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■8096 / inTopicNo.37)  ジュピター 平原綾香
  
□投稿者/ たーぼー -(2020/10/21(Wed) 18:59:52)
引用返信/返信 削除キー/
■8095 / inTopicNo.38)  Re[48]: たーぼーさんへ
□投稿者/ たーぼー -(2020/10/21(Wed) 18:57:11)
    No8092に返信(minoriさんの記事)
    > たーぼーさん、こちらに先に横レスですみません。
    >
    >
    >>もちろん自分の出来る範囲でやれることはやろうと思ってます。
    >>特に寺や宗教とは距離がある人で、一人で悩んでいるような人の手助けをするのが私の役割のような気がしてます。
    >>耳を傾けてくれる人で、尚且つ頼る人がいない人とか、色々考えすぎて混乱してしまっている人とか気持ちは私もよく分かるから微力ながら、そういう人達の力になりたいと思います。
    >
    >
    > 愚さんのブログに、「地球人さん」って名前の人が連日コメント入れてるのね。
    > ほら、昨日とおおといに、私が言ってたのはその人なんだけどね。
    > 酷い時には、一日に10コメぐらいしてて、それを連日よ。
    > それをもう3年くらいしてる。。。
    > 愚さんブログを中心として生活してるのか? って思うぐらいよ。
    > テキストリームの時は、「デロリンマン」とかの名前で書いてた人で間違いないんだけど(みんな気づいている)その人は認めてない(^▽^;)
    > テキストリームの時もすごい依存状態だったし、他人にほとんど内容もなく絡むし、手が付けられない感じの人だった。
    > すごく空虚なんだけど意固地でもあり、そうとうに大変な人よ。。。
    > 興味を示したので私のブログに来てもらい、「気づき」についてレクチャーしようとしたけど、最初から否定的でとにかく暇つぶすことしか頭にない感じ。。。
    > 真摯に取り組む人だけ来て、と書いたら来なくなったけどね。。。
    >
    > たーぼーさんだったら、同じ男性どうしだしどうかな?
    > その地球人という人、ショーシャンクさんのトピックにも(テキストリーム時代の)よく投稿してたよ。
    > 八正道という言葉が好きだったわ。(^▽^;)
    >
    > 声かける気ないですか?  たーぼーさんでも無理かな。。。
    >
    > ニーチェクラブにも誘ってはみたんだけど、こちらには来ないね。。
    > 愚さんブログで一人でダラダラ書いたり、たまに来た人に絡むみたいなコメを繰り返している。 愚さんにも絡んだり(相手にされてないけど)してる。
    > そんな感じです。 一生そんなんでいくのかと思うとなんだかね。。。
    > ニーチェクラブも多分見てるよ。 不思議なもので、何を書かれても気にはならないみたいなのよ。長く見てるし、それは間違いないです。
    > なんていうか。。潜在意識がたいへんなことになってそうな感じ・・ね。
    > (ものすごく神経が図太い部分と硬い部分が共存してる感じ)


    Minoriさん、こんばんは。
    地球人さんですか。でも私が横からどうこう言っても愚さんを信奉されてるみたいだし。
    ひょっとすると私の信者かもしれないです(笑)
    以前は愚さんに物凄い反発を持っていたから、それが潜在意識に入って地球人さんに移っているのかもしれないです。
    私は棄教はしたんだけど、まだ愚さんのことは内省してなかったから、ちょっと内省して綺麗にしてみます。
    解脱するときに大乗的な解脱は道元の[自己そして他己の身心を脱落せしむるなり]で、見えない縁の下にある他者も巻き込むんですよ。
    それが信者になる。
    だから私の方を綺麗にすれば地球人さんにコンタクトしなくても地球人さんの行動を変えられるはずなんです。
引用返信/返信 削除キー/
■8092 / inTopicNo.39)  たーぼーさんへ
□投稿者/ minori -(2020/10/21(Wed) 18:16:47)
    2020/10/21(Wed) 18:58:22 編集(投稿者)

    たーぼーさん、こちらに先に横レスですみません。


    > もちろん自分の出来る範囲でやれることはやろうと思ってます。
    > 特に寺や宗教とは距離がある人で、一人で悩んでいるような人の手助けをするのが私の役割のような気がしてます。
    > 耳を傾けてくれる人で、尚且つ頼る人がいない人とか、色々考えすぎて混乱してしまっている人とか気持ちは私もよく分かるから微力ながら、そういう人達の力になりたいと思います。


    愚さんのブログに、「地球人さん」って名前の人が連日コメント入れてるのね。
    ほら、昨日とおおといに、私が言ってたのはその人なんだけどね。
    酷い時には、一日に10コメぐらいしてて、それを連日よ。
    それをもう3年くらいしてる。。。
    愚さんブログを中心として生活してるのか? って思うぐらいよ。
    テキストリームの時は、「デロリンマン」とかの名前で書いてた人で間違いないんだけど(みんな気づいている)その人は認めてない(^▽^;)
    テキストリームの時もすごい依存状態だったし、他人にほとんど内容もなく絡むし、手が付けられない感じの人だった。
    すごく空虚なんだけど意固地でもあり・・・寂しさが基本にありそうなんだわ。

    興味を示したので私のブログに来てもらい、「気づき」についてレクチャーしようとしたけど、最初から否定的でとにかく暇つぶすことしか頭にない感じ。。。
    真摯に取り組む人だけ来て、と書いたら来なくなったけどね。。。

    たーぼーさんだったら、同じ男性どうしだしどうかな?
    その地球人という人、ショーシャンクさんのトピックにも(テキストリーム時代の)よく投稿してたよ。
    八正道という言葉が好きだったわ。(^▽^;)

    声かける気ないですか?  たーぼーさんでも無理かな。。。

    ニーチェクラブにも誘ってはみたんだけど、こちらには来ないね。。
    愚さんブログで一人でダラダラ書いたり、たまに来た人に絡むみたいなコメを繰り返している。 愚さんにも絡んだり(相手にされてないけど)してる。
    そんな感じです。 一生そんなんでいくのかと思うとなんだかね。。。

    (短い、一行ぐらいのコメントしかしない人なので、ニーチェクラブへの投稿は向かないかもしれないですね。)


引用返信/返信 削除キー/
■8041 / inTopicNo.40)  Re[46]: フォレストガンプ
□投稿者/ minori -(2020/10/20(Tue) 08:00:05)
    No8032に返信(knowing itselfさんの記事)

    knowing itselfさん、レスありがとうございます。

    > 日本の生活文化には神道的なものが浸透しているとしても、映画というジャンルそのものがキリスト教的だと思います。映画というジャンルはかなり昔にそういうものとして完成されているので、どこかで露呈してしまう。NHKの大河ドラマや連続テレビ小説もどこかしらキリスト教的になってしまうように感じます。

    無償の愛が物語展開の中での重要な要素になっているものが人々に人気が出る、というようなことですか?
    私自身について考えてみたところ、そういう部分には心動かされるなぁ、と感じたので、書いてみたのですが・・・。


    > この映画の監督であるロバートゼメキスはカトリックのクリスチャンとして育ったそうです。監督になってからどれだけ熱心に信仰していたのかは不明ですが。

    そうなんですね。 温かいいい映画でした。
引用返信/返信 削除キー/
■8032 / inTopicNo.41)  Re[45]: フォレストガンプ
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/19(Mon) 21:15:24)
    No8010に返信(minoriさんの記事)
    > 2020/10/19(Mon) 10:42:23 編集(投稿者)
    >
    > ■No7967に返信(knowing itselfさんの記事)
    >
    > knowing itselfさん、レスありがとうございます。
    >
    >>聖書全体、キリスト教そのものが「神との和解」を主題にしているといわれますが、その意味は、洞窟の中と洞窟の外(他のトピで論じたばかりのあれです)を一つにすることです。これはあらゆる宗教の理想、目的、ゴールといえるかもしれない。
    >>
    >>聖書の中でも、とりわけヨハネ福音書21章は「神との和解」の頂点をあらわす箇所といっていいでしょう。ヨハネ福音書の冒頭1章で漁師である弟子たちがイエスに出会う(ここだけでも和解の予告なのですが)。お互いが最終章で一緒に漁をする。「フォレストガンプ」の映画作りでどこまで意識されていたかわかりませんが、明らかに符合していると思いました。
    >
    > ヨハネ書のその部分を再確認しました。
    > その中では、ペトロではない弟子が、岸にいる人物がイエスであることに気づき、ペトロがあわてて服を着て湖に飛び込み、イエスの所まで(泳いでですよね)行くという描写がありますね。
    > そこに関して映画では、ダン小隊長が岸に座っていて、それを見つけたフォレストが海に飛び込みダン小隊長の元まで泳いで行きます。
    > 無人になった船はなぜか岸まで戻ってきてぶつかって止まるんですけど。(笑)
    > そして、やがてダン小隊長の機転によってエビが大漁になり、二人とも大儲けします。
    > フォレスト一人だったらエビ漁で成功しなかったと思われるのです。
    > その部分だけ考えると、ヨハネ書と映画では、役割は逆になっているのですが、どうやらモチーフにしていることは間違いないようですね。
    >
    >
    > > ヒットした映画、名作とされる映画には下敷きとして聖書がある場合が実に多いですね。
    > 「フォレストガンプ」「ショーシャンクの空に」「ロードオブザリング」その他無数。
    >
    > なんていうか、日本人が神道の神を普段忘れていてもなんとなく自然に受け入れているように、欧米の人達は普段あまり教会に行かないような人でも、心の中にはキリスト教の神が浸透しているので、芸術作品にもそれらが自然に表れるというのがあるのかもしれないと感じます。
    > そのあたりは日本とは比べ物にならないかもですね。
    > 日本では、神道がモチーフに入った映画って聞いたことないですから。

    日本の生活文化には神道的なものが浸透しているとしても、映画というジャンルそのものがキリスト教的だと思います。映画というジャンルはかなり昔にそういうものとして完成されているので、どこかで露呈してしまう。NHKの大河ドラマや連続テレビ小説もどこかしらキリスト教的になってしまうように感じます。


    > 「フォレストガンプ」でも、エビがなかなか取れない二人が教会に行き、フォレストが慣れない感じで聖歌を歌うというシーンがあります。
    > 祈りが足りないから取れないんだ、みたいに。
    > 二人は熱心なクリスチャンとしては描かれていないのですが、頼るところはやはり神という描かれ方でした。
    > このあたりは、熱心なクリスチャンの方からは顰蹙ものなのかもしれませんが、二人の生きる姿は神に祝福を受けた人そのものの姿なのかな、とも思いましたね。

    この映画の監督であるロバートゼメキスはカトリックのクリスチャンとして育ったそうです。監督になってからどれだけ熱心に信仰していたのかは不明ですが。
引用返信/返信 削除キー/
■8023 / inTopicNo.42)  Re[47]: フォレストガンプ
□投稿者/ たーぼー -(2020/10/19(Mon) 17:17:57)
    No8022に返信(knowing itselfさんの記事)
    > ■No8021に返信(たーぼーさんの記事)
    >>私はキリストってダン小隊長だと思いますね。
    >>ダン小隊長の両足がないのが十字架だと思います。
    >>人によって一つのストーリー、一つの映画も色々な見方が出来ますね
    >
    > この解釈もありだと思います。

    じゃ私もキリストはフォレストだという解釈もありだと言いましょう(笑)

    冗談抜きでどうして十字架というのか。
    絶対平等の絶対差別で十字架を背負ったのだと思います。


    https://m.youtube.com/watch?v=jOegTv3a2h4



引用返信/返信 削除キー/
■8022 / inTopicNo.43)  Re[46]: フォレストガンプ
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/19(Mon) 16:59:43)
    No8021に返信(たーぼーさんの記事)
    > 私はキリストってダン小隊長だと思いますね。
    > ダン小隊長の両足がないのが十字架だと思います。
    > 人によって一つのストーリー、一つの映画も色々な見方が出来ますね

    この解釈もありだと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■8021 / inTopicNo.44)  Re[45]: フォレストガンプ
□投稿者/ たーぼー -(2020/10/19(Mon) 16:52:01)
    私はキリストってダン小隊長だと思いますね。
    ダン小隊長の両足がないのが十字架だと思います。
    人によって一つのストーリー、一つの映画も色々な見方が出来ますね
引用返信/返信 削除キー/
■8010 / inTopicNo.45)  Re[44]: フォレストガンプ
□投稿者/ minori -(2020/10/19(Mon) 08:05:19)
    2020/10/19(Mon) 10:42:23 編集(投稿者)

    No7967に返信(knowing itselfさんの記事)

    knowing itselfさん、レスありがとうございます。

    > 聖書全体、キリスト教そのものが「神との和解」を主題にしているといわれますが、その意味は、洞窟の中と洞窟の外(他のトピで論じたばかりのあれです)を一つにすることです。これはあらゆる宗教の理想、目的、ゴールといえるかもしれない。
    >
    > 聖書の中でも、とりわけヨハネ福音書21章は「神との和解」の頂点をあらわす箇所といっていいでしょう。ヨハネ福音書の冒頭1章で漁師である弟子たちがイエスに出会う(ここだけでも和解の予告なのですが)。お互いが最終章で一緒に漁をする。「フォレストガンプ」の映画作りでどこまで意識されていたかわかりませんが、明らかに符合していると思いました。

    ヨハネ書のその部分を再確認しました。
    その中では、ペトロではない弟子が、岸にいる人物がイエスであることに気づき、ペトロがあわてて服を着て湖に飛び込み、イエスの所まで(泳いでですよね)行くという描写がありますね。
    そこに関して映画では、ダン小隊長が岸に座っていて、それを見つけたフォレストが海に飛び込みダン小隊長の元まで泳いで行きます。
    無人になった船はなぜか岸まで戻ってきてぶつかって止まるんですけど。(笑)
    そして、やがてダン小隊長の機転によってエビが大漁になり、二人とも大儲けします。
    フォレスト一人だったらエビ漁で成功しなかったと思われるのです。
    その部分だけ考えると、ヨハネ書と映画では、役割は逆になっているのですが、どうやらモチーフにしていることは間違いないようですね。


    > ヒットした映画、名作とされる映画には下敷きとして聖書がある場合が実に多いですね。
    「フォレストガンプ」「ショーシャンクの空に」「ロードオブザリング」その他無数。

    なんていうか、日本人が神道の神を普段忘れていてもなんとなく自然に受け入れているように、欧米の人達は普段あまり教会に行かないような人でも、心の中にはキリスト教の神が浸透しているので、芸術作品にもそれらが自然に表れるというのがあるのかもしれないと感じます。
    そのあたりは日本とは比べ物にならないかもですね。
    日本では、神道がモチーフに入った映画って聞いたことないですから。

    「フォレストガンプ」でも、エビがなかなか取れない二人が教会に行き、フォレストが慣れない感じで聖歌を歌うというシーンがあります。
    祈りが足りないから取れないんだ、みたいに。
    二人は熱心なクリスチャンとしては描かれていないのですが、頼るところはやはり神という描かれ方でした。
    このあたりは、熱心なクリスチャンの方からは顰蹙ものなのかもしれませんが、二人の生きる姿は神に祝福を受けた人そのものの姿なのかな、とも思いましたね。
引用返信/返信 削除キー/
■7968 / inTopicNo.46)  Re[44]: フォレストガンプ
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/18(Sun) 15:30:36)
    ヒットした映画、名作とされる映画には下敷きとして聖書がある場合が実に多いですね。
    「フォレストガンプ」「ショーシャンクの空に」「ロードオブザリング」その他無数。
引用返信/返信 削除キー/
■7967 / inTopicNo.47)  Re[43]: フォレストガンプ
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/18(Sun) 15:06:11)
    minoriさん こんにちは。

    聖書全体、キリスト教そのものが「神との和解」を主題にしているといわれますが、その意味は、洞窟の中と洞窟の外(他のトピで論じたばかりのあれです)を一つにすることです。これはあらゆる宗教の理想、目的、ゴールといえるかもしれない。

    聖書の中でも、とりわけヨハネ福音書21章は「神との和解」の頂点をあらわす箇所といっていいでしょう。ヨハネ福音書の冒頭1章で漁師である弟子たちがイエスに出会う(ここだけでも和解の予告なのですが)。お互いが最終章で一緒に漁をする。「フォレストガンプ」の映画作りでどこまで意識されていたかわかりませんが、明らかに符合していると思いました。
引用返信/返信 削除キー/
■7937 / inTopicNo.48)  仏陀と空
□投稿者/ minori -(2020/10/18(Sun) 08:22:28)
    龍樹を中心として仏教研究をされている大学教授である女性が開いて
    いらっしゃるHPに、あるきっかけから最近、投稿させていただいた。

    先生の著書を一冊だけ持っていて、しかし、購入した頃には難しく
    感じたのもあり、表面を撫でるような読み方だけしかしなかったの
    だけれど、再度読んでみると、やはり難しいところはありながらも、
    発見もあった。

    それは、仏陀自身が空なのだ、という視点。
    それについて書かれている内容をとりあえず取り上げて拝見した
    ところ興味深かった。

    それは。仏陀自身が「空」なので、対機説法が可能であり、どんな
    人とでも争うことなく対話ができたのだ、というもの。

引用返信/返信 削除キー/

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