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■6086 / inTopicNo.25)  Re[77]: 追記:決定論的世界観について
  
□投稿者/ ななし -(2020/09/04(Fri) 21:26:54)
    パニチェさん、こんばんは。

    あれから、いろいろ調べたり、考えたりしましたが、
    基本的には、科学的法則で因果関係があるわけなので
    決定論的ではあるけど、自分というものは、カオス的な
    無我、空なのではと思いました。

    カオスが、決定論的な規則にしたがっているにもかかわらず、
    予測不可能な不規則な振る舞いをします。
    それは、ロジスティック方程式がカオス的な結果に至るように。

    カオスとは、自然法則は確定的で未来は予測可能とする決定論とも、
    自然法則は不確定で未来は予測不可能とする不可知論とも違って、
    自然法則は確定的だが未来は予測不可能なのですね。

    https://ameblo.jp/nibbaana/entry-10369656648.html

    それから、三位一体の神という意味は、どういうことか。

    自灯明、法灯明そして四念処の「身・受・心・法」は何なのか。

    身念処(身念住) - 身体の不浄を観ずる(不浄観)
    受念処(受念住) - 一切の受は苦であると観ずる(一切皆苦)
    心念処(心念住) - 心の無常を観ずる(諸行無常)
    法念処(法念住) - 諸法の無我を観ずる(諸法無我)

    個人的には、すべては神仏の慈愛から来ているものなので
    私自身も、神仏を愛していきたいと思います。

    思いやる心は、神仏も人も関係なく好ましく感謝すべきことなのかなと思いました。


引用返信/返信 削除キー/
■5901 / inTopicNo.26)  Re[76]: 追記:決定論的世界観について
□投稿者/ パニチェ -(2020/08/30(Sun) 20:10:28)
    No5892に返信(ななしさんの記事)
    > パニチェさん、詳しい解説ありがとうございます。

    どういたしまして。

    > ラプラスの悪魔の否定ということは、決定論はない
    > ということですね。

    量子力学の主流派(コペンハーゲン学派)によればそうです。
    不確定性原理や観測問題は異なる解釈もあることはありますが、今のところはラプラスの悪魔とともに決定論的世界観は否定されていますね。

    > これからも、いろいろ勉強していきたいと思いますので、
    > よろしくお願いします。

    こちらこそ、よろしくお願いします。
    ようこそ、ニーチェクラブへ♪^^
引用返信/返信 削除キー/
■5892 / inTopicNo.27)  Re[75]: 追記:決定論的世界観について
□投稿者/ ななし -(2020/08/30(Sun) 18:33:12)
    パニチェさん、詳しい解説ありがとうございます。

    ラプラスの悪魔の否定ということは、決定論はない
    ということですね。

    これからも、いろいろ勉強していきたいと思いますので、
    よろしくお願いします。

引用返信/返信 削除キー/
■5890 / inTopicNo.28)  追記:決定論的世界観について
□投稿者/ パニチェ -(2020/08/30(Sun) 17:47:37)
    2020/08/30(Sun) 17:48:22 編集(投稿者)

    量子力学の登場によって決定論的世界観は崩れ去ったと言われています。

    相対論までの古典物理においてはラプラスの悪魔という思考実験上の存在が理論上成立し、過去から未来においての全てを予測可能とする発想がありました。

    ラプラスの悪魔というのは機械論的な古典物理において、全ての状態を完全に把握し解析する能力があれば未来は完全に予測することができるという決定論的な世界観を象徴する仮想の生き物です。

    ところが量子力学の不確定性原理によって決定論的な世界観とともにラプラスの悪魔も葬り去られたということです。


引用返信/返信 削除キー/
■5889 / inTopicNo.29)  十四無記
□投稿者/ パニチェ -(2020/08/30(Sun) 16:33:16)
    No5888に返信(ななしさんの記事)
    > パニチェさん、書き込みありがとうございます。

    どういたしまして。

    > なるほど、了解しました。
    > また、いろいろ考えてみたいと思います。
    > ところで、予定説については、どのようにお考えになりますか。

    哲学にも「予定調和」という考え方があります。
    でも、厳密に考えると私たちの感覚器官では、それが正しいかどうかを知る手段はありません。
    決定論的な予定説であろうと、なかろうと、それを考えることに私は意味や価値は見出せません。

    私は原始仏教の十四無記を支持しています。
    形而上学的な問いやテーマはハナから結論など出るはずもなく、思考の俎上に載せないという教えです。
    それより重要なのは生に伴う苦を如何に軽減し滅していくかということです。


引用返信/返信 削除キー/
■5888 / inTopicNo.30)  Re[72]: 依法不依人
□投稿者/ ななし -(2020/08/30(Sun) 16:21:58)
    パニチェさん、書き込みありがとうございます。

    なるほど、了解しました。

    また、いろいろ考えてみたいと思います。

    ところで、予定説については、どのようにお考えになりますか。
引用返信/返信 削除キー/
■5887 / inTopicNo.31)  依法不依人
□投稿者/ パニチェ -(2020/08/30(Sun) 16:14:17)
    2020/08/30(Sun) 17:16:44 編集(投稿者)

    こんにちは、レスありがとうございます。

    No5880に返信(ななしさんの記事)

    以下は正直に忌憚なく返信させてもらいますね、私的にはそれが誠意ある返信だと考えていますので。

    > パニチェさん、レスありがとうございます。
    > 最近、予定説と自由意志について考えることがあって、
    > 結局、世の中は不平等に作られ、どんなに祈ったり努力したりしても
    > 決まっているものは、どうしようもないことなのかなと思っていました。

    > そして、「自灯明、法灯明」も、そんな決定論的な視点から
    > 見れるように感じました。

    > つまり、ダメもとで、メカニカルな縁起の世の中に抵抗して生きて行け、
    > でも、最終的には、決定論なのだから、自分には、どうにもならないこともある
    > のだから、無用な責任感を感じなくていいよ、鬱を感じなくて良いよ
    > ということかなと。

    釈迦は対機説法の達人でした。
    教えを受ける人のその時の心理状態や育ってきた環境、性根(機根)に合わせて巧みな比喩でもって説法しています。
    多くの仏典が残っているのはこのためで、八万四千の法門があると言われています。
    それぞれの教えは悟りに至る乗り物とか道のり、指針であり、深浅高低などはありません。
    つまり自分の機根に合わせた乗り物や道を選択し、生に伴う苦を軽減する道が仏道であり、道を歩む人が仏教徒です。

    上記のななしさんのレスは、例えていうならサハラ砂漠を見て、地球は砂の惑星だと考え、それでもこれを受け入れて生きて行こうとうのような話に聞こえます。
    仏典に沿った教え、または仏典を出自とする教えが仏教であり、これ以外は外道(六師外道:仏教ではないという意味です)です。

    > 出典については、いろんなところからの摘まみ食いです。
    > 特に、スコトーマの件については、YouTubeの
    > 【仏教】釈迦の悟った内容 - 苫米地英人さんからのメッセージです。
    > https://www.youtube.com/watch?v=6U9EURzHXQg
    > パニチェさんは、苫米地さんの意見については、どう思われますか?

    正直に言います。自分の知識だけを文脈もなくただダラダラと披露する聞くに耐えないような話です。
    以下に苫米地英人氏のメッセージを要約します。

    ***********************

    自分は脳機能学者で「何故、脳は神をつくったのか?」を今ここで説明してあげる。
    菩提樹の下で悟った内容は縁起であるというのが上座仏教であり原始仏教、空であるというのが大乗仏教。でも悟った内容は縁起でもなければ空でもない。

    書かれたものが正しいとすると釈迦はカースト制度の武士クシャトリアの階級として生まれバラモンになりたくて出家した。
    当時はバラモンとして修行できるのはバラモンだけで、普通なら殺されている。
    だから釈迦国の友好国であるマガタ国近辺を回ってたから許されていた。
    初期の仏弟子は千人〜五千人弟子をもつバラモンの先生ばかりで、女性や身分の低い者は仏弟子として認めてない

    財産を家においたまま裸一貫で仏弟子となって与えられたのは衣三枚と托鉢のお鉢と爪楊枝だけ。袈裟は死体をくるんでいた布を洗って継ぎはぎしたパッチワークでつくり、黄色いのは糞尿の色(糞尿衣)。地面や床に寝るので1枚は寝る用、保管用、着る用として使った。食事は一日一食、爪楊枝は認められていた。

    釈迦の前の世界は輪廻転生を認める世界
    釈迦は輪廻転生や霊を完全に否定している

    女性の出家は認めてなかった理由は裸同然で床に寝るような生活だったため。
    竹林精舎や祇園精舎が寄進された後に女性の出家が認められた

    バラモン教は階級を越えた出家は認められていない。
    バラモン教からするとカースト外の出家をバラモンとして認めることはヤバいし、反社会的な行為でもある。釈迦も毒殺された可能性が高い。チュンダという在家の仏弟子が布施したキノコが毒キノコでこれにあたって死んだと言われている。何者かが毒をもった可能性が高い。

    バラモンの修行を真似ていた王子が苦行で行き倒れていたtころにスジャータという子供によってお粥を布施されて助かった。悟る間の釈迦はずうずし乞食みたいなもの。

    (苫米地英人氏の考える悟りの内実の話までには行かず途中で映像が途切れる)

    ***********************

    今後、私が仏教に関する苫米地英人氏の話を聞くことはないですね。
    反論しようと思えばきりがないくらいありますが、以下だけにとどめます。

    > 悟りの内容を縁起と認めるのが上座仏教(原始仏教)で、空と認めるのが大乗仏教であある。

    全くの出鱈目です。
    縁起にも十二縁起、頼耶縁起(唯識)。如来蔵縁起(大乗起信論)、法界縁起(華厳)、業感縁起(因果)&分位縁起、相依性縁起など、さまざまな縁起説があり、空を仏教の根本教義として展開したのはインドの高僧であるナーガールジュナ(龍樹)による中論という論書からです。

    ここで説かれているのは相依性縁起であり、龍樹は日本に伝楽した大乗仏教八宗の祖師と呼ばれており、全ての宗派の底流をなす教義ではありますが、空は最初期の仏典として認められているスッタニパータにも出てきます。

    つまり結論から述べれば縁起思想や空は上座仏教にも大乗仏教にも共通する教義であり、上座仏教から大乗仏教運動が起こり、袂を分かったのは悟りの内実に関する相違ではありません。それだけは自信をもって断言できます。

    苫米地英人氏のような人の話を仏道や仏教として聞くのは賢明ではありません。
    「自洲・法洲(自灯明・法灯明)」は人に頼らず、法(釈迦の説いた教えや真理=仏典)と自らの内にある仏性を拠りどころとして仏道を歩めという釈尊最期の遺言です。
    よく似た言葉に「依法不依人」というのがあり、人に依らずに法に依れという教えです。
    教祖を崇めるような仏教系新宗教が外道である所以でもあります。

    ちなみに私は無宗派の自称仏教徒です。
    自称、哲学徒でもあります。

引用返信/返信 削除キー/
■5880 / inTopicNo.32)  Re[70]: 釈迦の決定論
□投稿者/ ななし -(2020/08/30(Sun) 14:03:08)
    パニチェさん、レスありがとうございます。

    最近、予定説と自由意志について考えることがあって、
    結局、世の中は不平等に作られ、どんなに祈ったり努力したりしても
    決まっているものは、どうしようもないことなのかなと思っていました。

    そして、「自灯明、法灯明」も、そんな決定論的な視点から
    見れるように感じました。

    つまり、ダメもとで、メカニカルな縁起の世の中に抵抗して生きて行け、
    でも、最終的には、決定論なのだから、自分には、どうにもならないこともある
    のだから、無用な責任感を感じなくていいよ、鬱を感じなくて良いよ
    ということかなと。

    出典については、いろんなところからの摘まみ食いです。
    特に、スコトーマの件については、YouTubeの
    【仏教】釈迦の悟った内容 - 苫米地英人さんからのメッセージです。

    https://www.youtube.com/watch?v=6U9EURzHXQg

    パニチェさんは、苫米地さんの意見については、どう思われますか?




引用返信/返信 削除キー/
■5838 / inTopicNo.33)  Re[69]: 釈迦の決定論
□投稿者/ パニチェ -(2020/08/29(Sat) 22:05:18)
    2020/08/29(Sat) 22:10:22 編集(投稿者)

    こんばんは、はじめまして。

    No5824に返信(ななしさんの記事)
    > こんばんは。
    >
    > 最近、二重予定説を調べていたら何故かお釈迦様の決定論に行き着きました。
    >
    > 二重予定説とは、神によって最初から救われる者と救われない人が
    > 決まっているという説です。

    > また、釈迦は、すべての現象はメカニカルに決まるという決定論で
    > 世界を捉えたようで、これが、「諸法実相」スコトーマが外れた
    > 全ての存在のありのままの真実の姿のようです。

    > それも決定論なのに複雑な動きのカオス理論のような仏教の刹那と
    > 次の刹那の関係が、縁起でメカニカルに決まるというものです。

    これってどの経典というか出自はどこですか?


    > つまり、この決定論では、自由意志はない(無我)と言うことになり

    無我と自由意志がないは同義ではありません。

    > 釈迦の最後の言葉「自灯明、法灯明」との関係が気になってきます。
    > これは、「自らを拠り所にして生きなさい、法を拠り所にして生きなさい」
    > というような意味なのですが、もっと深いものを感じます。

    > これって、世の中は、寸分違わぬ物理法則でできていて自然の摂理というものは、
    > 生老病死の四苦八苦でままならないドゥフカ(思い通りにならない苦しみ)
    > つまり、どうにもならないのだから、自分の欲求のレベルを下げる、
    > 足るを知ること、そんな修行が必要なのだと説かれたのかなと考えているところです。

    そうではないと思いますよ。
    仏説的には苦は無常なるもの(常なるものは無く、全ては生滅する)に常住不変であることに執着するところから生じるということです。
    さらに自己も含めて単体では実体のないもに実体があるかのように思い込んでいるから、無いはずの「私」の苦が生じるということでもあります。
    これを体得すれば涅槃寂静に至るというのが仏教の教えであり法灯です。

    そして法と自が不二であるから「自洲・法洲(自灯明・法灯明)」を最期の灯明として伝えれらたということです。

引用返信/返信 削除キー/
■4811 / inTopicNo.34)  転法祖師 名言集
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/31(Fri) 19:01:51)
    そ〜言えば、その昔、Yahoo!掲示板で転法祖師がブイブイ言わしてた時代。

    論争相手を煽る名言、ちょっと下品かもしれないけど、私は大好きだった懐かしいお決まりの名台詞を思い出した。

    「そんなケツの〇ナの細まいことユ〜テてたら、口からク●が出る口●ソ病になりマッセ〜」

    アハハハハ _(_ _)ノ彡☆バンバン!!
引用返信/返信 削除キー/
■4725 / inTopicNo.35)  善財さん
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/29(Wed) 21:13:59)
    唯識とウィトゲンシュタインを語らせたらちょっとうるさい人(笑)。

    善財さん、get953さんと三人で行った読書会は充実していた。

    「未来のアトム」

    これは多岐にわたって面白かった。
328×475

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引用返信/返信 削除キー/
■4300 / inTopicNo.36)  protein_crystal_boy氏
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/20(Mon) 10:26:27)
    ネオダーウィニズトではなく

    セントラルドグマに捕らわれない自由な発想と思考ができる賢者

    分子生物学も含めたその知識量と知見は驚くべきものがあった

    進化論関連のレス交換する相手として最も面白く

    知的な刺激を与えてくれた人
引用返信/返信 削除キー/

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