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■6841 / inTopicNo.1)  Re[22]: 山下良道さん
  
□投稿者/ pipit -(2020/09/19(Sat) 20:25:44)
    たーぼーさん、こんばんは!
    法話聞かせていただきました (^_^)

    私の好みとしては、
    どの道からも、傷つきながらでも、
    各人が目指す境地に、各人が成功すればいいな、と、思いました。

    山下さんは、仏教3.0だと、傷つく必要はないよ、苦労はないよ、
    とされてるのかもしれませんね。

    たーぼーさんにはピッタリなのかな?
    ピッタリだと、いいな、と、思いました。


    No6723に返信(たーぼーさんの記事)
    > 山下良道 wikiから
    > >
    > >山下はこの原因を、仏教が始まってから大乗仏教(仏教1.0)に至るまでの過程情報が日本にいきいきと伝わらなかったためであると指摘し[35]、その事情を「二話連続のテレビドラマ(仏教)をいきなり第二話(大乗仏教、仏教1.0)から見始めた状態」と喩えている[36]。第一話(仏教2.0)を知らないまま第二話(仏教1.0)を見ているので、第二話としての大乗仏教(仏教1.0)の前提がピンとこず、大乗仏教の教義の出発点に実感を持てないままでその教義を受容せざるを得なくなる状況があるという[37]。このような事情を山下は「大乗仏教の悩み」・「日本仏教の悲劇のもと」であると述べ、第一話に相当するテーラワーダ仏教(仏教2.0)の内容を踏まえる必要性を説く[37][注釈 3]。
    >
    >
    > これは今の日本仏教の問題点の核心を突いている問題提起だと思います。
    > どうして日本で大乗仏教が隆盛を誇ったのか、ここを踏まえないと理解出来ないと思う。
    > 今の日本の大乗仏教は法華経の例え話の真意を理解できるでしょうか?
    >
    >
    > https://www.onedhamma.com/
    >
    > この中の<私の二重構造の実体験のみが仏教3.0の鍵だから>という法話を聞いて見てください。
    > とてもいい法話だったので紹介しました。
    >
引用返信/返信 削除キー/
■6840 / inTopicNo.2)  Re[23]: たーぼーさん
□投稿者/ たーぼー -(2020/09/19(Sat) 20:10:36)
    No6823に返信(knowing itselfさん)

    knowing itselfさん、こんばんわ。

    > 一点で止まるのがまずいのはおっしゃるとおりだと思います。
    >
    > たーぼーさんの書き込みで仏教3・0や山下良道さんが言及されていましたが、その辺りの関連書、わたしも何冊か読んでいます。山下良道さんについていえば、彼ならではの最大の主張ポイントも一応理解したつもりです。それは第五図を第五図のところで認識できることだと思います。メチャクチャぶっ飛んだ発言なので、理解してくれる仏教関係者がほとんどいないそうです。
    >
    > 彼のいう第五図の認識というのは、主体が客体を認識するという通常の認識ではなく、主体も客体も消失した後、なお働いている意識のようなものだと思います。その意識を体験後に、あああのときはそういう意識だったと振り返って初めて自覚できるのではなく、体験の真っ最中に意識できている、そういう意識ですね。そういう意識が第四図の中身を認識できているのが、山下良道さんの第五図の認識だと思います。普通の人の意識は第四図を一歩も出ていない。

    私も今までの仏教理解から少し脱皮しないといけないと思ってるんですよ。
    仏教2.0は理解してるつもりなんだけど、いまいち仏教1.0がわからないんです。
    山下さんの本で一番良かったの教えてくれませんか?
    第五図を第五図のところで認識できるって凄く興味あります。


引用返信/返信 削除キー/
■6833 / inTopicNo.3)  Re[25]: ぴぴとさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/09/19(Sat) 17:44:44)
    ■6831、■6832、なんか変なところ押しちゃったみたいで、ごめんなさい。

    >カントは、純粋数学と、純粋な自然科学は、真理という表現ではなく(見落としてたらごめん!)、【アプリオリな総合判断の実例】である、と表現していました。アプリオリな認識の特徴は、必然性と厳密な普遍性、とありました<

    「真理」っていう表言をなくして、

    「アプリオリな総合判断、あるいはアプリオリな認識の特徴は必然性と厳密な普遍性である」あるいは「必然性と厳密な普遍性という特徴をもつものがアプリオリな総合判断(アプリオリな認識)である」
    が前提となってるようにも見えるんだけど?

    それにしても「純粋な数学」とか「純粋な自然科学」っていうのどういうのかしらね?




引用返信/返信 削除キー/
■6832 / inTopicNo.4)  Re[24]: ppipit
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/09/19(Sat) 17:36:14)
    ■6831
引用返信/返信 削除キー/
■6831 / inTopicNo.5)  Re[23]pipit
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/09/19(Sat) 17:35:13)
    『純粋理性批判』の序論を読んでみました。

    カントは、純粋数学と、純粋な自然科学は、真理という表現ではなく(見落としてたらごめん!)、【アプリオリな総合判断の実例】である、と表現していました。
    アプリオリな認識の特徴は、必然性と厳密な普遍性、とありました。
引用返信/返信 削除キー/
■6823 / inTopicNo.6)  たーぼーさん
□投稿者/ knowing itself -(2020/09/19(Sat) 15:43:11)
    たーぼーさん こんにちは

    >>第五図=物自体といっているのはわたしだけかもしれません。現象では捉えきれないより基底にある存在様式といえば、物自体しかないので、第五図=物自体でいいと考えます。
    >>物自体であれば、身体の部分がそれであることはありません。よって第五図=物自体であれば、身体と同一化できないなんらかの意識になると思います。

    > 私はknowing itselfさんのおっしゃることわかりますよ。
    > 物がまだ物体になる前の状態と仰りたいのでは?
    > それが空だけど、それは点ですよ。
    > 点の部分。色即是空の空の一点の部分ですよ。
    > そこで止まるとまずいです。
    > そこから自己を忘れて=悟りを忘れたところが悟りです。
    > 認識してる自分があったら(小さい方の自分があります)
    > 第五図っていうのは第五図のところでは認識出来ないんです。
    > 一隻眼だから。

    一点で止まるのがまずいのはおっしゃるとおりだと思います。

    たーぼーさんの書き込みで仏教3・0や山下良道さんが言及されていましたが、その辺りの関連書、わたしも何冊か読んでいます。山下良道さんについていえば、彼ならではの最大の主張ポイントも一応理解したつもりです。それは第五図を第五図のところで認識できることだと思います。メチャクチャぶっ飛んだ発言なので、理解してくれる仏教関係者がほとんどいないそうです。

    彼のいう第五図の認識というのは、主体が客体を認識するという通常の認識ではなく、主体も客体も消失した後、なお働いている意識のようなものだと思います。その意識を体験後に、あああのときはそういう意識だったと振り返って初めて自覚できるのではなく、体験の真っ最中に意識できている、そういう意識ですね。そういう意識が第四図の中身を認識できているのが、山下良道さんの第五図の認識だと思います。普通の人の意識は第四図を一歩も出ていない。

引用返信/返信 削除キー/
■6818 / inTopicNo.7)  knowing itselfさん
□投稿者/ たーぼー -(2020/09/19(Sat) 13:36:08)
    knowing itselfさん、こんにちは。


    > 第五図=物自体といっているのはわたしだけかもしれません。現象では捉えきれないより基底にある存在様式といえば、物自体しかないので、第五図=物自体でいいと考えます。
    > 物自体であれば、身体の部分がそれであることはありません。よって第五図=物自体であれば、身体と同一化できないなんらかの意識になると思います。


    私はknowing itselfさんのおっしゃることわかりますよ。
    物がまだ物体になる前の状態と仰りたいのでは?
    それが空だけど、それは点ですよ。
    点の部分。色即是空の空の一点の部分ですよ。
    そこで止まるとまずいです。
    そこから自己を忘れて=悟りを忘れたところが悟りです。
    認識してる自分があったら(小さい方の自分があります)
    第五図っていうのは第五図のところでは認識出来ないんです。
    一隻眼だから。




引用返信/返信 削除キー/
■6798 / inTopicNo.8)  白隠
□投稿者/ たーぼー -(2020/09/19(Sat) 02:02:41)

    https://ishiinbr.amebaownd.com/posts/6571766

    非想非非想処を有頂天とはよく言ったもんで、有頂天になってしまうんだな。
    今から思えば、この時の汝徹せりは取り合えず汝徹せりと言うのが正確だと思う。
    やっと最近分かってきた。
    白隠の本当の徹せりは42歳の大悟18回小悟数知れずだと思う。
    果てしなく道のりは遠いなぁ。
    いや、衆生本来仏なりか(笑)

引用返信/返信 削除キー/
■6795 / inTopicNo.9)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2020/09/19(Sat) 00:06:26)
    悪魔ちゃん、こんばんは(^_^)

    > 〔自然科学的な知識の正しさ、真理性(真理であるゆえんのもの)は、どこにあるのであろうか。まずそれを反省・批判・検討してみよう。そしてそのうえで、あの、同じく疑うことのできない形而上的関心のありかたは、どこにあるのだろうか。それとも、それは、許されない、いわば迷妄のようなものなのだろうか。しかし、もし、それが許されるとするなら、この形而上的関心を、学として基礎づけることはできないのだろうか。もちろん、そのような形而上学が、かつてのような独断論的なものではないことは、もうすまでもない。新しい形而上学は、法廷の審判をうけたうえでの、合法的なものではならないであろう。そこで、まずわれわれは、自然科学での知識の正当性・真理性(正しいゆえん、真理であるゆえん)を批判・検討することにしよう。『純粋理性批判』は、こうして、自然科学的な真理の性格の検討からはじまる。〕
    >
    > 『純粋理性批判』の”始まり”はこのようなものでいい?
    >
    > 「自然科学の知識は正当・真理である」が前提となっていて、この前提からその性格の検討が始まり。っていうことで?<

    『純粋理性批判』の序論を読んでみました。

    カントは、純粋数学と、純粋な自然科学は、真理という表現ではなく(見落としてたらごめん!)、【アプリオリな総合判断の実例】である、と表現していました。
    アプリオリな認識の特徴は、必然性と厳密な普遍性、とありました。

    悪魔ちゃんが書いてくれた流れのように書くと、

    「純粋数学と純粋な自然科学は、アプリオリな総合判断である、が、前提となっていて、その前提からその性格の検討が始まる」
    ってことかな?
    と、思いました。

    でも、その前提を、疑われることは、当時から現代に至るまで、カント批判として、よくあることかもしれません。

    以上が悪魔ちゃんの質問に対する、私見ですが、
    そのことからちょっと離れて、
    最近思ってること書くね。

    やっぱり、絶対的に正しいとする基準を設けようとするのは、心に苦しみを生むのかもしれないな、と、この頃思うこともあるよ。

    確実な基準を打ち立てようとする(ようにみえる)学説が、苦しく思えることもあるけど、

    でも、カントの考えを正確に汲み取れてない可能性は当たり前にあって、

    考えてることをちゃんと知りたい、というのはあるけど、

    難しいなーと思う。
    ごめん、聞いてもらっちゃったね。

    いつもありがとう、おつかれさま (^ ^)

    、、、連休、まあまあ仕事やね〜〜ん 、まあ、ありがたいことやけど
    。。。(°_°)


引用返信/返信 削除キー/
■6785 / inTopicNo.10)  たーぼーさんとおくたがわさんへ
□投稿者/ knowing itself -(2020/09/18(Fri) 19:03:41)
    たーぼーさん、はじめまして。よろしくお願いします。

    おくたがわさん、第四図と第五図の引用、ありがとうございます。
引用返信/返信 削除キー/
■6782 / inTopicNo.11)  たーぼーさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/09/18(Fri) 16:33:16)
    たーぼーさん、こんにちは〜(^O^)/
    まだ返信してないのですが、返信させてもらうつもりしてます!
    たーぼーさんが紹介してくださった法話も聞くつもりしてます!
    (実は、一個上の法話を間違えて聞いてしまっていました。。。)
    いろいろありがとうございます
    いただいたコメントは、あとでゆっくり考えさせていただきますね(^_^)



    No6774に返信(たーぼーさんの記事)
    > knowing itselfさん、初めまして。
    >
    > <第五図VS第四図は、カントによる物自体VS現象の内山興正バージョンだと思います
    >
    > Pipitさんとのお話に割り込むようで申し訳ないのですが、この第五図と第四図というのは何でしょうか?
    > 何処の本に載ってるとか、なるべく具体的に教えてほしいのですが。
    > 私のIPOD だとNo6737でpipitさんのメッセージにknowing itselfさんが返信したレスから始まっていてpipit さんがknowing itselfさんに送ったレスが見当たりません。
    >
    > 何か気になるもんで。少しでもお力になれたらと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■6780 / inTopicNo.12)  Re[28]: たーぼーさんへ
□投稿者/ たーぼー -(2020/09/18(Fri) 15:06:32)
    あっちとこっちがないから二元対立の世界まで戻ってこないと認識出来ないわけです。
    だから悟りを思い出すには他者が必要です。
引用返信/返信 削除キー/

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