ですしね。
書いてみたくなったので書かせていただいただけですし、レスはお気遣いなくされてくださいね。
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