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■6845 / inTopicNo.97)  knowing itselfさんへ
  
□投稿者/ pipit -(2020/09/19(Sat) 20:54:38)
    こんばんは!

    No6737に返信(knowing itselfさんの記事)

    > 永井さんによると、カントが「純粋理性批判」で使った考え方を借用して、内山興正は第四図を捉えているそうです。私見では、現象はすべて第四図だと思います。<

    内山さんの文章で、第五図について、
    『この『自己』は、さきにいったような、アタマの展開した舞台のうえに、わが生命をただその一員として投げ込んでしまっている『たんなる人間としての自分』(第四図(A)(B))とは区別きておかねばなりません。』
    (『〈仏教3.0〉を哲学する』p113より引用)
    とあるそうですね。
    第四図は全て現象であり、自己も、時間空間に規定される現象として、一員として、投げ込んでいる。



    > 第五図=物自体といっているのはわたしだけかもしれません。現象では捉えきれないより基底にある存在様式といえば、物自体しかないので、第五図=物自体でいいと考えます。
    > 物自体であれば、身体の部分がそれであることはありません。よって第五図=物自体であれば、身体と同一化できないなんらかの意識になると思います。<

    そうかぁ、
    頭の中の現象も合わせて肯定されてるのが、第五図なんですね。
    意識とか青空とか気づきとかスクリーンとか呼ばれてるものなのかなぁ。
    それで、たーぼーさんが紹介してくださったポッドキャストで、山下さんが、柱も悟り、みたいな表現をされてたのかな、と思いました。


    > 第五図が物自体なら、物自体は感性と悟性の共同作業である認識の対象になることは不可能だというのかカントですね。善意志によって第五図が変わるのではなく、善意志だけが第五図から直接発しているのだと考えています。<

    knowing itselfさんがそうお考えになられてること、了解しました。
    (って、誤解してたらすみませんm(_ _)m)

引用返信/返信 削除キー/
■6843 / inTopicNo.98)  たーぼーさんへ
□投稿者/ knowing itself -(2020/09/19(Sat) 20:48:35)
    夢をまったくみない完全熟睡状態を想定してみます。それに対して目ざめて活動している日常があります。見性や悟りを前者に喩えることはよく行われると思います。ただ、夢ひとつみない熟睡状態にいたことは、覚めてみないとわからないといわれるでしょう。

    他方、第五図のときに第五図を認識できるというのは、夢をまったくみない完全熟睡状態のときに、そのことに気づけることだと。山下良道さんはこの立場だと思います。当然のことながら、同意している人は極めて少数でしょう。

    この主張は、「仏教3・0を哲学するバージョンU」でもいわれています。この本はカント哲学とも関係しています。
引用返信/返信 削除キー/
■6842 / inTopicNo.99)  たーぼーさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/09/19(Sat) 20:29:25)
    すみません、公案の文章などが難しくて、わかりませんでしたが、
    もしかして、牛の尻尾が世俗と思われてるのかな?

    No6726に返信(たーぼーさんの記事)
    > この山下良道さんの法話(私の二重構造の実体験のみが仏教3.0の鍵)で、日本の大乗仏教は前提としては二重構造なんだけど、それが実感出来ないまま大乗仏教に入ると非常に苦しいことになると言うのは具体的に言うとこういう事なんです。
    >
    > 公案1700の中でも八大難透といわれる公案があるんですが、その中に牛過窓櫺という公案があります。
    >
    > 三十八 牛過窓櫺(ぎゅうかそうれい)
    > 五祖曰く,譬(たと)えば水&#29295;牛(すいこぎゅう)の窓櫺(そうれい)を過ぐるが如く,頭角(ずかく)四蹄(してい)都(す)べて過ぎ了(おわ)る,甚麼(なん)に因(よ)ってか尾巴(びは)過ぐることを得ざる。
    > 無門曰く,若(も)し者裏(じゃり)に向かって顛倒(てんどう)して,一隻眼(いっせきげん)を著得(じゃくとく)し,一転語(いってんご)を下し得ば,以って上四恩に報じ,下三有を資(たす)くべし。其れ或いは未だ然(しか)らずんば,更に須らく尾巴を照顧(しょうこ)して始めて得べし。
    > 頌(じゅ)に曰く,
    > 過ぎ去れば抗塹(きょうぜん)に堕(お)ち,回(かえ)り来たれば却(かえ)って壞(やぶ)る。
    > 者些(しゃし)の尾巴子,直に是れ甚(はなは)だ奇怪。
    >
    > これを禅歴30年の禅者は、この公案のポイントとはと問われて、
    > その牛はどこにいるか?
    > その牛をここに引き出せ
    > その牛いつの時代に生まれたか?
    > その牛、東に過ぎたか、西に過ぎたか?
    > 牛、ソウレイを過ぎる
    > 公案の全体
    > その牛、おすかめすか?
    > 子を産んでみよ
    >
    > と答えたんです。
    > でも牛を問題にするなら、もう公案など必要ないレベルなんです。
    > 公案1700全てもはや意味がないんです。
    > [者些(しゃし)の尾巴子]つまり牛の尻尾とは何か、どうして牛の尻尾が通らないかというのがこの公案のポイントであって、牛を問題にするならもう公案なんか必要ないんです。
    > だから私の二重構造の実体験のみが仏教3.0の鍵というのは、とても大事な問題提起だと思います。
    >
    >
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■6793 / inTopicNo.100)  パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/09/18(Fri) 22:46:52)
    ありがとうございます !

    よろしくお願いしますm(_ _)m
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■6787 / inTopicNo.101)  純粋理性批判を読んでみる。13
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/18(Fri) 19:40:53)
    トピ主:pipitさん

    ニーチェクラブNo1人気トピ

    引き続きよろしくお願いします。
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