| minoriさん こんにちは
> 279「一切の事物は我ならざるものである」(諸法非我)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。 > ・・・・・ > これなんですが。 > 一切の事物(無常であり苦しみである形成されたもの)とは、第四図、映画のことを指しているように思えるんですよね。 > > そして。明らかな知恵をもって観るときに、苦しみから遠ざかり離れる、って第五図そのものじゃないかって。 > だとすると、「我」はスクリーンに相当するように思えてしかたないんです。 > > (原始仏教の場合は、もともとの本籍が第五図というのではなく、修行により第四図から第五図の涅槃に到達する、ということだとは思うのですが。) > > > knowing itselfさんも、もしかしたら同じように考えられていないかな、と思い、投稿させていただきました。
「一切の事物は我ならざるものである」の日本語の訳文がシンプル過ぎるので、立ち入った解釈は無理ですが、全体としての趣旨はわたしが散々カキコしてきたことと違わないと思います。
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